【月・過去】言語トンネル
文字数 5,872文字
「同居人のDrアイが悪酔いしてて、絡んでくるじゃじゃあ。執筆しなければならないんじゃが、集中できないじゃじゃあ。それで、半日だけこちらにお邪魔しようと思ったじゃじゃあ……んあ! んあ!」
いつも通り早口で話す黒猫型ロボのクーは、言いたいことをすべて吐き出すと、急に鼻をくんかくんかと動かした。
「誰かいるじゃじゃあ?」
月人の嗅覚の比ではない猫型ロボに未月が見つかるのは、時間の問題だった。
観念したのか、ツクヨミが指示する前にベッドと書棚の合間から未月が出てきた。
「犬型ロボなんて、あたし初めて見たよ!」
「犬じゃない、猫じゃじゃあ」
短い手を挙げてクーは抗議した。
「それより、なんでこんなところに月遊女がいるじゃじゃあ? もしかして、お邪魔だったじゃじゃあ? 帰ったほうがいいじゃあ?」
言葉とは裏腹に、黒猫型ロボのクーはツクヨミと彼女の間に入り、顔を高速で回転させた。
「月遊女さんは、深い事情があるじゃじゃあ?」
心なしツクヨミに問いかけるときより優しいトーンだ。
「月の塔へ行きたいのよ」
あっけらかんと答える未月に、ツクヨミは睨みつけた。
「おまえ! 自分が何を言っているのかわかって」
そう言いかけたところで、未月に遮られた。
「大丈夫。あたいは初対面の男がどんなタイプか、少し話せばわかるのよ」
言葉の端々から、月遊女としての誇りと気高さがうかがえた。
結局、クーにはふたりの目的をすべて明かすこととなった。
「姫様が危ないじゃじゃあ? 月遊女のことは専門外だけど、月神様がご贔屓にされた姫様の顛末については耳にしたことがあるじゃじゃあ。不憫じゃじゃ……」
およそ理解すると、クーはしばし両目を閉じて黙考した。
〈ムーンファイブ〉以外の者に語ることで、自身の立場が脅かされないことを今一度改めて確認しているふうでもあった。
「しかたないじゃじゃあ……月の塔のシステムだけど、五つの球体の部屋から、この月の心臓ともいえる中央の球体まではトンネルがあるじゃじゃあ。ただ、その中を生命は移動できないじゃじゃあ」
「じゃじゃあ、どのルートで侵入すればいいの?」
未月がクーの口真似をすると、
「じゃじゃあは、語尾につくじゃじゃあ」
と、クーはすぐにツッコミを入れた。
「時間がないんだ。早く話を進めてくれ」
横からツクヨミが先を促す。
「ここ以外から中央へ行くには、月神様と共に入る入口しかないじゃじゃあ」
「生命でなければ、入れる方法はあるのか?」
ツクヨミの言葉に、クーと未月は目を見開いた。
「誰かを犠牲にするつもりじゃじゃあ?」
クーは不安げにツクヨミを見る。
「んー、膨大な物語の言語……それも、地球だけでなく、月のいにしえの言語や惑星言語も含めて五万はあるじゃじゃあ。それらが行き交うトンネルの中を通るには、そこに登録されていない"言語になる”しか方法はないじゃじゃあ。んでも、生命あるものが言語になるなんて不可能じゃじゃあ」
早口な上に難解な内容で未月はやや置いていかれていたが、ツクヨミの方はこれぞと言える妙案を必死に探していた。
真剣なまなざしで部屋の壁を見渡す。
「地球の満ち欠けの写真……か」
ツクヨミは独り言をもらした。
未月を部屋に招き入れたとき、彼女が放った言葉が彼に閃きを与えた。
「そのトンネルの中に設定されている言語を、クーはすべて理解しているんだよな?」
「もちろんじゃじゃあ。アウトプットするまでに処理する時間がかかる言語も多いけど、把握してるじゃじゃあ」
「凄い! お犬様ってば、何者?」
「だから、犬じゃなくて猫じゃじゃあ。それも、惑星のあらゆる言語を月の言葉に翻訳できちゃう超翻訳者じゃじゃあ!」
「なぁ、HO2の言語は解読できるのか?」
クーと未月は、ぱたりと掛け合いを止めてツクヨミを凝視した。
HO2の言語は禁忌だ。
それを承知でツクヨミは話を振っていた。
「黒歴史じゃじゃあ。無二の存在でなければならない我が月。もしかしたら、この月に替わって別の……HO2が勢力を持っていたら……」
クーは、HO2の名を口にするときだけ小声で話した。
「HO2言語なら難なくトンネルのセキュリティに引っかかることはないんじゃないか?」
「んでも、たとえそうだとしても、誰がその言語を知ってるじゃじゃあ?」
顔を見合わせるふたりを見て、クーはようやく理解した。
「まさか! ふたりとも、HO2の出身じゃじゃあ? にゃー、たまげた、たまげた、たまげた!」
クーが興奮すると首をぐるぐると三百六十度回転させてしまうのはあくまでも無意識のことだった。
「んでも……何度も言うじゃじゃあ、その言語が入れたとしても、人は入れないじゃじゃあ」
「人じゃなければ、良いんだろう?」
ツクヨミは、黒猫型ロボのクーを食い入るように見た。
「まさか……僕が入れってことじゃじゃあ……?」
大量の汗をかく代わりに、黒猫型ロボはまた顔を回転させた。
「それじゃあ、死んじゃうじゃない」
横から未月が声を張り上げる。
「クーはトンネルの中で潰されることはない。つまり、〈電源〉さえオフにしておけば生命とは認識されない。そうだろう?」
クーは返事を渋った。
当然の反応だ。
クーは、目を閉じて、沈思黙考した。
その様子をツクヨミと未月は、固唾をのんで見守った。
「んあー、乗り掛かった舟じゃじゃあ? んまぁ、創造主たちの膨大な物語が流れる言語のトンネルに、いつかはこう入り込んでみたいにゃーと思っていたじゃじゃあ。それに、姫様と未月を救うためともあれば、雄猫として、超翻訳者として、これほどの名誉はないじゃじゃあ」
「あたいはあくまで、姫様じゃないのね?」
「……じゃじゃあ」
黒猫型クーは目を細めた。
そんなクーの首を、未月は掴んで軽く揺らした。
「ひとまずここに、HO2言語の基本文法をいくらか書き出してみた」
ツクヨミの仕事の速さは尋常ではなかった。
「念のためメンテナンスと称して、クーしかアクセスできない状況にしておいて欲しい。トンネルを無事に通り抜けたら自動的に電源がオンになる自動設定も忘れないでくれ」
「トンネルを出るまでの時間はわかるの?」
未月はクーとツクヨミの顔を交互に見ながら訊く。
「五万の言語からなる十億の物語、一秒あたりに紡ぎだされる文字を……ざっと十分もあればなんとかなるじゃじゃあ」
「クーは、ただの犬型ロボじゃない」
「猫じゃじゃあ! そんな、ツクヨミまでらしくないボケかまさないで欲しいじゃじゃあ」
普段ならば、決してひとつの目的のために協力しえないツクヨミ、未月、クー。
いつしか三人のあいだに、ほのかな絆が芽生えた。
作戦を確認したのち、三人は早速、月の塔の地下部分にある言語管理室へと急いだ。
クーの球体部屋からも行ける場所だったが、同居人のDrアイが起きて面倒になるのを考慮し、別の通路から向かうことになった。
クーのIDで通過した先は、電子機器の内部にでも侵入したような濃密な景色になっていた。ガラスとコンクリートというシンプルな柱が縦横無尽にびっしりと存在し、その合間をカチカチと点滅する本が高速で移動していた。
「本の工場みたいね?」
未月が甲高い声で言う。
「本に見えるかもしれないけど、外見が本にデザインされているだけで、中身は膨大な言語で綴られた〈物語の種〉じゃじゃあ。つまり、ページが開けるような形態にはなってないじゃじゃあ」
「洒落たデザインだ」
ツクヨミは誇張して言った。
「自画自賛するじゃじゃあ?」
何を隠そうこれをデザインしたのは当のツクヨミだった。
いよいよ、言語管理室の調整室まで来た。
円形の扉の前で、突然クーは踵を返した。
「作戦通り、中に入るじゃじゃあ。月の塔の中枢に僕が無事に移動し終えたら、ここのシステムは急停止するじゃじゃあ。そのあいだ、ツクヨミと未月は、点灯される非常通路を駆け足で移動して高速エレベーターに乗るじゃじゃあ」
「わかったわ」
未月は深くうなづいた。
「向こうで、合流じゃじゃあ!!」
決死の覚悟を前に、クーは自分を鼓舞するようにハキハキと言う。
「待って。緊急停止は、あくまでもメンテナンスってことで止まるのよね? 異変を察して、月神様が他の〈ムーンファイブ〉たちに緊急招集をかけることはない?」
未月は念には念を入れる。
「大丈夫じゃじゃあ。その代わり、一秒でも早く合流することを心掛けて欲しいじゃじゃあ」
「女は度胸! そのつもりよ」
未月の言葉にクーは目を細めると、調整室に飛び入った。
一瞬、開いた扉から漏れた強いフラッシュに、ツクヨミと未月は目にダメージを受けそうになった。ここは、否応なしにロボ以外の者が立ち入る場所ではないと痛感する。
残されたふたりは、これから何が起ころうとしているのか予期することなく稼働しているシステムを、改めて眺めまわした。
本のかたちをした無数の種がガラスとコンクリートに反射するたび、ダイヤモンドのような光を放った。その静謐でいて美しい眺めを前に、未月は嘆息をもらした。
「クーが体を張って頑張ってくれている時に、こんな悠長なこと言うのも悪い気がするけど。綺麗ね」
ツクヨミは、しおらしく話す未月の横顔を見た。
白く透き通るような肌に長いまつ毛。
「こんなに色って、あるものなのね」
今度は、周囲を埋め尽くす色とりどりの本を見て未月はそんな感想を口にする。
未月は小首を傾けて、ツクヨミに微笑みを見せた。
普段の気の強い未月とは違い、どこか儚い印象を与えた。
「ロボって有能ね」
「月神様の最高傑作品だからな」
「あのロボを生み出した人が月神様っていうのも皮肉なものよね」
未月は、自嘲気味に言った。
「昔ね、仕事でムーンバース研究所に行く機会があったの。そこで、たまたま脱走した〈人工生命〉に遭遇したのだけど。当然、あなたほどの立場なら、月世界での裏事情を隅々まで把握済みよね?」
「ああ」
ツクヨミは目を逸らした。
「みんな生まれる場所は選べないけど、その後を生きる時間のほうがずっと長いんだもん。大事なのは、きっとその後の縁なのよね? 色々な人たちと出会うことで、運命は変えられるのよね?」
ツクヨミは自分の立場になって、その言葉を咀嚼してみた。
「もし、あたいらがHO2で知り合っていたら……、どんな関係になってたと思う?」
未月は、か細い声で尋ねた。
ツクヨミは小さいため息を落とした。
「女というのは、総じて一度に多くのことを思うんだな」
「単に、あたしが欲張りなのよ」
未月は、舌をペロッと出して茶目っけたっぷりに微笑んだ。
ツクヨミは肩をすくめたが、その表情はどこか優しかった。
「そうそう、このジャケット、薔薇の匂いがするね」
急に照れくさくなったのか、羽織っていたツクヨミのジャケットに話を変えた。
「そういえば、お墓参りのときも紅い薔薇を添えていたわよね?」
「無駄に記憶力が良いんだな」
呆れた声で言う。
「ここで淡々と語れるほど、正直あまり余裕はないが……」
そう言って未月を見ると、答えてくれるまで諦めない、そんな目でツクヨミを見上げていた。
ツクヨミは観念すると、訥々(とつとつ)と話し始めた。
「薔薇は、HO2にも咲いていた可能性が高い花だ。さらに、その気高さと美しさの反面、棘がある。つまり、美しいだけでなく、誰かを傷つける一面も持ち合わせているということだ。それでも、咲くことを赦されているのだから、見ているだけで心強い。世の中、綺麗ごとだけでは済まされないことばかりだからな」
へぇと、未月は感嘆した。
「やっぱり、第一印象の通り、美しい死神さんだったのね? ぱっと見、生真面目そうなカチっとした髪型に、凛とした顔立ちだけど、そのクールなマスクの下には色彩溢れる豊かな心を持っていたのね?」
「そこまで言われると、意図がありそうだな」
「ないわよー。褒められ慣れてないとか? さて、あたいは、あなたのコンパニオンプランツになれるかしら?」
「ずいぶんと難しい言葉を知ってるんだな」
未月は肩をすくめた。
「月遊女は、様々な専門知識を持った客人を相手にするからね……」
どちらからともなく見つめ合う。
月遊女が、気持ち身をツクヨミに傾けたときだった。
部屋から持ち出した長い月のステッキがツクヨミの背中から落ちた。
「大丈夫?」「ああ」「そ、それって武器なの?」「そうだが」
未月は別の話題を振った。
「あ、そうそう。ひとつ言ってなかったことがあるの」
「なんだ?」
「予知夢で……あの、計り知れない、その……」
急にぎこちない口調になり、ツクヨミは目をしばたたいた。
「あ、圧倒的に……えっとなんだっけ? その、黒い力、塊が……えと、この世界を、世界そのものを破壊してしまうような、その、取り返しのつかないことが、起こって、だから、みんなが……」
ワンテンポ遅れて、未月の言語処理能力に障害が起こりだしたことに気づく。
突然、カチカチと点滅していた〈物語の種〉から次々と不快な音が鳴りだした。
ツクヨミは、小刻みに震えた未月の薄い肩をとっさに支えると、周囲の音に負けず劣らず「しっかりしろ!」と一喝する。
「ここは、生きている言語を分析、解読、排除、または集積する場所だ。あまり難しいことを考えようとしてはダメだ。〈種〉として回収されかねない」
未月は助言を素直に聞き入れようとするも、呼吸はどんどん荒くなっていく。
ツクヨミはもどかしい気持ちを抱えながら、クーがこもっている調整室の扉を見る。
待機すること七分。
室内は非常灯以外の灯りが完全に消えた。
それまで流れていた〈物語の種〉の動きも停止し、無音となった。
「走るぞ!」
ツクヨミは困惑する未月の手を取り、いくつもの非常口を横ぎって辿り着いた先のエレベーターに飛び乗った。