8、サンドライトの聴取
文字数 4,454文字
吸血姫の噂もさることながら、まもなく訪れる金星食の存在が胸をざわつかせる。
星読みとしてスピネルの能力には一目置いていた。
思い立ったら即行動のサンドライトは、急遽、洋館に来客を招いた。
警察が保管しているであろう〈死後の書〉の有無を確認する必要があった。
一時間も経たぬうちに、サンドライトの部屋に老村の警察官が現れた。
「大変お忙しいときに、わざわざお越しいただきありがとうございます」
執事のアレキが丁重にもてなす。
青二才の警察官は、室内の華美なインテリアに終始落ち着かない様子だ。
そこへ、九頭身のサンドライトが颯爽と登場。
入浴を終えたばかりとあって普段いっそうの色気を漂わせていた。無理もない。優雅にカールしたまばゆいほどの金髪には特注の香水がかけられており、素肌に肌触りの良い最高級のバスローブしか羽織っていないのだ。
警察官は、眼前の日本人離れした美男を前に座り直すと慌てて姿勢を正した。
「あなたが、薔薇の貴公子と呼ばれている箕島サンドライト様ですか」
「名前だけで良い」
サンドライトは、その苗字を呼ばれることを嫌った。
一方の警察官は、もっとフレンドリーに接しても差し支えないという意味に受け止めてしまった。
「サンドライト様、スピネル様、ヒスイ様のお三方の寄付で運営されているカフェや待合室はとても好評です」
ふと思い出したように、若い警察官はここぞとばかりに褒め称えた。
「それは、素直に嬉しい」
「ご先祖様を敬うお心はも本当に素晴らしいと思います。しかし、私がお三方のような御身分でしたら、おそらくもっと華のある都を買い占めて経営するでしょうね」
急に饒舌になってきた警察官に、サンドライトは不敵な笑みを浮かべた。
「面白い。だが、今のところはこの村ほどミステリーな場所はない。幸い、この洋館も気に入っている」
誰もが聞き惚れるほどの美声に、若い警察官はうっとりと目を細めた。
「それより、深夜に呼びつけて申し訳ない。
お詫びというわけではないが、最近スイスから取り寄せた最高級の茶葉を使って執事が淹れたロシアンティーを召し上がってくれ。口に合えば良いが」
断る理由もなかったので、適量のウォッカとジャムを混ぜて温められたロシアンティーを、若い警察官は遠慮なく味わった。
しかし、若い警察官には正直なところ、香り高い紅茶の味うんぬんよりも、サンドライトのひとつひとつの所作の方が魅力的に映っていた。
「ところで、君をここへ呼んだのは」
それまで正面に座っていたサンドライトが、急に男の隣に移動してきた。
ティーカップを落としそうになったことから、警察官が妙に意識し始めたのがわかった。
「警察は、真相を掴んでいるんだろう?」
サンドライトは男の耳に吐息がかかるほどの近距離で蠱惑(こわく)的に囁いた。
今度こそティーカップを絨毯の上に落としそうになったが、サンドライトのすべすべの右手で瞬時に支えられた。
「君はいい子だから。私には喜んで話すだろう?」
「い、いえ。いち警察官として、それは、それだけはサンドライト様がお相手でもできません」
肉食獣を前に怯える子ウサギのようにガタガタと身を震わせ、サンドライトの強いまなざしをかわそうとする。
無意識に出口を探すが、不思議なと入ってきた扉を見つけられなかった。壁面に描かれたエッシャーのような騙し絵デザインが視覚的に惑わせるためか、それとも、ロシアンティーに何か混入されていたのか。
「あくまでもこの話題にこだわられるのであれば、こちらの、し、仕事に差し支えますので、し、失礼させていただきます」
しどろもどろになりながらも、男がすっと立ち上がろうとしたそのときだった。
サンドライトは、必死に警察のプライドを貫き通そうとするいじらしい男の首筋に唇をつけた。
瞬間、サンドライトには視えてしまった。
てっきり、誰かが部屋の照明を消したのかと思った。
辺りが暗くなると、カッと見開いた瞳は炎に燃え、地べたまでつくほどの長い漆黒の髪をした女が、村人の首に髪を蛇のように巻きつけると、ギザギザの歯で容赦なく噛み殺した。命乞いする暇もないほど、村人は瞬時に意識を失った。
そして、幻聴とは思えないほどハッキリと耳元で囁かれた。
「まだだ、まだ足りない」
ぞっと背筋に悪寒が走った。
と同時に、妙な葛藤を覚えた。
理性ではけっして受け入れてはならない声だと思っていても、反面、運命的にその声を拒否することはできないともう一人の自分が忠告した。
はっと我に返ったときには、いつもの華やかな室内の照明が点いていた。
若い警察官も脱力していたが、彼の方はサンドライトの色気仕掛けが原因だろう。
「ゆ、許してください、サンドライト様がお知りになりたいことは、何でもお話ししますから」
男は両手でサンドライトの肩を押し上げた。
サンドライトは、男の背後に、いや、若い警察官の男そのものに得体の知れないものが憑りついていないか注意深く見た。
特にこれといった特徴のない男の目には、怜悧そうなサンドライトの顔が映ってるだけだった。
「いや、むしろ君とこうして戯れることができたからこそ、興味深い景色が見られたのかもしれない」
男は目を白黒させていた。
「いや、何でもないよ。私の独り言だ。それより、話してくれる気になってくれて本当に嬉しいよ。君は、可愛いね」
サンドライトはニッコリと微笑んだ。
しかし、若い男もまんざらではなかったのか、制服からもわかるほど股の下が盛り上がっていた。
「どちらから先にはじめようか?」
サンドライトは片目を閉じてからかうと、若い男は慌てて体の向きを変えた。
「ここ一年、老村では老若男女問わず行方不明者が続出しています。とは言え、日本國では、いや、世界中を見ても何も珍しいことではありません。日本國では年間、一万人以上が行方知らずなのが現状です。ただ老村の場合は不審点が多いのです。後日、行方不明者と似た顔を竹林で見かけたという情報が相次いでいます……。さらに聞けば、実年齢よりずっと老齢に見えたと証言するものが多いことが判明したのです。目撃だけでなく接触した者もいながら誰も連れて帰ることができない謎。中には遺体が見つかっているケースもあり、村長である私の義父が飼っていた愛犬もそこに含まれます。遺体には犬も含めてどれも必ず歯型が残っていて、血を吸われた形跡があるということです」
「村長が飼っていた犬だが……遺体が発見されたとき、古書を咥えていたというのは本当かな?」
刹那、警察官の顔色が変わったのをサンドライトは見逃さなかった。
「何の話を言っているのでしょう?」
「今さらとぼける気か?」
サンドライトは警察官を睨みつけながら強いトーンで言い放った。
警察官は、ひたいに尋常ではないほどの汗の粒を浮かべた。
「どこでその古書の話を聞いたのです?」
「私の弟たちは、情報通でね。それより、詳細を伺いたいんだが?」
先を促すサンドライトの目は、笑っていなかった。
「……はい。確かに義父の飼っていた愛犬は、年季の入った本を咥えていました」
「その本は、今どこにある?」
警察官はうつむきながら首を振った。
「それが、回収する際、一時的に保管していた場所から忽然と消えてなくなってしまったのです。認めます……これは、警察の失態です。ネベロングの時代に人々を翻弄させた〈死後の書〉との関連も無視できないので、我々としても重要な証拠品を紛失させたことを悔やんでいるところです……」
「その本が今どこにあるのか、おおよそ検討はつくが」
相手が聞き取れないほど小さな声でサンドライトはつぶやいた。
「ところで、その古書を君は実際に触れたのか?」
「はい」
「何か変化はあったか?」
「……変化とは?」
「もしそれが〈死後の書〉だったとすれば、悪いことは言わない。即座にお祓いをしてもらうべきかもしれない。その手から通じて魔力が乗り移ってしまうこともあるだろう」
サンドライトの忠告に、警察官は顔面蒼白となった。
「あ、いや、冷静に考えれば、死んだ犬に触れば無数の菌が付着するのは当然のことだろう?」
慌ててサンドライトは言葉を濁した。
「ああ、そういう意味でしたか。細やかなご配慮に感謝致します」
いつの間にか執事アレキが、新たな飲み物を警察官のティーカップに継いでいた。
警察官はティーカップの中身を確認することもせず、一気に喉奥へ流し入れた。
「さらに訊くが、犯人は特定できているのか?」
サンドライトが続きを促すと、警察官は興奮気味に答えた。
「危険区域とされている竹林で、人間離れした女を見たという目撃証言はいくつかあります。ご存知の通り、あの場所には極悪殺人鬼たちが眠っている墓地でもあります。オカルト的な見方をする者も少なくありません。ネベロングが生き返ったとする噂まで流れているほどですから」
サンドライトは、昨夜のヒスイとスピネルとの会話を思い出していた。
「一連の事件以降、好奇心で竹林に侵入する者が増えているのも事実です。中には中央から怖いもの見たさでやってくる命知らずもいるほど。また、一部の人にしか知られていませんが、あの土地には、幻覚症状を引き起こす麻薬植物が自生していますので、必ずしも目撃情報に信ぴょう性があるとも限りません」
「曰くつきの竹林だな……」
「それから……」
若い警察官は、ごくりと息をのんだ。
まだほかに出していない情報を隠し持っている様子だった。
「それから?」
「先日、竹林の中を捜索中に、黒い蛇のように動く植物を私自身が目撃しました」
「黒い蛇のような動きをする植物? それは、本当に植物なのか?」
サンドライトは間髪入れずに尋ねた。
「すでに陽も傾き暗かったので確証はありません。ただ、追いかけてきたので、命からがら逃げました」
男は当時の恐怖を思い出したのか、手足をガタガタと震せた。
サンドライトは警察官に近づき、恐怖を拭い去ってやるようにその手を優しく握りしめた。
「君は良い子だね。多くの情報を提供してくれたことに、心から感謝するよ」
本来ならば警察官が口にする台詞を、サンドライトはさも当然のように言ってみせた。
警察官は短い時間でよほど疲弊したと見え、少しだけここで休ませて欲しいと願い出た。
真夜中に呼びつけてさんざん“聴取”したのち、朝になる前に追い出そうとは鼻から思っていなかった。
すでに執事アレキが用意していた上質な掛布団を渡すと、若い警察官はすぐに眠りに落ちた。