5、記憶の波
文字数 3,334文字
しかし、アレキは彼らが"薔薇の貴公子”と呼ばれるよりずっと前から三人の多くを見てきた。
サンドライトは、2歳半からすでにピアノに触れていた。
スピネルは、外部の人間に限らず誰にも心を開こうとしなかった。
物心ついた頃には様々な理由で、三人とも母親はいなかったが、アレキの目には、人一倍ヒスイが母親を強く求めているように映った。
今と違って内気だったヒスイ。そのことに加えて、容姿端麗で神童と言われた麗しきふたりの兄と自身を比較して強い劣等感を抱いていたのもまた事実だった。
そんなある日、ヒスイは余命を宣告された。
手術で助かる確率は10%だとも言われた。
医師も親代わりだったアレキもその事実を伝えようとはしなかったが、サンドライトだけは違っていた。
ヒスイの部屋に入るなり、
「俺たちの体に流れている血は高貴なるものだ。ご先祖様のクリスは、多くの人々の不幸を摘み取り、多くの人々に幸福な生活を約束させた偉人だ。実際に語り継がれていることや、記録として残されていること以外にも、多くの偉業を成し遂げたお方だ」
と熱弁をふるった。
あまりに唐突だったこともあり、サンドライトの意図が見えずヒスイは面食らった。
だが、ここからが本題。
「だからこそ俺たちも団結し、父の、いや、それ以上の存在となって世界に名を残さなければならないのだ。すべては運命だ。受け入れなければならない。そして、打ち勝たねばならない。ヒスイ、たとえ短命だと言われてもだ」
このとき、サンドライト18歳、ヒスイ13歳だった。
ヒスイには、心揺さぶられるものがあった。
「久米島にある"さいはての浜”だ。ここへ行け。選ばれた者だけが、そこで伝説のドクターに出会える。無事に戻ってきたら、未来について話し合おう。弟よ」
そう言って、サンドライトはヒスイにシルクの小袋を手渡した。
その中には、インテール国際学生科学フェアと呼ばれる高校生対象の科学オリンピックで手にした賞金の一部が入っていた。
ヒスイは金額の大きさに驚いていたが、裏返すとお目当てのドクターと出会えるまでそうそう会うことができないことを意味していた。
「兄者だけだよ。ちゃんと言ってくれたのは」
「知るべきだと思ったからだ」
ヒスイは、強いまなざしを受けてはにかんだ。
「因みに、伝説のドクターの居場所を誰から聞いたんだ?」
「すべては俺の星読みだよ」
サンドライトには下心があった。
三兄弟の中で確かに一番の弟想いではあったが、本当の狙いはスピネルにも引けを取らない自身の星読み能力を知ることにあった。
そうだとしても、ヒスイは居ても立ってもいられなかった。
翌朝には滞在していた長崎を出て久米島に上陸していた。
一時間もかからずに一周できるこぢんまりとした島だったが、伝説のドクターに出会うことことは容易くなかった。着いて一週間、さいはての浜には毎日のように足を運んだが、水中の様子が一目でわかるほど透き通った海もまたヒスイに何も語らず沈黙を貫いていた。
他にも、城跡や公園に博物館もまわった。顔を覚えられて、地元の人から紅イモや味噌クッキーなんかをもらうこともあったが、島民の人たちと談笑するほどの心の余裕はなかった。
伝説のドクターに関しての手がかりを得られず悶々とする日々。
単なる宝探しならばすでに引き返していたかもしれないが、難病に打ち勝つ答えに出会えるかもしれない冒険ともなれば話は違った。
中学の頃から酒の味を知っていたヒスイは、老け顔を武器に久米仙を購入。ひとけのない浜辺でナッツをつまみながらちびちびと飲んだ。短い生涯を振り返りながらの晩酌は、精神的に応えたのか一筋の涙がこぼれた。人が少ない島にいると、天国もこんな感じなのかもしれないと何の根拠もなしに思った。
本人は、想像以上に思いつめていた。普段のヒスイからはまったく想像できないほど精神がすり減っていた。
「明日、最終便に乗るまでに出会えなかったら、諦めるか」
ヒスイは誰に言うわけでもなくつぶやいた。
結局、伝説のドクターを見つけることができなかった。
それをサンドライトに告げなければならないと思うと、情けない気持ちで圧し潰されそうになった。
重い足取りのまま、久米島空港へと向かった。
まさかここで、思いもよらない体験をすることになろうとはヒスイも夢ですら思わなかった。
空港に着くやいなや、航空券を買うためにカウンターに並ぼうとしたそのとき。
人の群れが前方から、左右から、背後から津波のごとく押し寄せてきた。
なにかのイベントかと推察してみたが、間違いない。空港にいるすべての人がヒスイを凝視していた。そして、時計の針とは逆回りに皆がいっせいに彼の周りをまわり始めた。
「何だ? いったい、何が起こってるんだ?」
その問いに、手を繋いでヒスイの周りをまわっていた少女が答えてくれた。
黒髪のショートカットで、短い鼻にそばかすの目立つ愛嬌のある顔立ちをしていた。
「十年に一回、この世とあの世の境界がゲリラ的に現れるのよ」
「どういうことだ?」
「うふふふふ。自覚がないのね」
ヒスイよりも背の低い可憐な少女は、白いワンピースをひらひらさせながらまわっていた。
「俺は、もう死ぬのか」
「何を言ってるの?」
少女は、まわりながらも口元に手を当てて驚いた表情を見せた。
「ここにいる人たちが、みんな死ぬのよ。あなただけが、生き延びるの」
その言葉は、13歳のヒスイを硬直させるのに十分過ぎるほど強烈な一言だった。
「どういう、意味だ……俺はただ伝説のドクターを……」
「私が、、、、だもの」
そう言って彼女はぴたりと足を止めた。
今までどうして気づかなかったのだろうか。
少女の、いや、周囲の人々も皆、下半身がなかった。
「あなたが呼び寄せたのよ。これはね、ある種、遺伝なのよ。不思議な現象を呼び寄せる体質なの」
少女の声が空港内に反響していた。
眩暈がして辺りの景色があいまいになってきた。
「セレーネは怒っているの。セレーネは感じてもらいたがっているの。セレーネは……」
少女は頭上を見上げ、祈るように両手をひとつにしながら独り言を始めた。
ヒスイが隣にいることも忘れて、少しの間、少女はセレーネを連呼し続けた。
「ねぇ、聞いてる?」
ふと、少女がヒスイを見た。
「……何がだよ?」
「いずれね、完成するのよ。……パークが!」
やがて、建物の中にもかかわらず頭上に大きな渦が現れた。
飲み込まれてしまうのだろうか。
怖い、怖い、怖い。
ハァ、ハァ、ハァ。
気づくと何もかもがモノクロになっていた。
色という色が、世界から失われた。
目覚めた場所は、馴染み深い寝室だった。
金色の髪が視線の先で揺れていた。
「兄者……俺は……」
サンドライトは、ベッドに横たわるヒスイの右肩に触れると、
「手術は大成功だよ」
と静かに囁いたのだった。
無謀とは思いつつも、少女の姿を目で探した。
人間が立っていられないようなところまで隅々と。
ユリが活けられた花瓶の後ろにはいないか。
シャンデリアの上に座っていないか。
鏡の向こう側に佇んでいないか。
結局、部屋のどこにもいなかったが、数日後に、意外な対面を果たすことになる。
「坊ちゃんの門出をお祝いするかのように、このタイミングで見つかりましたよ」
そう言って、アレキが渡してくれた写真を目の当たりにしたヒスイは驚愕した。
あの時の少女の面影が、そこにはあった。
「あれは、いつしかの母上だったのか……アレキ、いますぐサンドライトと話したい!」
しかし、サンドライトを前にすると何も話せなかった。
記憶の扉に鍵がかかったかのように。
ただ、兄者は嬉しそうだった。
自分には星読みの才能は皆無だと思っていたのだから。