4、薔薇の貴公子
文字数 4,490文字
こうして、〈薔薇の貴公子〉たちが勢ぞろいするのは実に三か月ぶりだった。
長男のサンドライトは、暖炉の上に高く駆けられた絵画を無言で見上げていた。
「処刑時の絵を描かせたのも、俺たちの先祖なのかぁ?」
背後から声をかけたのは三男のヒスイ。
サンドライトは、ヒスイを一瞥したのち絵画に目線を戻し、
「そう聞いているよ」
と艶っぽい声で答えた。
「ずいぶんと悪趣味だな」
「その感想は早計だな。私には、ベルナルド・ディ・バロンチェッリの素描を連想させる。狂気的なものは、裏を返せば、激しく美しいと言えるのだよ」
「狂気的なものは好きだが、俺は女の裸体をストレートに描いたもののほうが好みだな」
豪快に笑うと、小麦肌と対照的に白く並びの良い歯が目立った。
「で、兄者が言ったその、ベルナルド? バロンチリ? って誰だ?」
「わかっていないよね、ヒースはさ」
横やりを入れたのは、いつの間にか部屋の扉の前に立っていた次兄のスピネルだった。
彼は、昔からヒスイをヒース(荒れ地)と呼んで小馬鹿にする節があった。
「やっと来たな」
サンドライトは、振り返ってつぶやいた。
「待たせちゃったねっ。ほら、キミもちゃんと挨拶しようねっ」
そう言ってスピネルは、小脇に抱えていた黒ウサギのぬいぐるみをサンドライトの前に突き出した。
「覚えてるっ? ボクは、ドルーク」
声色を高く変えてスピネルは子供のようにはしゃぐ。
実際スピネルは、三人の中でも小柄で少年にしか見えなかった。
「ドルーク。ロシア語で友達。ふさわしい名前だな。こちらこそよろしく、ドルーク」
いつもサンドライトは、スピネルの遊びにも誠実に向き合った。
「サン兄は、相変わらず美しいねっ」
「その言葉は、私の好きな言葉だよ」
すっかり蚊帳の外になっていたヒスイは、「俺の質問に答えるの忘れてるぞ」とひとりごちた。
スピネルは、黒ウサギのドルークを手から下ろした。
一瞬にして興がそがれたのか、不機嫌な目つきになった。
「ベルナルド・ディ・バロンチェッリの素描はね、レオナルド・ダ・ヴィンチが若い頃に描いたスケッチのことだよっ」
ため息交じりに答えるスピネル。
「まぁ、ネベロングの処刑絵は、しっかり色をのせてるけど。まったく、それくらい知っててよねっ、ヒース」
そんな皮肉を言われてもお構いなしのヒスイは、ようやく腑に落ちたのか、満足げな表情を浮かべながらひと足先に着席した。
「でもさ、なんで美しいと言われていたネベロング嬢のお顔を曖昧に描いちゃったのかなっ?」
独り言ではあったが、サンドライトもずっと疑問に思っていることだった。
いよいよ専属の料理人とお抱えのメイドたちが、大理石の長テーブルに食事を運んできた。サンドライトは、皿の上に髪の毛が落ちないよう金色の巻き髪をひとつに束ねた。
手慣れた様子でメイドたちが、サンドライトの前には赤ワイン、スピネルの前にはソルト水、ヒスイの前にはウォッカをなみなみと注いだ。
乾杯の前に、執事のアレキが室内に入ってきた。
左目の下には太い剣で斬りつけられたような古傷が深く残っていたが、それを隠すかのように掛けた片眼鏡からは優しい目元が透けていた。
「こうして、お坊ちゃま方が勢ぞろいするのは何年ぶりでしょうか。早速ですが、集合写真を撮らせてください」
淡々とした物言いだったが、ときどき目尻にシワが見えた。
アレキの隣に控えていたメイドが慣れた手つきで三人の写真をあっという間に取り終えると、いよいよ乾杯となった。
ややフライングでグラスに口をつけたヒスイは、まるでウォッカを水も同然の勢いで喉奥に流しいれた。
「ヒスイ、まさかとは思うが」
「ん? なんだ?」
「この地を訪れた本当の理由を口外してはいまいな?」
弟が軽率な行動を取っていないか、艶っぽい声で諌(いさ)めたのは、長男のサンドライトだった。
「ん? わざわざ俺が口を滑らせなくとも、ここ最近の吸血姫騒動で、あのグネベロングがもしや生き返ったんじゃないかって話は村人たちもしてるぜ?」
三人の中で最も屈強な三男、ヒスイ。
女癖も酒癖も悪い上に三兄弟の中で最も口が軽い。
貴族らしからぬカジュアルなアイボリーのシャツからは、濃い胸毛が露わになっていたが、首にかけられた十字のペンダントは中央に薔薇がはめこまれた美しい意匠で、粗野な印象を与える彼の胸をセクシャルに彩っていた。
そんなヒスイが、霜降りも赤身も上質の薔薇牛を豪快に噛み千切ったところで、次男のスピネルも横から苦言を呈した。
「わかっていないよね、ヒースはさ。ネベロングの熱狂的な支持者だなんて、村人たちに知れたらさ、この洋館を焼かれちゃうかもしれないんだよぉ~? ふふ」
頬杖をつきながら話すスピネルは、どこか楽しそうに見えた。
銀色の髪で隠れた左目はそのままに、もう片方の目はサンドライトの背中合わせにある暖炉上の絵画に注がれていた。
「私が言いたかったことを代弁してくれたな。二百七十年ほど前の話とは言え、この村に住む人々の多くが当時の子孫なのだ。彼らにとっては悪魔も同然。さらに言えば、我々のご先祖様の名を傷つけることにもなりかねない。軽率な発言は注意しろ」
兄弟たちから忠告を受けることには慣れていると見え、ヒスイがふてくされることはなかった。
「でもなぁ、兄者も知ってるだろう? ネベロングはとびきりの美人だったんだぜ? クリスだって、ネベロングの甘い蜜を吸ってた時期はあるわけだ」
サンドライトは、呆れた様子で艶やかな長い髪をかきあげた。
ふと、背後からアレキが別添えソ-ス用に英国食器バーレイのグレイビーボートを運んできた。
「『堕天使の海老とトマト・シャルロット仕立て』におかけいたします」
アレキは、サンドライトにウィンクした。
サンドライトは、さりげないアレキの配慮にいつも感嘆していた。
ところで、三者三様の性格をしている兄弟姉妹は珍しくないだろうが、髪の色からもわかるように、三人は異母兄弟だった。
特段、それぞれの過去に触れてはならない暗黙のルールが敷かれていたわけではなかったが、いまだに詳しい生い立ちを互いに知らない。
ふと、サンドライトがフォークとナイフを皿に置き、シルクのナプキンで口元を拭いた。
「ところで、竹林で行方不明になっていた夫婦を見かけたとか、血を吸われた犬がいるとか、ここへきて奇妙な事件が続いているようだな。それも、女のしわざだという見方が強まっている。目撃したのは誰なのだ?」
アレキ、ヒスイ、スピネルの順に目線を向けて答えを求めた。
ヒスイは、注がれたばかりのビールを一気に飲み干してから、「俺は知らないな」とつぶやいた。アレキは首を横に振る。
やや間を置いてから、スピネルがボソッと意味深な言葉を漏らした。
「〈死後の書〉だよ。ドルークも言ってるし」
スピネルは、テーブルを介して正面に座らされていた黒ウサギのぬいぐるみを見た。
いっせいに三人の視線はスピネルに集まった。
「本当か?」
サンドライトが空かさず尋ねる。
「犬が咥えてたんだって」
「それは、本物の〈死後の書〉なのか?」
サンドライトは、執事アレキが注いだ濃厚な赤ワインを口にしながら引き続き質問した。
「でもね、そんな物騒なものを見つけちゃうと、村人たちが混乱しちゃうから警察は公表していないんだってねっ?」
スピネルの無機質な右目がわずかに細くなった。
「中身は確認済みか?」
「どうかなぁ。でもね、ある意味、〈死後の書〉かも、しれないよねっ」
「それは、得意の星読みで導いたのか?」
その一言には、サンドライトの心の底に渦巻くほの暗い感情が含まれていた。
星読みに関しては、スピネルに対して密かに対抗心を持っていた。
それを知ってか知らずか、スピネルは目を細めた。
ふたりが話に夢中になっている隙に、ヒスイはサンドライトの分まで最高級の薔薇牛を横取りしようとフォークを伸ばした。
「ヒスイ、私の薔薇牛も欲しければ、薔薇牛の素晴らしさを2つあげてみろ」
目ざといサンドライトはヒスイのフォークの先を手の甲で追い払いながら言った。
「え、や、やっぱり柔らかい歯ごたえじゃないか? あとは、その……」
とっさに答えられるはずもなく、ヒスイはサンドライトの薔薇牛を断念した。
「旨味と風味が絶妙なところだ。他の牛肉と決定的に違うのは、融点が低いことだ。薔薇牛に焼き色が付きやすいのはそのためだ。短い時間で火が通れば、当然ながら味わいも上質となる」
説明しながら、サンドライトは自分のナイフを丹念に磨く。
「まぁ、私がお肉ならばヒスイのようにガツガツ豪快に噛み千切られるのも悪くないがな」
サンドライトはそんな冗談を口にしながら、磨き上げたナイフで細かくカットした至極絶品の薔薇牛を咀嚼した。
態度の大きなヒスイがすっかり小さくなるのを横目で見たスピネルは、今にも声を立てて嘲笑いしそうになるのを必死に抑えていた。
「話は戻るが、核心に迫るような星読みができたのか?」
サンドライトは、『オーガニック野菜のホワイトバルサミコソースがけ』に口をつけようとしていたベジタリアンのスピネルに改めて訊いてみた。
スピネルは、バルサミコソースを先に指の先端につけて舌で味見をしてから、ようやくもったいぶるように自分の星読みについて語り始めた。
「日食や月食のように、火星や金星にも食があるのを知ってる?」
ヒスイは太い首を横に首を振り、サンドライトはさも知っているかのような顔をして続きを促す。
「とても稀な現象なんだよ。さらにね、その日が新月の日と重なるとね、真っ黒い新月のうしろにね、 火星や金星が隠れるから、夜空の中から明るい星がひとつ、闇に食われたように見えるんだ」
ヒスイとサンドライトは互いの顔を一瞥してから、心底楽しそうなスピネルに視線を戻した。
「要するに、その稀な現象が近いうちに起ころうとしているのか?」
せっかちな物言いで、ヒスイは真実を求めた。
「うん。それもね、三日後に金星が、」
一寸の間をおいてから、
「食われるんだ!!」
と、突然スピネルはフォークを目の前のトリュフに突き立てた。
口角を吊り上げ目を見開いたスピネルの突然の行動にヒスイは戦慄し、ゴクリと唾を飲み込んだ。
誰よりも長い時間を共にしているサンドライトとヒスイたちですら、スピネルの心の裡は読めないことばかりだった。もしかすると、眼帯をつけた黒ウサギのドルークが一番スピネルを理解しているかもわからない。
その後、スピネルは終始キャッキャキャッキャひとり笑っていた。