【地球・現在・回想】とある死刑囚の言葉
文字数 5,099文字
「そういえば……」
サンドライトは、顎に手を置いた。
「この書物と出会うより前に、〈ハブパーク〉について語っている者がいたな……」
運転するアレキにやっと聞こえるほどの声音でサンドライトはつぶやいた。
* * *
記憶は三年ほど前までさかのぼる。
粗暴で厳つい外見からは想像しにくいかもしれないが、ヒスイには意外にも繊細なところがある。
プラトニックな関係を貫いていた年上の彼女がいた。名前はレニー。
ヒスイが「今度会って欲しいやつがいる」と言ってから数日後に彼女は殺害された。
犯人の女生徒は同い年だったが、面識はなく、通り魔だった。
ヒスイはしばらく荒れ狂っていた。
執事アレキによれば、寝言でもヒスイは連日「ぶっ殺してやる」と言い続けていたらしい。
罪人の死刑確定から二年後の夏。
忘れもしない、この百年で初の四十度を記録した酷暑だった。
その暴力的な暑さは、まるでヒスイの荒れた心情を表しているようだった。
罪人の最期を見届けるため、ヒスイと共に処刑所へと向かった。
「兄者は来なくていい」と口にしたのは一回で、二言目には「俺が暴れ出したら止めて欲しい」と弱気な態度を見せた。
処刑所は、オーケストラなどの演奏が行われる音楽堂のすぐ裏で、博物館の廃ビルを買い取った建物だった。
受付の仏頂面の男に、ヒスイとサンドライトは身分証を提示した。
いわゆる〈薔薇の貴公子〉という特殊な身分ゆえ、奥のエレベーターまで難なく通された。エレベーターで十階まで昇る間、ヒスイは顔を強張らせていた。そのあいだ、薔薇がはめこまれた十字のペンダントをしきりに右手で触っていた。
円形のフロアを囲む廊下を時計回りに進むと、突き当りの扉の両側に武装した制服姿の男が憮然と立っていた。
「午前十時に死刑が執行されます。速やかにこちらからお入りください」
扉が開かれても踏み出そうとしないヒスイに、サンドライトは右肩に手を置いた。
やっとの思いで、ヒスイは大きく足を踏み出した。
部屋の中は、実に異様な雰囲気に満ちていた。
天井はかなりの高さがあった。サンドライトは、その高さにすぐにでも感謝したい気持ちにさらされた。
壁に張り切れなくなったのか、天井に掛けられなくなったのか経緯は不明だが、罪人たちの首が所狭しと並んでいたのだ。見せしめのつもりなのかもしれないが、いっせいに襲いかかってきそうな錯覚を覚えた。単純に、多数決をとれば善人には不利な空間なのだ。
処刑台の前には白い椅子が並んでいた。
三列に十席ずつ配置されていて、最前列には年配の夫婦と二十代の女性がふたりの計四人が危座していた。全員、見たところ欧米人だった。
ヒスイは前列のいちばん右端の席を取り、サンドライトはそのうしろに着席した。
斜め前に座っていた中年男性が右手首の腕時計を見たとき、神父とその付き人がひとり入ってきた。次いで、別の扉から手錠をした死刑囚が、両隣を制服姿の男に固められてやって来た。
死刑囚は、浅黒い肌に黒髪ショートヘアで、短い鼻とそばかすが特徴的だった。ひたいと手首、首回り、耳たぶに刺青をしていた。目つきは鋭く、右の眉は意図的に剃られていた。
罪の意識を感じているのか、それとも判決に最後まで抗う態度ゆえなのか、女は俯いたままだった。
全員の顔が揃うと、神父だけがこちらに身体を向けた。
小脇に抱えていた書物を開き、正面で拘束されている死刑囚に重たくも長い言葉を唱え始めた。それは、英語でもなければ日本語でもない言語だった。レニーを殺害した女死刑囚は、南の島の少数民族ヘナ族の出だった。
死刑囚だけに告げる言葉ではあったが、ヒスイは彼女の母国語をおおよそ理解していた。
神父の言葉が終わると、今度は死刑囚に発言の場が与えられた。
ここで謝罪する者もいれば、振り返って親族を罵倒する者まで実に様々だ。
女死刑囚の第一声に皆が注目した。
「私、シュシュ・ハンサは、この世界で犯した罪を、これから向かう場所まで持ち込むつもりは毛頭ありません」
動揺が走った。
職業柄、神父からすると珍しいことではないのかもしれないが、サンドライトは両目を大きく見開き、ヒスイにいたっては肩を怒りに震わせた。
「私、シュシュ・ハンサは、あらゆる罪人が最後に向かう場所とされている〈ハブパーク〉へと旅立ちます。そこは、国籍も性別も犯罪歴も経済力の有無に左右されることのないユートピアだと言われています」
「ユートピアって……。おまえの理想の地にも、おまえの首を狙ってる俺のクローンがうじゃうじゃいるってことを覚えておけ」
サンドライトの隣で、ヒスイはぶつぶつと怨念を唱えていた。
妨害と見なされれば部屋から追い出されることもあるだろうが、たとえこの場でヒスイが激昂してもサンドライトはとことん付き合うつもりでいた。
「運が良ければ、第二の地球へわたることさえできるとまで言われています。この世には、天国も地獄もありませんが、〈ハブパーク〉は確かに存在しているのです。私、シュシュ・ハンサは新たな人生を始めるために、いったん、シュシュ・ハンサの名から遠ざかります。最後に、被害者のレニー・サルビア、その遺族の方々に申し上げることは、とても不運であったということ、だけです」
サンドライトには死刑囚の発する言葉の意味はわからなかったが、ヒスイの顔を見れば、彼女の言葉が被害者に対して侮辱的なものでしかなかったことは嫌でも察することができた。
「ほかに何も言い遺す言葉はありませんか?」
神父が女死刑囚に冷然とした口調で尋ねた。
間を置かずに、女死刑囚は憎らしいほど横にハッキリと首を振った。
前のめりになったヒスイを、サンドライトは反射的に制した。
「それでは、死刑を執行いたします。最後まで正視されたい方はそのままお座りください。退出をご希望される方は速やかに向こうの扉から退出してください」
このタイミングで立ち上がる者はいなかった。彼らがレニーの親族なのは一目瞭然だった。
「座席の下にある機器を膝の上に置いてください。私のうしろにある時計がカウントダウンを開始しました。こちらが0になったタイミングで、その機器の中央にある赤いボタンを押してください」
誰も押さなかった場合どうなるのか?それについて、さも常識だと言わんばかりに、スピネルがあっけらかんと解答したことがあった。
誰も押さず死刑が執行されなかったことが過去に一度だけあるという。つまり、遺族が死刑まで望まない場合だ。死刑を免れる代わりに、終身刑となる。
サンドライトの正面に座るヒスイは、両目を吊り上がらせ、無言ながら今にも機器を壁に向かって投げつけそうな勢いだった。
たちまち神父たちと客席のあいだに透明の壁が下りてきた。
死刑囚の両隣に控えていた男は、歴代の罪人たちの首が掛けられてある壁に、死刑囚の首と手足とを固定させると、その場から離れた。
そのとき、冷たい部屋に誰かの歌声が響き渡った。
女死刑囚、張本人のシュシュ・ハンサだ。
少数民族のヘナ族で冠婚葬祭の際に必ず歌う歌だったと後日知る。
「アイヤヤー ホレホレアパー ライヤヤー ホレホレホレラパー」
夢にまで出てきそうなおぞましい光景だった。
そして、ついにカウントダウン。
機器を握る皆の手に汗が滲む。
五、四、三、二、一、ブウウウウウウウ
けたたましいブザー音と同時に、死刑囚の首を拘束していた金属が一瞬にして首を切断した。
処刑場を出ると、ヒスイは荒れ狂う猛獣のごとく逆上した。
サンドライトの両肩を激しく揺らし、コンクリートの壁に押し付けるように飛びかかったほど。
「〈ハブパーク〉には、俺たちも行けるのか? なぁ、兄者? そこでのうのうと生きてるあいつを見つけたら、即座にぶっ殺しても良いか? いやい、即死はさせねぇな! じっくりナイフで体中のパーツというパーツをえぐりとっていたぶってやる! 畜生、畜生!」
ヒスイの怒りは頂点に達していた。
あまりの興奮状態に、サンドライトは返す言葉もなかった。
しかし、こんな状況でもヒスイは死刑囚の母国語を正確に記憶していた。
「皮肉もいいところだ。兄者が、金までくれて俺に伝説のドクターを見つけてこいといった久米島で、あいつと似た女に会った。俺の想い出まで汚してくれた」
「あいつって、死刑囚のシュシュ・ハンサに似てたのか?」
「ああ。黒髪で、髪は短く、鼻も低くて、そばかすの目立つ顔だった。だが、久米島で出会った少女は……」
その時、記憶にかけられていた施錠がカチッと音を立てて解除される感覚があった。
---十年に一回、この世とあの世の境界がゲリラ的に現れるのよ
---どういうことだ?
---うふふふふ。自覚がないのね
---俺は、もう死ぬのか
---何を言ってるの?
「ああ、なんだ、なんか、頭が痛い……ズキズキする。刃でグサグサと突き刺されるような激しい痛みがする」
「大丈夫か、ヒスイ。すぐに救急車を呼ぶ」
サンドライトはこのとき、過度のストレスが引き起こしたものとばかり思っていた。
---ここにいる人たちが、みんな死ぬのよ。あなただけが、生き延びるの
---どういう、意味だ……俺はただ伝説のドクターを……
「誰だ、誰なんだ。そもそも、ここはどこなんだ」
ぐっしょりと汗をかいて悶え苦しむヒスイは、救急車の中で数々の奇妙な言葉を発した。
「あなたが呼び寄せたのよ。これはね、ある種、遺伝なのよ。不思議な現象を呼び寄せる体質なの!」
終いには、女の口調で叫び出した。
「いずれね、完成するのよ。ハブパークが!」
その日、ヒスイは鎮静剤を打たれて病室で深く眠った。
その後、薔薇の貴公子の三人は、少数民族のヘナ族について調べたが、彼らの信仰に〈ハブパーク〉というものが関わっている事実はなかった。
それどころか、〈ハブパーク〉という言葉を知る者はヘナ族に誰ひとりとていなかった。
唯一、気になったのは、シュシュ・ハンサが半年間牢獄されていた場所には意味深な手記が遺されていたという点だ。
許さない 許さない 鳥かごの中から いつまでも許さない セレーネより
意図的に指を切ったのか、赤い血で滲む指紋がその文字に被せられていた。
彼女が末尾に書いたセレーネとは、おそらくギリシャ神話の月の女神のことだろう。真っ先に思い浮かぶのは、エンディミオンとの悲話だが、女死刑囚の身辺で痴情のもつれがあった可能性は低い。むろん、字面通りセレーネという名の人物との接触も警察は調べ尽くしたようだが、特に犯行動機に繋がる情報は入手できなかったようだ。
認めがたいことだったが、それ以上〈ハブパーク〉に関しても知ることができず、お手上げ状態となってしまった。
兄弟は気づかない。サンドライトが星読みから導いたヒスイの久米島への旅が、〈ハブパーク〉へ向かう道のりの第一歩となることを。
ふと、サンドライトは西の方角を見た。
一列に並ぶ針葉樹林の先の、途方もない距離の果てにあるあの音楽堂に思いを馳せる。
ヒスイが見せてくれたレニーの踊り、ではなく、それを見守るヒスイの優しい横顔が脳裏をよぎる。
―――これほどいい女なのに、この俺が一度も抱かなかったんだ
サンドライトは、ヒスイの弱々しい一言を思い出す。
何も言葉を残さずに老村を出てしまったことを後悔しているのだろうか。いや、それは否とサンドライトが自嘲気味に首を振る。
「坊ちゃん、今日はレニー様の命日でございますね」
それを聞いたとき、サンドライトは静かにアレキの後頭部に視線を向けた。
まだ知らない彼の底知れぬ超能力をアレキの中に見た気がした。