19、束の間の休息
文字数 1,748文字
村役場の前では祝いの儀式が催され、村人たちに笑顔が戻っていた。
ヒスイは、サンドライトが覚醒したことや、誰もが予測できないほどの野望を抱きはじめたとはつゆ知らず、老村の人々から次々と酒を注がれていた。
群衆の中には中央から来ている高官もおり、終始、大盤振る舞いだった。
「是非とも、あなたには国のために働いていただきたい」
「ヒスイ様は独身でおられると聞きましたが、妻を娶るご予定はありますかな?」
酒の匂いを漂わせながら、ヒスイにそんな甘い言葉を囁く者も大勢いた。
生まれた時からVIP待遇には慣れているとは言え、その多くはサンドライトやスピネルが横にいることが前提なのは、さすがの彼でも理解していた。だからこそ、今日は自分だけ特別待遇であることがこの上なく至福に感じられた。
しかし、酔いが醒めた頃〈薔薇の貴公子〉三兄弟の運命が三者三様なのを思い知ることとなるのだった。
退屈そうな儀式には初めから無参加だったスピネルはと言うと、洋館の地下室へと先に帰っていた。
そこにいたはずの老夫婦は、とうに消えていた。古書に吸い取られたのか、はたまた輝夜姫がこの世界から消えたことで〈回収〉されてしまったのか、それはスピネルにもわからない。
ただ、輝夜姫の〈物語〉が閉じられたことだけは確かだった。
「ちょっと、遊びすぎちゃったかなぁ」
小さい頃から溺愛している赤い目をした黒ウサギのぬいぐるみを抱き寄せながら、スピネルは独り言をつぶやいた。
「サン兄は知らないだろうなぁ。食が早まってしまったもうひとつの要因をね。僕が過去と現実を行ったり来たりしたことで、時空が少し歪められちゃったんだよね~。ん~、古書ってやっぱり奥が深いよね。まさか、未来にまで行けちゃうなんてね。ふふ」
失明したはずのスピネルだったが、それをハンデとはまったく感じていなかった。
その証拠に、黒ウサギのぬいぐるみから眼帯を手早く取り外すと、そこにある眼球を己の右目にあてがった。すると、それに共鳴したように、スピネルのもともとある左眼の義眼から奇妙な音がし始めた。
まるで、ブリキのおもちゃが動き出したようなガチャガチャ音。
「酷使しすぎちゃったみたいだから、これからはキミが僕の右目となってくれる?」
スピネルのおねだりに、黒ウサギのぬいぐるみは意思を宿したようにうなずいた。
「次に来るブームは、シェイクスピアの〈ヴィーナスとアドーニス〉か、それとも、ママが恨む〈月の物語〉か……。どっちだろうねぇ?」
ふいにスピネルは、壁に並ぶデスマスク、ベネチアンマスク、ファントムマスクなど多種多様な仮面のうち、黒と金のアシンメトリーのマスクを手に取って装着しようとした。
すると、顔面い吸いつくようにマスクが手から離れた。
「好きだなぁコレ。うっとりするよっ」
スピネルは、ゴシック調の姿見の前に立ち、鼻から顔上半分が覆われた己のマスク姿を見て興奮気味に言った。
右の目の周りは、太陽のフレアをイメージした模様が眉をも巻き込むように墨で描かれており、左の眉は、吊りあがった眉尻がみっつに枝分かれして巻き毛模様になっている。
次の瞬間、スピネルは宙を仰ぐように両手を揺らし、儀式めいた舞を始めた。
「ふふ。ますます面白くなってきたなぁ。奇(く)しくもサン兄は、この老村でネベロングや黒い輝夜姫と同じ道を辿ってしまったんだねぇ。それから、見逃せないのがアレキだよね。多くの謎に包まれてる。ん~僕としては、そっちも気になるなぁ……。今後はますます過去と未来の書物を宙の星々と共に読み解かなければならないなぁ」
独り言なのか、歌を歌っているのか。
スピネルの舞は、形容しがたいものだった。
しばらく舞続けていたが、最後は両腕をピンと伸ばし、足を交差させて決めのポーズで締めくくった。
「さーて、大仕事になりそうだから、とりあえずちょっとだけ眠ることにするね?」
スピネルは、子供のような無邪気な笑みをウサギのぬいぐるみに向けると、寝床代わりにもしている棺の中に体を入れた。
その寝顔は、いつになく幸福に満ち足りた表情をしていた。