【地球・現在】出立
文字数 3,535文字
眼下に広がる老村には、控えめながらも赤や黄に色づいた樹々が寒々と風に揺られていたが、洋館の屋上には人の気持ちを和ませる薔薇が生き生きと咲き乱れていた。
そんな薔薇一色の屋上で、サンドライトは日本の伝統工芸品を物色していた。器から感じる日本料理の奥深さについて、昨夜アレキに教わったばかりだった。テーブルに並べられたアレキの私物である上質な器をひとつひとつ手に取りながら、小動物のように愛でた。
---料理と器のマリアージュは、わたくしと坊ちゃんの関係と似ているかもしれませんね
---互いに切っても切っても切れない関係ってことか? それとも、互いの美を引き立てあう関係って意味か?
---前者の方であります。わたくしにも美しさがあるとすれば、それは坊ちゃんの輝きを反射しているだけでしょう
---うまいことを言うな、アレキは
会話を思い出しながら、サンドライトは陶磁器に用いられる瑠璃釉(るりゆう)の器を手に取った。ナルシストな彼らしく、自身の瞳の色を彷彿させるとして、有田焼の瑠璃釉の酒器を気に入ったようだ。
器の美を学びながら、優雅なひとときを過ごすはずだった。
突然、テーブルがガタガタと揺れ始めた。連鎖してテーブルの上の上質な食器も怯えるようにして左右に揺れ動いた。
迎えに来たのは、ほんの六、七つほどの双生児だった。
サンドライトは、おもむろに顔を上げた。
どちらもアイボリー色のマントを羽織り、透けたレース素材のスカーフで顔をすっぽりと覆っていた。右手に立つ少年は左手で、左手に立つ少女は右手に、自分の背丈よりも長い鎌を握っていた。
「器も生きている。おまえたちには、この言葉の意味がわかるか?]
至極冷静に問いかけたが、双生児は言葉の意味を理解できないとでも言うように無反応。
「速やかにこの場を立ち去る意思はないのか?」
くすんだ赤い血でべったりと染まった鎌を見るなり、サンドライトは仰々しく言った。
「すでに誰かと楽しんできた帰りか? そうだとすれば、ひとつ覚えておいてもらいたい。私と一戦を交えたいと思うならば、武器を清潔な状態にしてから来るんだな」
薔薇の香りが夜風にのってサンドライトの鼻腔をかすめる。
「ここは、薔薇よりも極端に美しいものも、それより醜いものも立入禁止なのだよ」
サンドライトが両眼を閉じて、薔薇の香りに酔いしれる素振りを見せたそのときだった。ふたつの鎌が瞬時にサンドライトの頭上で交差した。
迷いのないひと振りに半ば感心しつつ、それが振り下ろされる寸前に身を交わし、少年を右足で華麗に蹴飛ばした。その反動で、花壇を囲う壁に衝突してゴムボールのように跳ね返ってきた少年が、戸惑う隙も与えられなかった少女の頭上に見事命中。
ほんの数秒間の出来事だった。
呆気なく息を引き取ったかのように見えたが、双生児が持っていた鎌がふたつとも消えていた。
サンドライトが訝しげに周囲を見渡すと、足元の薔薇がいっせいに同じ方角に傾いた。
どれもサンドライトとアレキが手塩にかけて育てた薔薇だ。
むろん、普通の人間にはその些細なサインには気づけないだろう。
その中で一輪だけが月の光に対し、わずかに背を向けて咲いていた。
サンドライトは、右手の袖に隠し持っていた短剣を滑るように出すと、うしろを振り返る ことなく背後の敵に素早く投げつけた。
「ぬわぁぁ!」
夜空を裂くような悲鳴が聞こえた。
ここで初めて踵を返すと、薔薇の絨毯の上で双生児のどちらにも酷似した、中性的な顔立ちの子供が倒れていた。
「三つ子だったのか? それとも、三人に分裂していたのか?」
サンドライトがほくそ笑んだ直後、ふたつの鎌が左右から回転しながら飛んできた。
これにはサンドライトも迂闊だったと見え、背中に緊張が走ったが、自らの腕でそのふたつを弾き飛ばした。
これ以上の掛け合いは興を削ぐと判断したのか、起き上がろうとする子供の首を捻るように掴み、あっという間に窒息させた。
サンドライトは、自身が鬼のような形相で子供を始末していることには気づいていなかった。
「坊ちゃん」
いつの間にか、アレキが駆けつけていた。
サンドライトの内面に潜む邪悪さを、アレキはたびたび目撃していた。
「そろそろ、ここを旅立つべきではありませんか?」
その問いに何も答えずにいると、アレキはまわりくどい言い方をした。
「坊ちゃんは、あれ以来、月人との戦いを愉しまれているように見えますね」
サンドライトは、テーブルの上に視線を移した。
「アレキ、おまえはここ最近の私の乱れた感情を察して、あらゆる方法で和らげようとしてくれていたのだな」
アレキはすぐに答えなかった。
夜空と薔薇と伝統工芸の器が、まるでサンドライトに同情の目を向けているように見えた。
「おまえも気づいているのだろう?」
サンドライトは自嘲気味に言を継げた。
「私のもとへ来るものが、月から派遣される〈葬除人〉ではないことを……」
横目でアレキを一瞥したが、頬の筋肉ひとつ動かさなかった。
「実のなる木は花から知れる。一級の〈葬除人〉は、もっと怖れるべき者をターゲットとしているのだろうな。子供の頃から、あいつは異彩を放っていた」
双生児との戦いで犠牲となったた赤い薔薇の花を拾い上げながら、サンドライトは複雑な心境を口にした。
―――とにかく兄弟を信じなさい。そして、サンドライト、あなたも、あなたも……
ふいに、記憶の声が降ってきた。
黒輝夜姫に囚われていたとき、意識の中で母……いや、白い輝夜姫が言い遺した言葉が今さらながら思い出された。
助言を請う相手が違うぞ、サンドライトはその声をかき消すように心の中で念じながら頭を左右に振った。
「坊ちゃん……」
執事アレキの声で、サンドライトは我に返った。
「ああ。認めたくはないが、私自身もあいつのことを心の底では怖れている」
サンドライトが弱音を吐くときは、新たな目的を見つけたときでもあった。
「今までは、自分が世界の中心だと思って日々過ごしてきた。むろん、あいつを脅威に感じたり、自分がいる世界が小さ過ぎることに失望と焦燥感を覚えたりしたこともある。だが、物語のフタを開けてみるとどうだ? 自分を、もっと高みから操るやつらがいることに気づいてしまった。〈物語ロード〉の秘密を知ってしまった以上、目指すところはただひとつだ、なぁアレキ?」
アレキが片眼鏡の裏にある眦を濃く光らせた。
「しかし、階級が低いとは言え、殺害した〈葬除人〉はこれで七人目でございます。これ以上の殺生は、」
アレキがすべてを言い終えぬうちにサンドライトは言葉を被せた。
「母上を殺めた時点で私は賞金首だ。それより、いつからアレキは傍観していたのだ?」 その質問に、アレキは「坊ちゃんの物心つく、それ以前から」と早とちりな答えを口にしそうになった。
「ここの薔薇は、わたくしと坊ちゃんの共同作品であります。薔薇に異変があれば、すぐに違和感を感じます」
どんな状況でも、執事アレキの口ぶりは穏やかだった。そんな彼のブレることのない対応は、サンドライトにとっていつもどこか心強く感じられた。
「黒光りした竹を、金星は圧倒的な存在を持って破滅させた。そんな圧倒的な力を私も手に入れたいと思う。アレキ、おまえはどう思う?」
「坊ちゃんの星読み能力を、いっそう覚醒させるために、金星が持つ聖なる力をお借りしたいというのであれば、もちろんお供いたします」
サンドライトは、髭のないつるりとしたアゴを右手で摩りながら、謎めいた笑みを浮かべた。
すっかりお尋ね者となってしまったサンドライトは、〈金星〉へ向かうことを決意する。
しかし、ロケットで向かうわけではない。
すでにアレキとサンドライトは、星読みを通して裏ルートの情報を掴んでいた。一部では、噂に尾ひれがついてユートピアとまで言わしめるほどの場所だったが、そこへ行って帰ってきた者は皆、記憶が焼かれていた。精神的にも狂ってしまい、挙句の果てには身投げしてしまうという悲惨な末路を辿っていた。
それを知ってもなお、サンドライトの中で金星までの裏ルートは好奇心と欲望を掻き立てた。
「アレキ、昨日話してくれた〈ハブパーク〉まですぐに案内してくれ」
「かしこまりました」
執事アレキは、長く伸びた白い眉毛の下の両目を細めた。