〈竹取物語〉に異変あり!
文字数 1,926文字
なのにそこで働く作業員たちは誰ひとりとして表情を変えない。何が起きているのかを理解していない証拠だ。彼らが想像できることと言えば、せいぜい命にかかわる分かりやすい事象、足元の空調の故障程度になるだろう。
月人たちが地球人の体質と決定的に違う点は、足の裏で呼吸をすることだ。そのため室内には必ずと言っていいほど足元に空調設備が備わっていた。
作業員のひとりが“深いため息”を吐いた。周りの作業員もその仕草を真似て、ぎこちないため息をもらす。
しかしこれは、唐突に作業を中断させられて本気でやる気を失ったわけではない。
時々見られる、地球人の真似っ子遊び。
無数の物語を解読していく工程で、月人たちには新鮮に写る地球人の感情の起伏や表現を取り入れたものだった。
今度は別の作業員が、中央に設置された数十メートルほどの言語タワーを“呆然と”見上げたり、足元の空調に沿って置かれた椅子に腰かけて上からの指示を“貧乏ゆすり”しながら待った。
やがて、蒼白と化した工場長、いや、〈物語ロード〉の物語総指揮官アマルが両側に部下を引き連れて直々にお出ましになった。
スクリーンを通してでしか見る機会のないアマルの奇抜な被り物に作業員たちは一瞬、釘付けになった。月のどこかで生きているとされる伝説上の怪魚〈オオイカヅチザメ〉の兜は、ゆうに三十キロは超えると囁かれているが、誰にも触れさせないためその真相は謎のままだった。鍛え上げられた上半身を見せびらかしたいのか、常に半裸で生活しているのもアマルの特徴だった。
「起立!」
総指揮官の右手に控えていた黒い短髪の182、2センチはある黒装束の男が凛とした声を張り上げた。月人の平均身長が187、3センチなので、やや小柄な方だ。
「アマル総指揮官殿に敬礼!」
今度は左手に控えていた、やはり同じくらいの上背がある黒装束の男が厳命した。
いっせいに起立した作業員たちは、手首から肘までピンと伸ばした状態から右手を胸元に素早く動かして頭を下げた。
「ドクターロボたちによる緊急検査に入る! 非常事態が解除されるまで各自、小部屋に完備されている冷却シャワーを浴びて次の長時間労働に備えること、以上!」
冷却シャワーは目に見えないが、主に脳味噌や眼球にあてると抜群の疲労回復効果がある。
ふと、大勢の白猫型Dr.ロボたちが室内になだれこんできた。
黒猫型ロボのクー同様、多くの白猫型ロボの中に名前が与えられているものがいた。
その名はDr.アイ。彼女もまた感情を持ち、月人と難なく会話することができるだけでなく、この星一番の名医だった。
宝石キャンディを舌の上で転がしながら彼女も検証に加わる。
やがて、白猫型ロボのDr.アイは、室内にドクターロボしかいないことを確認すると、アマルの耳元で経過を報告した。
「〈竹取物語〉に欠かせないヒロイン輝夜姫を、いつものように流れ星にのせて、地上に送り届けていましたニャウ。しかししかし、今回は〈竹取物語〉の物語が始まったという連絡は、一向に入ってこなかったニャウ。そこでそこで、物語空間へ月人の調査部隊を即時派遣させたニャウ。その結果、戦慄してしまうほどの事態が起きていることが判明したニャウ」
極端に長い下まつ毛の上で、蒼く大きな瞳を鋭くさせるアマルは、訝しげにDr.アイを見た。
「どれほど戦慄するものか、述べてみろ」
白猫型ロボのDr.アイは、慌てて白いもこもこのポシェットの中に手を入れた。重大な情報が入った資料を取り出すのかと思えば、べつの宝石キャンディを取り出して口の中へと放り込んだ。
「地上へと生み落とした物語の種が、〈物語ロード〉を落下中、ふたつに割れてしまったニャウ。つまりつまり、どちらの〈輝夜姫〉も生気が弱まったことになるニャウ。しかししかし、事態の恐ろしさはここからが本番だニャウ。ふたつに割れた一方の〈白い輝夜姫〉は、生気ばかりか、思考力、運気、精神力まで衰えて、ついには〈死〉に食われてしまったニャウニャウ。他方の〈黒い輝夜姫〉ですが、落下した場所が最悪だったニャウ。何を隠そうそこは、歴史に名を残す極悪人たちが眠る墓地という話ニャウ。黒い魂ほど生への執着は計り知れないニャウ。本来ならばすぐに排除しなければならないニャウ……」
アマルは、意図的に蒼く塗られた唇を浅く噛み、両こぶしをこするような仕草をした。兜と同じ素材の厳ついグローブ同士が鈍い音を立てる。
物語の監視・指導責任にあたる彼にとって、やはり憂慮すべき事態だった。