【…・…】〈物語ロード〉の終着点

文字数 10,106文字

 〈ハブパーク〉から出られなくなり、ただ望まれない死を待つ者たち。 
 一度はサンドライトの熱意にほだされたが、何も言わずに姿を消したことに深い絶望だけが残った者たち。
 日陰にいればマインドコントロールから逃れられるというサンドライトの言葉すら信じられなくなったのか、ひとり、またひとりと大聖堂から離れていった。
 サンドライトが作戦を放棄したのではなく、誰かに作戦を阻止され、さらわれたと考えられたのはまぎれもなく薔薇の貴公子ヒスイだけだった。
 ひとまず、ヒスイは、レニーの形見である十字のペンダントを渡しておいた〈顔のない女〉を探すことにした。
 しかし、スムーズにはいかない。日陰を通らなければならない上に、今日は〈祈りの日〉ともあって、ひとつの方向に雲霞の如く人々が押し寄せているため、思うように身動きがとれなかった。
 顔がない分、探すには不利だったが、辺りを注意深く見ながら必死に探し続けること十数分。
 その声は、幻聴ではなかった。
 「貴族様!」 
 顔を上げると、そこには〈顔のない女〉が佇んでいた。
 「おまえの方から見つけてくれとは……。兄者は、兄者はどこにいる?」
 ヒスイは不安と焦りで、彼女に半ば脅すようにして詰め寄った。
 「立ち入れない場所。月の者しか……」
 「おい! なにか秘策はあるんだろう?」
 思わず声を荒げるヒスイ。
 〈顔のない女〉は、少しの間をあけてから声を震わせて答えた。
 「〈ハブパーク〉に隕石衝突、〈物語ロード〉の燃焼、太陽の天罰……祈らせない、人々を……」
 星読みの力もなければ、知略派でもない直情型のヒスイは、〈顔のない女〉の言葉をすんなりと読み取ることはできなかった。
 「あああああ。もっと、具体的な案はないのかよ!」
 苛立ちは、何も彼女だけに向けられたものではない。
 己の非力さをも恨めしく思うヒスイは、髪を両手で掻きむしった。
 こうするあいだにも、〈ハブパーク〉の餌食となった者たちは一か所へ大移動していた。
 「もう一度、もう一度、言ってくれ」
 「〈ハブパーク〉に隕石衝突、〈物語ロード〉の燃焼、太陽の天罰……祈らせない、人々を……」
 「最後のは、祈らせないようにすれば良いって意味だよな? それは、物理的に阻止しても意味がないのか?」
 「無意味」
 〈顔のない女〉は、ズバッと吐き捨てた。
  が、まだそれには続きがあった。
 「物理的な攻撃は。月神より、とにかく、神秘的な力があれば、皆は祈りを中断……」
 神秘的なものでヒスイが真っ先に連想するのは、サンドライトとスピネル、まさにふたりの存在だった。
 「いや待て……あるぞ!」
 ヒスイは、希望に満ちた声を放つ。
 「持ってきたぞ!」
 ヒスイは黒いマントの下でゴソゴソと何やら探し始めた。
 誰にも奪われないよう背中に括り付けていた一冊の古書を取り出し、
 「これだ!」
 と得意げに叫んだ。

 さかのぼること半年前、村役場で行われた祝賀会でのこと。
 村役場での祝賀会で浴びるように飲んだ酒で酔い潰れたため、サンドライトとアレキが老村を出たことを知るのが遅れてしまった。
 置手紙ひとつなかったことに憤り、行先を知っているだろうスピネルに問い質そうと彼の地下牢に足を踏み入れた。
 ところが、そこはもぬけの殻だった。
 初めて入るスピネルの聖域。
 薄暗いだけならともかく、長くいれば気が狂いそうになりそうなアイテムが狭い地下室を囲っていた。おかげで、頭に血が上っていたのが嘘のようにおさまった。
 年季の入った古書に棺。見知らぬ星座のポスターや色もデザインも大きさも多種多様なデスマスク。
 ふと、ヒスイは何かにつまずいた。 
 分厚い古書だ。
 他の古書はすべて言語ごとに書棚に正しく並んでいたが、その古書だけページが開かれたまま無造作に置かれていた。
 ヒスイはそれを持ち上げようとしたが、古書は微動だにしなかった。怪力のヒスイでも持ち上げられないとならば、人の手では無理だろう。
 しかたなく古書の前に座って読むことにした。
 しかし、ページに並んでいる文字はまったく馴染みのない言語に面食らう。
 それでも、ヒスイの興味を惹きつける言葉なのだろうか。
 気づけば一心不乱に、びっしりと隙間なく書かれた文字を右のページの冒頭から、左のページの一文字まで目で追っていた。
 形だけの「読書」を何度も何度も繰り返していると、不思議と「スピネル」の名前だけヒスイの読める文字に変換されて読むことができた。
 スピネルの四文字だけ赤かった。
 とにかく読み続ければもっと知っている単語が浮かんでくるかもしれないと思ったヒスイは、しばらく続けてみたが、それ以上は何も起こらなかった。
 「はぁ。どっと疲れたな。まるで、体力だけが吸い取られていくようだ」
 ヒスイは古書から顔を離すと、床に背中をつけて大の字になった。
 そのとき、コレクションとして並ぶ仮面のひとつが壁からヒスイの顔面に落下した。
 すぐに起き上がって仮面を手に取ってみた。
 右目周りには太陽のフレアをイメージした模様が眉をも巻き込むように墨で描かれており、左の眉は、吊りあがった眉尻がみっつに枝分かれして巻き毛模様になっていた。さらに頬には、大小異なる真紅の半月がみっつあり、口元も口角を裂いたような印象的な化粧の仮面だった。
 「道化師? 相変わらずスピネルは悪趣味だな……」
 ここでの休息は気が進まなくなったヒスイは、不承不承立ち上がった。
 やや迷ったが、仮面はもとの場所に掛けておくことにした。
 「待て……これは暗示か? なんたってここはスピネルの部屋だ。魔術が張り巡らされていると言っても良い……」
 珍しくヒスイは立ち止まって思考した。
 古書の続きを読もうかとも思ったが、時間のあるときにまた様子を見に来ることにした。
 そう決めてから怪しげな古書を閉じた―――閉じた?!
 ヒスイの怪力を以てしてでもページ一枚、開けなかった古書が、いとも簡単に閉じることができた。いや、それだけではない。片手で持つことすらできるようになった。
 さすがのヒスイもこの古書には神秘的なものが宿っていると判断し、持ち去ることにしたのだった。

 その古書は、まさに今ヒスイの手元にあった。
 〈顔のない女〉は、差し出された古書を興味深そうに物色した。
 「変えられるかも。未来を。祈りの広場。向かいます」
 〈顔のない女〉は熱っぽく言った。
 「ああ。導いてくれて。俺をサン兄のもとへ」
 当然、日陰だけ通って祈りの広場に向かうことは難しかった。
 しかし、全身を黒いマントで覆い隠しているため、特段、身体に変化はなかった。
 人の流れにまぎれて歩くと、昨日まではなかったものが進む先に存在していた。
 階段だ。
 横に何十人も並んでいっせいに登れそうな幅のある階段。
 また、階段のまわりには厚めの雲が渦を巻いていた。
 西側から、東側から、物語の脱落者たちだけでなく、雲までもが階段のある場所へと集まって流れていた。
 雲が黒ければ地獄の階段に見えたかもしれない。だが実際は、うっとり見惚れるほどの金色を帯びていた。
 「なんだあれは……月人のお出ましか?」
 ヒスイに悪寒が走る。
 ひとまず、足を止めることなく階段の近くへ向かおうと〈顔のない女〉と共に歩き進ん だ。
 異様な空気に気圧されながら進むこと十数分。
 突然、周囲から歓声が湧き起こった。
 目は虚ろで魂ここにあらずの群衆たちの咆哮。

ツクヨミ! ツクヨミ! ツクヨミ! ツクヨミ!
 
 思わず、耳を塞ぎそうになったヒスイ。
 「ツクヨミ? おいおい、いったい誰のことだ?」
 隣を歩く〈顔のない女〉を一瞥するも、彼女は何も答えない。
 むろん、出会ったばかりのヒスイに〈顔のない女〉のしぐさだけで感情を拾うことはできず、その沈黙の意味を推し量ることはできない。 
 傀儡でしかない群衆の声が高まれば高まるほど、〈ハブパーク〉それ自体の熱量が上がってゆくことをまだふたりは知らなかった。
 「おい、歩く速度が上がってきちゃいねぇか?」
 ふいに背後から押され、ヒスイはバランスを崩しそうになった。終始、背中に隠し持っている古書に気遣う一方、群衆に弾かれないよう必死だった。
 そのあいだも、〈ハブパーク〉内にはツクヨミコールは続いた。
 ふと、視界の先に見覚えのある姿を認めたヒスイ。
 「アレキじゃねぇか! ようやく仲間を見つけたぞ! 兄者と一心同体のアレキに訊け ば、兄者の行方も掴めるかもしれねぇな」
 それに対し、〈顔のない女〉はとっさに「同志、違う。貴族様、危険」と答えたが、群衆の歓声でかき消されてしまった。
 サンドライトの安否を一秒でも早く知りたいヒスイは、〈顔のない女〉を置いて大股歩きでぐんぐんと先を行く。
 やがて、アレキの肩に手が届く距離まで追いつくと、ヒスイはアレキの名を叫んだ。
 すぐさま振り返ったアレキは、肩越しに微笑んだ。
 再会を喜ぶ―――悪魔にも似た不敵な笑みで。
 「アレキ?」
 ヒスイの言葉は声にならなかった。
 アレキがヒスイの額に飛ばした手から、五羽の黒い鳥が飛び出した。
 黒い鳥は本の形をしており、本のページを羽の如く上下に羽ばたかせながらヒスイの頭上を旋回していた。
 直感的にヒスイは、その黒い鳥が己の死を宣告する存在だとわかった。
 「なぜ、なぜ?」
 両目を丸くさせてつぶやけたかどうか、ヒスイの時間はその場で凍結してしまった。
 〈顔のない女〉鶴乃は、とっさにアレキの視界から遠ざかった。
 〈モノクロ〉の人々にぶつかりながらも、鶴乃は息せき切って遁走した。
 あるとき、ふとツクヨミコールが止んだ。
 気になってうしろを振り返ると、突如出現した巨大な階段に向かって虹の橋が架かった。
 紫、藍、青、緑、黄、橙、赤、そしてもう一色。
 普通ならば、地球に住む人々には認識できない神の色が扇を描いていた。
 アレキの姿が見えなくなり、鶴乃が周囲に視線をめぐらしているときだった。
 群衆を見下ろす位置にある巨大な階段の中央から、凛と張った声が飛んできた。

我が物語の、一文たちよ!
この場にいる諸君らの命は、特別、再生を許そう!
我がツクヨミを、〈物語ロード〉から月へ送り出したまえ!
我がツクヨミを、〈物語ロード〉から月へ送り出したまえ!
祈れ、祈れ、我が物語の、一文たちよ!!

 もうそこには、片眼鏡をかけた初老の執事アレキの姿はなかった。
 肉体は驚異的な若返りを見せ、偽りの仮面の役割を担っていたのか、片眼鏡は呆気なく割れて粉々に砕けた。
 代わりに晒された素顔は、左頬の傷だけが勲章のように残ったが、皮膚は生まれたての美しさを取り戻した。中空で波打つ黒く長い髪は、まるで命を宿しているふうだ。
 長いあいだ、月に月神の器だけ残していたツクヨミは、無数の祈りと金色の巻き髪を持つ生贄によって今まさに、荘厳な〈物語ロード〉を昇天しようとしていた。
 〈モノクロ〉の群衆が、ひとり、またひとりと両手を合わせて目を閉じていく。
 もう二度と目を開けることができないとも知らずに。

祈るな、祈るな、祈りは自らの死を意味する!

 サンドライトは死にかけた肉体の中で絶叫した。
 あの洞窟で眠る合間に、おそらく〈葬除人〉の毒牙にかけられたのだろう。
 意識の外へ飛び出す意志と行為を封印されてしまった。
 サンドライトは、激しい葛藤の中にいた。
 ツクヨミと崇められるアレキの正体が、膨大な物語を月から操る―――つまり、その一部に過ぎないサンドライト自身の未来をもひと握りに潰すことのできる月神だったのだ。
 臓腑をえぐられるほどの深い絶望と悲しみが、肉体の目覚めを妨害していた。

 そして、いよいよ黒い棺に乗せたサンドライトを四人の〈葬除人〉がツクヨミの前に運んできた。サンドライトの行く先々で出くわしてきた〈葬除人〉とは違い、黒い棺を持つ手から熱が感じられた。露出されている部分は、黒く塗られた唇のみ。
 彼らはひたいにそれぞれ“上弦の月”、“下弦の月”、“満月”、“新月”の形を模した金の装飾をつけていた。
 階段の前では物々しい雰囲気になっていくが、群衆はひたすら目を閉じて祈ることだけに神経を集中させていた。
 身体の左半分から無色化が始まったサンドライトは、今や右肩と顔の右半分以外は〈モノクロ〉化が進んでしまっていた。
 サンドライトの身体が宙に高く浮いた。
 次に、四人の〈葬除人〉はHO2の言葉で呪文を唱えながら、黒い棺の周りで怪しげな舞を踊りはじめた。
 それは、上級月面師や月遊女たちが魅せた〈みちかけ〉とは異なり、排除されるべき者たちの神経を麻痺させ、世界を掌握すべき者たちの魂をぞんぶんに燃え上がらせた。

我が月神様を月へと送りたまえ!!! 
 
 階段が動きだした。
 ツクヨミは黒い棺の上に乗り、宙を舞うサンドライトの背中に向かって両手を挙げた。
 その後、黒い棺から降りて、いよいよ階段を一段、一段と昇りはじめた。
 ツクヨミが本物の神と覚醒し、月へ戻れば〈物語ロード〉はまた月から地球へ一方通行となる。
 「これで、すべてが整うか」
 ふと、月の塔で散っていった命、金星から誘導し続けてくれた未月、我が母星HO2の幼少の頃の記憶が万華鏡のように蘇る。

 ツクヨミは、地球へ降り立つ前に自身を埋めたクレーター墓地に立ち寄っていた。
 HO2、もうひとつの月。
 本来、月よりも月に相応しかった星。
 生まれる前から、ツクヨミは宇宙という母胎の中で夢を見ていた。
 そこでは、光の速さよりも速く壮麗な宇宙を飛び回る自分の姿があった。
 いや、もしかするとあれは夢はなんかではなく、ツクヨミがエンブリオ〈胚〉であった頃よりもはるか昔の記憶だったかもしれない。
 ツクヨミは、途方に暮れるほど長いあいだ生まれる場所を求めていた。
 はじめてツクヨミを受け入れてくれた場所は、HO2だった。
 まだどんな命も芽吹いていないまっさらな状態のHO2で、ツクヨミは第一子として誕生した。そこで彼は、必然的にHO2の神に。
 むろん、その頃は〈物語ロード〉どころか、地球に人間すら誕生していない。ただし、地球の周りにはHO2にも似た生まれたての極小衛星がいくつも存在していた。
 それぞれの星には、ツクヨミと似た条件で神がついた。中でも、のちに〈物語ロード〉を創出する月神は超弩級の力を秘めていた。
 それぞれが地球の支配権を掌握したがっていたため、互いの力を引っ張り合う関係性になった。
 長いあいだ、神同士の争いは続いた。
 最後に残ったのは、月神とツクヨミだったが、結果的に衛星権を獲得して玉座についたのは、言うまでもなく月神だった。
 月神はほかの神とは違い、ツクヨミだけは高く評価していた。だからこそ、ここで失うのは惜しいと考えた。
 「おまえにチャンスをやろう。HO2の誇り、それまでの自分を完全に葬り去り、私にだけ仕えることを誓えば命だけは助けてやる」
 むろんその条件には、ツクヨミの潜在的な超能力の〈無力化〉が含まれていた。
 「私の参謀として、月で生涯をまっとうしないか?」
 ツクヨミの背には、すでにHO2で産声を上げて成長を遂げた者たちの命があった。
 苦渋の選択を突きつけられたツクヨミ。
 すぐには決断できなかった。
 しかし、いつしか『復讐の時』が来ることを希って、表面的には降伏したのだった。
 「長年の野望が果たされるか……」
 ツクヨミは目を閉じた。
 〈物語ロード〉の光に包まれた体は、月めがけてぐんぐんと昇っていく実感があった。
 もはやツクヨミに敵なしと思われた、
 ―――そのとき。

 天上から翼が羽ばたく音が聞こえてきた。
 容赦なく〈ハブパーク〉に降り注がれる月光線。
 それすらも、祈る人々から遮るかたちであの男が姿を見せた。
 「奇跡的な日になりそうですッ! はっ、大変申し訳ありません。あたくしの紹介が遅れましたッ。星読みである反面、上級月面師でもあるエト、ラァン、ジュ! と申しますッ。どーぞ、お見知り……って、あ、もう必要ないんだったね。結構、面白かったけど、テンションが高すぎて僕の正確にはいまいちフィットしなかったかなー」
 上級月面師、いや、スピネルがその道化師の仮面を取ると、本来の姿を取り戻した。
 背中に生えた純白の片翼だけを残して。
 ツクヨミは、その声で過去に引き戻されたような気分になった。
 ぎょっとして見上げると、ますます少年のやんちゃさに磨きがかかったような表情のスピネルが爛漫に飛んでいた。
 銀色の癖っ毛に、かつては隠されていた左の義眼。
 「僕がちょっと過去に行っているあいだに、この世は凄いことになっていたんだね~!」
 翼を持つスピネルの視線が、ツクヨミをとらえた。
 「へぇ~! ツクヨミってアレキの若い頃だったのか~! せっかくなら、もっと未月にちょっかい出しておけば良かったかなぁ? ムフフ。でも、ママの翼のことでね、僕の頭はいっぱいでね……んー僕としたことが別の楽しみに気づけなかったなんて~。でも、まだまだ僕の力はここで求められているよね?」
 スピネルは口角を吊り上げて笑う。
 「スピネル……まさか、禁断の古書を読み解いたのか?」
 「んー、五歳のときから意識は月まで彷徨っていたんだよね。でも、ひとつ謝らなくちゃいけないね!」
 心から反省をしているというよりも、あくまでスピネルは世界を巻き込む壮大な遊戯を楽しんでいるようにしか見えなかった。
 「僕が、〈物語ロード〉を通過せずに、古書を通して地球と月を何度も往来したことで、物語のエラーが急激に増加してしまったんだよね。ごめんね。って、あれれ? サン兄やヒースまで大変なことになってるね。んーどちらも僕の兄たちなんだよね。サン兄も、赤色偏移に気づいてくれたし、あ、あれは、僕が高速で地球から遠ざかっていたせいなのね? ヒースも、僕の大切なものを持ってきてくれたわけだし、ちょっとだけ宇宙のこの場所で、僕もちょっとだけ頑張ることにするね」
 黒い棺の周りで〈みちかけ〉の舞を踊っていた〈葬除人〉のひとり半月と上弦の月が、周囲で祈る人々をひとりまたひとりと吸い尽くし、黒い力を溜めると、翼で宙に浮いていたスピネルにそれを吐き出した。
 灼熱の炎がスピネルの翼を燃やそうとしたが遅かった。
 スピネルの翼が仰ぐ強風により、〈葬除人〉に炎は跳ね返った。
 素早く身を交わす〈葬除人〉だったが、黒い棺に衝突しサンドライトの体が落下しそうになった。その反動で、ツクヨミを運ぶ階段の幅が狭くなった。
 「今世紀最大の天体ショーが始まるからね? みーんな、瞬きしてちゃ、ダメだよ? え? 前回も今世紀最大の天体ショーって言ってたじゃないかって? じゃあ、言い直すね。今世紀最大の、そうだなー、レッドスピネルショー!! うん、そうしよっか♪」
 誰に説明するわけでもなく、スピネルは前髪をかき上げた。
 子供じみた口調は、その一言を機に変わった。
 ポケットから厚紙を取り出すと、手元を見ずして素早く折りたたんでゆく。
 表が黒、裏が真紅の布に包まれた箱―――『太陽のお城』(ソンツェザーマク)が、スピネルの手の中で完成した。
 立体的な『太陽のお城』(ソンツェザーマク)の屋根をオープンさせると、以前の日光回収よりも速く月光線を吸収していった。
 蒼褪めるツクヨミ。
 その不安は、祈る人々の精神を不安定にさせた。
 月光線の呪縛から解き放たれてゆく人々。
 無色化していた身体に、少しずつ色が戻ってゆく。
 むろん、死にかけていたサンドライトの肉体にも劇的な変化が見られた。
 石のような肌には血色が戻り、彼の美を象徴する髪もまばゆいばかりの金色を取り戻したのだ。
 ツクヨミの困惑とともに、〈物語ロード〉の階段はどんどんと細くなり、徐々に存在感を失ってゆく。
 凍結していた時間が解け、ヒスイが目覚める。
 状況をすぐには把握できなかったが、純白の重々しい翼を持つスピネルと、生き返ったサンドライトさえ目に留まれば十分だった。
 先代から引き継がれた長い日本の剣を握ると、群衆をかき分けて一気に攻め込んだ。
 サンドライトを取り囲んでいた〈葬除人〉を滅多切りにするまで、五分もかからなかった。
 スピネルが月光線をすべて回収し終えると、〈ハブパーク〉崩壊の兆しがあった。
 立っていられないほど、足元が大きく振動した。
 ヒスイは、とっさに落ちてくるサンドライトを自慢の肉体でがっちりと抱きとめた。
 「助けに来てくれたのだな」
 サンドライトは艶っぽい声で囁く。
 「兄者が死ぬときが俺の死ぬときだ」
 ヒスイの手から離れたサンドライトは口元を綻ばせた。

 「おそらく、〈ハブパーク〉は崩壊する。おまえは……」
 思案するサンドライトを遮り、ヒスイは背負ったまま出番を失っていた古書を見せた。
 「これは……」
 「スピネルの地下牢からくすねてきたんだが」
 サンドライトは、筋骨隆々のヒスイの背中を叩いた。
 「帰れるぞ。スピネルに渡せ。あいつなら帰る方法をそこから読み解くはずだ」
 その台詞には、一緒に帰る意思はうかがえなかった。
 「兄者はどこへ……」
 訝しげにヒスイはサンドライトの顔を見る。
 力強い青い瞳だけでなく、金色のまつ毛の一本一本にまで命の強さを感じた。
 「私は、まだ役目を果たしていない」
 重々しく告げると、サンドライトは自分のすべてを預ける宝剣を鞘から華麗に抜いた。
燃えるような金色の髪を靡かせながら、サンドライトはうろたえる〈葬除人〉どもの首を次々と撥ねていった。
 そのあいだ、ツクヨミはすべてを投げ捨て、力を失って細くなってゆく階段を必死に駆け上がっていた。
 月光線も消え、ツクヨミの支配力は明らかに弱体化していた。
 それを物語るように、サンドライトの行く手を阻む〈葬除人〉たちの剣さばきも乱れてきた。
 「おまえだけは、おまえだけは私が始末する!!!」
 サンドライトは絶叫しながら無様に駆け上るツクヨミに手を伸ばした。
 そして、ツクヨミの右足首を力強く掴んだ。
 「かぐや姫でもあるまいし、みすみす月へ返すつもりはないぞ? アレキ、おまえを生かすも殺すも私だけに与えられた特権だ。たとえ、ツクヨミ、月神と、名を変えようとも、おまえのこれからは私が決める」
 サンドライトは力の限りを尽くして、弱まる力と言えど天からの抵抗を跳ね除けながらツクヨミと向かい合った。
 対峙するふたり。
 刹那、世界中から音という音が消えた。
 サンドライトとアレキの吐息だけが聞こえる。
 「月神になるのは、この私だ」
 低い声で囁いたのち、サンドライトは宝剣をツクヨミの喉元にあてると、両目を閉じてそれを突き刺した。
 サンドライトの顔が返り血で赤く汚れた。
 目の前にはもう、若返りしツクヨミの姿はどこにもなかった。
 髪は瞬く間に白くなり、肌も乾き、深い皺を刻ませ、老齢のそれになった。
 「お迎えが来たようですね、坊ちゃん」
 勝利を確信していたサンドライトに、その一言は不吉に響いた。
 「誰の迎えだ?」
 アレキの喉元からは、いつの間にか宝剣は消えていた。
 サンドライトの手には、アレキの息の根を止めるほど深く突き刺した手応えが残っていただけに信じられなかった。
 我が目を疑うサンドライト。
 「わたくしは、月人ではないのです」
 「どういうことだ……」
 戦々恐々と尋ねる。
 「爆発に耐え得るだけの生命力を保持しているということであります。もともと〈ハブパーク〉は、わたくしが作り出した衛星なのです」
 「私が、私が死ぬということか……」
 「美しさに儚さはつきものですよ、坊ちゃん」
 今にも身体が引きちぎられそうなサンドライトだったが、必死に口から言葉を絞り出す。
 「ならば、アレキ……、おまえにも……言えること……だ。美し…く…儚い……」
 ふたりは、ほぼ同時に目を細めた。
 「以前、言いかけたことですが。あの物見櫓で、わたくしは決めたのでございます。最期の日まで、坊ちゃんと運命を共にすると」
 それは、サンドライトが耳にした最後の言葉であり、アレキが口にした最後の言葉ともなった。
 〈ハブパーク〉も〈物語ロード〉も、ものの一瞬で大爆発を起こし、そして強大な光に包まれて消えてしまった。
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登場人物紹介

サンドライト


薔薇の貴公子の長男。

28歳。眉目秀麗。

美食家。ナルシスト。戦略家。

読書とピアノが趣味。

スピネルの星読みの才能に

嫉妬しているが、実は

いちばん兄弟想い。


スピネル


薔薇の貴公子の次男。

25歳。碧眼(左眼は義眼)。

天真爛漫。時に狂暴。

読書とマスク蒐集が趣味。

重度の紫外線アレルギー。

星読みが得意。

ヒスイ


薔薇の貴公子の三男。

23歳。小麦肌で強靭な肉体。

酒豪で好色。単純で熱血。

だが、根は優しい。

二刀剣法と語学が得意。


アレキ


薔薇の貴公子の執事。

三兄弟を見守り、時に助けるが、

どうやらもう一つの顔があるようで…。

ネベロング


270年前、突如老村に現れた異国人。

絶大なカリスマ性で村を牽引するが、ある時を境に人が変わったようになり、

〈吸血姫〉と恐れられた。


クリス


薔薇の貴公子の祖先。

老村にて暴君となったネベロングを処刑する。

村長


老村の村長。

愛犬のムーンを溺愛している。

求心力はあまりない。

白い輝夜姫


黒い輝夜姫に生気を吸われてしまう。

黒い輝夜姫


古の吸血姫伝説を彷彿とさせる存在。

人の生気を吸い取り、老村を恐怖に陥れる。


葬除人(そうじにん)


〈物語〉の進行を阻害する存在を葬るため、月から派遣される存在。

シュシュ・ハンサ


ヒスイの恋人、レニーの命を奪った通り魔。

南の島の少数民族ヘナ族の出身。

死刑執行直前まで常軌を逸した発言を繰り返していた。

鶴乃


〈ハブパーク〉の案内人。

通称〈顔のない女〉。

サンドライトと時間を共にするうちに……。

未月(みづき)


月楼館の最年長の月遊女。

十歳年下の麗月を妹のように思っている。

麗月(れいづき)


未月の妹分。

とある理由で月楼館の月遊女となった。

月神様の寵愛を受けるが……。

ツクヨミ


月神様の側近・参謀。

時折過去に想いを馳せるようだが、その来歴は誰にも知られていない。

月神様


〈物語ロード〉の創始者であり月の絶対存在。

穏と怒の顔を持ち、ひとたび怒らせると月には大きな災害が起こる。

エトランジュ


月楼館の上級月面師。

怪しげなマスクをしている。

その正体は、スピネル。

カマル

【大鮫男】


かつての月の五卿相〈ムーンファイブ〉の一人。

〈物語ロード〉の監視・指導の初代責任者。

伝説上の怪魚〈オオイカヅチザメ〉の兜を被っており、上半身は裸。

支配欲が強く、直情的なためいつもサルに馬鹿にされる。

サル

【出っ歯】


かつての月の五卿相〈ムーンファイブ〉の一人。

人材の育成と、罪人の処遇を決める司法官を兼務。

中年で出っ歯。

他者を認めようとしない皮肉屋。

チャンドラマー

【乙女坊主】


かつての月の五卿相〈ムーンファイブ〉の一人。

月の警備兵たちの最高指揮官。

会議では月神様の一挙手一投足に見とれていて使い物にならない。

クー


月の五卿相〈ムーンファイブ〉の一人。

月神様が生み出した黒猫型超翻訳ロボ。

地球に限らず惑星言語を月の言葉に翻訳することができる。

語尾は「じゃじゃあ」。

Drアイ


月の五卿相〈ムーンファイブ〉の一人。

月神様が生み出した白猫型超医療ロボ。

月で一番の名医。

好物は宝石キャンディ・脳味噌。

語尾は「ニャウ」。

月獣セレーネ


月神様により月を追放され、〈鳥かご座〉に拘束されている。

死人の脳味噌を食しエネルギー源とする。

アマル


現在の〈物語ロード〉の監視・指導の責任者。

〈オオイカヅチザメ〉の兜は継承しているが、半裸ではない。

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