フカ
文字数 456文字
障子戸のむこう側を、鱶の影が泳ぐ。何事か自分に罪があると思いこんでいるらしく、同じところを回りながらひとり言をつぶやいている。先日占い師に家相を見てもらい、物の配置など変えたばかりなのだが、むしろ奇妙を招き寄せているではないか。ぶつぶつ、ぶつぶつ……、小さく低い声が障子を通して座敷のなかまで入り、響いている。それに呼応して、わたしの目の前の湯呑み茶碗に入った番茶に、細かい泡がぷつぷつ浮かぶ。見ていると泡は小魚に変じ、空中を泳いで障子のむこうに消えた。鱶はますます大きくなるようだ。やつのつぶやく言葉が少しわかるようになった。どうもわたしが過去についた嘘をくり返し口に出し、罪を悔いているらしい。また茶碗から小魚が生まれて泳いでいった。鱶も大きく育つ。嘘が嘘を呼んでいるのだ。ああ、なんと恐ろしい……などとわたしはおびえただろうか? いや、そうはならなかった。わたしは茶碗の番茶をぐいと呑みほし、ふてぶてしく大の字に寝ころんでみせた。わたしが自分のことを好きであるという嘘は、一生つき続けるつもりだったから。
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