ツキ

文字数 1,508文字


 満月の夜に田舎町を散歩している。飼猫に勝手に前を歩かせ、わたしは早くこの町と縁を切りたいと思いながらついていく。観光客たちは、この不便で退屈な土地の何をよいものだと勘違いして訪れるのか。住民が減っているせいだろう、道々に人の気配はなく、月光だけがさあさあと音を立てて降るよう。おや、猫が立ちどまった。家と家にはさまれたごく細い道の入口で、なにかの匂をかいでいる。鳥の死骸でもあるのだろうか? 猫が入っていかないように抱こうとしたら、するり、猫はわたしの手を逃れ、細道を小走りに駆けていってしまった。あわてて後を追う。あのなまけ者にまだ長く走る意欲があったことに少し驚きつつ、わたしも走る。両脇の家々から不審者に思われないかとおどおどしたけれど、そもそもどの家にも明かりがついていない。道が明るいのは、直上から降る月の光に照らされているためだった。石段を上がり、古いお墓のそばを通ってちょっとくだり、また上がって放置されたブラウン管テレビや洗濯機をよけて進んだ奥に、コンクリートの低い塀だけ残し家屋は撤去された空地があった。そしてそこで猫とわたしは半球状の謎の物体に出くわしたのだった。表面は白く、見た目は半分に割ったピンポン玉、ただしわたしが全身を伏せて乗れるくらい巨大なものだ。猫はその半球体の匂をかぎ、前足でかりかりとひっかいた。すると球がぽうと鈍く光った。そして地面に沈みかけ、何かにさえぎられたようにまた戻った。光を弱く明滅させている球の様子を見るうちに、これは月ではなかろうかと思いつく。月なら真上にあるでしょう? ええ、たしかに。だからこれは「次の月」なのだ。いまの月が欠けて退場してから姿を現すはずの次の番の月が、浮かれたのかまちがえたのか知らないが先走って出てきてしまったのだろう。そして、しまったとあわてたものの、一度出てしまうとたぶん後ろに引っこめないのだ。こまったあげくこんな場所にこっそり隠れている。まあ、まったく身を隠せていないけれども。わたしの考えを口にして、そうなんでしょう、と問いかけると、月らしき球は光を消して沈もうとした。当然沈めずにまた浮きあがる。もっと小さくはなれないの? と訊いても黙っている。なれないらしい。今宵は満月で、次の月の出番までまだまだ日数がかかるのに、どうするつもりなのか。昼間悪ガキたちに見つかりでもしたら、つつかれ叩かれ、あげくの果ては割られてしまうだろう。あるいは写真に撮られSNSでさらし者にされるかもしれない。田舎の子どもはとくに残酷なのだ。このまま放って帰るのもかわいそうだが、どうしよう。迷っていると、わたしの飼猫が、くわーとあくびをするように大きく口を開けて、目の前の月をもぐっていた部分ごとすっぽりするん、まるまる一呑みにしてしまった。驚いて猫を抱きあげ調べたが、そのお腹は別に膨れてもいない。安堵して、出番が来たらちゃんと出してあげるのよ、と猫に言うと、猫はちらりと目を光らせ、いつもと変わらぬ声でニャアと鳴いた。地面に下ろすと細い道を帰りはじめる。わたしはその後をぶらぶらついて歩きながら考える。今夜のような出来事はこの町の猫たちには珍しくないのかもしれないな。月だの星だの、うっかり者たちをちょくちょく呑みこんでは、その平和なお腹のなかでしばし保管してあげているのかも。だとしたら、うちの猫といい町の猫といい、わたしがお腹をなでてあげるたび、ぐるうぐるぐると不思議な音を出していたけれど、あれは猫が出した音なのか、お腹の月が出した音なのか。いま足もとを明るく照らしてくれている月も、この手がお腹越しになでてあげたことがあるのだろうか。


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