イワヤ

文字数 1,636文字


 わたしの生まれ育った、青い青い山のなかの村には、特別な場所が一つあった。集落からさらに山を登った場所に岩屋があり、入口を前半分だけのお堂を建てて守っていた。昔から何か尊いものが祀られていると伝わり、村人は日に何度も岩屋の方角に頭を垂れて敬った。お堂に供え物をするのも盛んだったが、お堂の内部を見ることはできなかった。歴代の司祭役の人間以外が扉を開けることはかたく禁じられていたからだ。お堂が壊れたりした際に岩屋のなかが目撃されることはあった。古文書の記載により、そこに石櫃があると知られていたが、なかに何が入っているのかはわかっていなかった。伝承通りに受けとるならば、その石櫃は同じ場所に二千年以上存在して何かを保管または封印しているのだった。村人は代々恐れて、岩屋にあるものの正体を暴こうなどとは思いもしなかった。それが百年ほど前に(みやこ)から若い学者が二人やってきて、都が発行した命令書を見せ、調査のため石櫃を開けるよう村長に迫った。この国のなかのいかなる小さな俗迷信も都がつちかった近代的視点により把握し直されねばならない、と学者は言ったが、村長には意味がよくわからなかった。村は割れた。都の決定には絶対に従うべきで、拒むと災いを招くという組と、櫃を暴く方が災いを呼ぶという組が争い、暴力沙汰にまで発展した。そのなかにいても学者二人は都の者なので、悠然としていた。巨大にして崇高な都から取るに足らないほど小さな世界までわざわざ来てやったという態度を隠そうともしなかった。石櫃の中身が運搬可能なものならば詳しい研究のために都で預かるとも宣言した。中身が宝物であるわずかな可能性を考慮したのだ。村人は彼らを傲慢だと思っても直接には言い返せなかった。特に学者の片方は、それまで村人が見たこともなかった、金色の髪、青い目を持つ背の高い人物で、その珍しい外見を村人の誰もが恐れた。数日を経ても争いに決着がつかないので、田舎の酒を呑むのに飽きた学者二人は都の権威を以て恫喝し、強引にお堂の扉を開けさせた。そして村人が総出で遠巻きにするなか、岩屋のなかに無遠慮に入っていき、人夫代わりに選んだ村人数名を使って石櫃の蓋をどかせたのだ。その時何事が起こったか? 天地を揺るがすようなことは何も生じなかった。学者たちはふんと鼻で笑った。石櫃のなかには、白くて大きめの、鳥の片翼が一つだけ収められてあった。永きにわたってそこに入っていたはずなのに、昨日もがれたばかりのようにつややかであったという。金髪の学者が触れようとすると、翼は粉に変じた。指を避けてひとりでに舞いあがる。そしてそれ自体が白い風の形となってくねりながら岩屋とお堂から出ていった。捕まえよと学者は叫び村人たちもアレアレとうろたえながら右へ左へ追ったが、捕らえることはついにできず、白い風は木立の向こうへ消え去った。村人が恐れた祟りなどは何も起きなかった。帰りの山道で足をひねった爺さんがいただけである。ただ、その日の夜、村から一人の女性が消えていることがわかった。消えたのはわかったが誰が消えたのかはわからなかった、とわが家の先祖が書き残している。その女性が住んでいたのはその頃のわが家であったらしい。女性がいたことをぼんやりと覚えているが、名や外見は誰も思い出せなかったと言う。先祖は、夜空に星座が一つ増えたらしいがどれが増えたものなのかわからない、とも記した。学者二人は成果らしい成果を持たず都に帰った。十何年後かには国際的に著名になったそうだが、その前歯は二人とも義歯であった。山奥の取るに足らない小世界に生きる人々が身近な崇拝対象を失ったことで団結し、彼らにささやかな仕返しを実行した名残りである。岩屋にはまだ石櫃もお堂もあるが、祭祀は数年に一度爺さんと婆さんが集まって行うだけになった。わたしもいずれ都から故郷に戻り、婆さんとなって空っぽのお堂を祀り、そこで風を吸いながら他の年寄りたちとゆっくりお酒を呑むだろう。


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