蝉丸ヶ庵は灯火暗く【第二話】

文字数 1,211文字





 列ができる、僕の両隣で。猫山犬子さんと、熊沢さんの、同人誌を買う列が。
 僕のところには客は流れてこない。
 猫山犬子さんの本『滑瓢(ぬらりひょん)鯰絵(なまずえ)』は、飛ぶように売れた。
 段ボール二箱分、売りつくすが、まだまだ客足は絶えない。
 熊沢さんの『ハンプティ・ダンプティの大冒険』も、タイトルがどうかと思ったが、売れるに売れる。

 それをぼーっと観ていると、激辛カレーを持った魚取漁子さんが、僕のブースにやってきた。
「やあ、るるせ少年。えろ小説の売れ行きはどうだい」
「えっちなのはいけないと思います! えろ本じゃないよ!」
 魚取さんは、同じ警備会社の同僚だ。
「ふーん。るるせ少年。〈売れなかった反省会〉で、待ってる」
「ひどい。まだ売れなかったとは決まってないですよ」
「それはどうかな」

 売れてない、一冊も。
「三冊、くれ、るるせ少年」
「あ。ありがとうございます!」
「ななみとななおの姉妹と、つばめの分だ」
「魚取さんの分は」
「無料で頼む」
「仕方ないなぁ」
「つべこべ言わず、金額を言え」
「一冊500円で、1500円になります。一冊、サービスで!」
「よし! 地獄で会おうぜ、ベイビー」
 そう言って、魚取さんが本を受け取って去っていく。
 ちなみに、かぷりこの本は別口でもらっているそうだ。
 僕はその背中を見やる。
 カレーを食べながら、魚取さんは出入口にまっすぐ向かっていった。
 僕のためにわざわざ来てくれたのかもしれない。いいひとだ。
 出入口の方向を見ていると、知っている顔が見える。いや、人違いだ。
 なぜ人違いなのか。
 
 そう、〈ここに彼女がいるわけがない〉からだ。


 その娘は昔、閉じこめられた檻の中で見たフランス人形で。



 ……そして、殺人鬼だからだ。



〈あの檻の中〉を抜け出したとはいえ、こんな場所に姿を現すわけがなかった。
 その娘の楽しそうに嗤った顔を思い出す。
 なにが楽しいのか。絶望だらけだったのに。
 楽しいとしたら。
 その絶望を生きることが、きっと楽しかったのだと思う。
 そして、それは彼女にとってひとを殺すことと同義なのだ、おそらく。
 快楽を求めて、ひとを殺す、その娘はシリアル・キラーだった。


 今は逃亡犯である、全国指名手配の人物・白梅春葉。


 その人影はちらりと姿を見せて、どこかに消えた。

「春葉なわけ、ないよな」

 僕が呟くと、隣の犬子さんが、
「な、るせが、わ。追わな、くてい、いのか」
 と、言う。

 いや、そう聞こえただけかもしれない。僕は黙って、ブースの席に座っている。


「ああ……」

 僕が白梅春葉と会ったのは、隔離病棟の中だった。
 僕はあの時、失読症に罹っていた。


 空想のなかに、僕は入る。


 あの、地獄の季節の中の出来事を、思い出しながら。



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登場人物紹介

蘆屋アシェラ

   蘆屋探偵事務所の探偵であり、陰陽師。

成瀬川るるせ

   警備員。

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