鳴釜の夢枕【最終話】
文字数 2,372文字
☆
明大前の駅前で、二把ちゃんは待っていてくれた。
「こんにちわ、二把ちゃん。うちの管理人の妹であるやくしまるななみちゃんと友達だって言うので驚いちゃったよ、この前は」
「ええ。いや、その、えっと、あ、はい」
しどろもどろの二把ちゃん。なにか裏があるのか?
いや。あったとしても、とにかくこの娘は今、被害者だ。服で隠しているけど、まだDVを受けたときの痣は残っているだろう。
話をわき道にそらしている場合じゃない。
「二把ちゃん。アシェラさんが、牧の住んでいる住所を教えてくれたよ」
「わたし……ッ! 行ってみたいです、牧さんの住んでるところ。相手の女性も、見てみたいし」
「言うだろうと思ったよ。それでアシェラさんも住所を教えてくれたんだし」
「はい」
僕らは井の頭線に乗って、永福町まで電車に乗る。明大前から一駅だ。こんなに近くで浮気をしていたのか、あの鼻ピアス野郎は。
永福中央公園の近くに、その一軒家はあった。アシェラさんによると、ここに牧は貢いでいる相手の女性と〈住んでいる〉らしい。
玄関にも、裏の勝手口にも、窓にも全て、アシェラさんから渡された、朱書されているお守り札がべたべたと貼られていた。
観ると異様なものを感じる。
異様なものを感じているのは、僕らだけではない。通行人が訝しげに見るのはもちろんのこと、家の中から怒鳴りあう声が外まで響いてくる。
「アンタ! 宗教にでも入ったのかい! なんだい、この気味の悪い札は! 剥がしな! いますぐ!」
「ちょっと待ってくれ、ヘレナ! おれはヘレナとの生活を安定させるためにこうしているんだ! 貼った途端、悪夢の白昼夢が襲って来なくなったんだ!」
「わたしが知るかい、そんなこと! 気味が悪いこと言わないで! 出ていきな、牛みたいに鼻輪した木偶の坊が!」
「待て! 待て! 待てって!」
玄関のロックが解除される音がした。出てきたのは化粧をばっちり決めたお姉さんだった。
そして、ヘレナと呼ばれているこのお姉さんに取りすがろうとして腰に手を巻き付けている、子供のような牧の姿が見える。
やり取りを聞いてしまった二把ちゃんは、涙をこらえて、口を手で覆っている。
そして、見てしまった子供のような姿の牧へ、思わず、
「牧さん!」
と、名前を呼んでしまう。
「ハッ! この小娘があの子かい? 金を抜き取られたバカな女って。嗤える。こんな男には懲り懲りさ。引き取ってもらえないかい、この鼻輪つけた牛男を」
ヘレナは嘲るように、見下した目で、こっちを見ている。
牧は、
「二把……、悪かった! 悪かったよ! もう一度、二人で出直そう!」
と、玄関の中から、二把ちゃんに大きな声で世迷言を言っている。
……世迷言。
そう。
こんなの、世迷言だ。
虫が良すぎる。
「牧さん……」
「二把……」
二人はうるうる目を潤ませている。
それを気に入らないのが、ヘレナという女性だ。
「ハッ! ガキの遊びはわたしのいないところでやりな! なんだい! こんな赤い札! 気味が悪いって言ってんだろ!」
感情を高ぶらせたヘレナは、玄関のお守り札を一枚一枚、引きはがしてくしゃくしゃに丸めて、捨てていく。
ヘレナが目に入らない牧と二把ちゃんは、駆け寄りあって、玄関先で抱きしめあって、わんわん泣き始めた。
それで余計と頭に血が上るヘレナは、わざわざ窓や勝手口にまで回って、札を全部引きはがして丸めて捨てていく。
全部、札を剥がしたところで、ヘレナは、
「バカらしい。勝手にメロドラマをやってろ! わたしにはほかにも行く場所なんてそこら中にあるんだよ!」
と、吐き捨てて、駅の方へ向かって早足で去っていく。
二把ちゃんと牧の二人を遠目で観ている僕に、後ろから肩をぽん、と叩くひとがいた。振り向かないでもわかったが、振り向く。
アシェラさんだった。
「青春……だねぇ」
「青春……かぁ。今回は、一体どういう事件だったんですか、アシェラさん」
「んん? まだ終わってないよ、るるせくん」
「はい? どういうことで?」
アシェラさんは、大きく息を吐いた。
「お守り札は、もうないよ。……残念」
「え? それって、どういう…………」
骨を砕く音と、グシャアァ、という、鮮血が噴き出す音がして、僕は音のでどころ……、牧の姿を見る。
視るもおぞましい赤い鬼が、頭蓋骨に噛り付き、牧を噛み砕き殺す姿が見えた。
あまりの恐ろしさに、僕は腰が抜けてその場にへたり込む。その僕に、脳漿と血液が浴びせられる。
「全く。嫌だよね、ああいう男。僕は、嫌いだな」
やれやれ、という風に、アシェラさんは言った。
「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
牧の断末魔。耳をつんざくかと、僕は思った。聞いただけで吐きそうになる。僕は吐かないように、耐える。
アシェラさんはあごに手をやり、
「僕が使役してる式神にも、餌を与えないとね」
と、くすくす笑った。
そう。
アシェラさんは、善人なんかじゃないのだ。
敏腕探偵であり、そして、陰陽師だ。
正義の味方とは程遠い場所に、このひとはいて、残酷なまでにプラグマティストの一面を持っているのだ。
彼氏を鬼に食われている場面を見ながら、二把ちゃんは、絶叫していた。
周囲は人避けの結界が張ってあるのか、通行人はいない。
鬼は牧を喰い終えると、その姿を消した。
僕はしばらく、その場で放心していて、でも、誰も手は差し伸べず。
数日間、僕の体からは血液の匂いが取れなかったのだった。
〈了〉
明大前の駅前で、二把ちゃんは待っていてくれた。
「こんにちわ、二把ちゃん。うちの管理人の妹であるやくしまるななみちゃんと友達だって言うので驚いちゃったよ、この前は」
「ええ。いや、その、えっと、あ、はい」
しどろもどろの二把ちゃん。なにか裏があるのか?
いや。あったとしても、とにかくこの娘は今、被害者だ。服で隠しているけど、まだDVを受けたときの痣は残っているだろう。
話をわき道にそらしている場合じゃない。
「二把ちゃん。アシェラさんが、牧の住んでいる住所を教えてくれたよ」
「わたし……ッ! 行ってみたいです、牧さんの住んでるところ。相手の女性も、見てみたいし」
「言うだろうと思ったよ。それでアシェラさんも住所を教えてくれたんだし」
「はい」
僕らは井の頭線に乗って、永福町まで電車に乗る。明大前から一駅だ。こんなに近くで浮気をしていたのか、あの鼻ピアス野郎は。
永福中央公園の近くに、その一軒家はあった。アシェラさんによると、ここに牧は貢いでいる相手の女性と〈住んでいる〉らしい。
玄関にも、裏の勝手口にも、窓にも全て、アシェラさんから渡された、朱書されているお守り札がべたべたと貼られていた。
観ると異様なものを感じる。
異様なものを感じているのは、僕らだけではない。通行人が訝しげに見るのはもちろんのこと、家の中から怒鳴りあう声が外まで響いてくる。
「アンタ! 宗教にでも入ったのかい! なんだい、この気味の悪い札は! 剥がしな! いますぐ!」
「ちょっと待ってくれ、ヘレナ! おれはヘレナとの生活を安定させるためにこうしているんだ! 貼った途端、悪夢の白昼夢が襲って来なくなったんだ!」
「わたしが知るかい、そんなこと! 気味が悪いこと言わないで! 出ていきな、牛みたいに鼻輪した木偶の坊が!」
「待て! 待て! 待てって!」
玄関のロックが解除される音がした。出てきたのは化粧をばっちり決めたお姉さんだった。
そして、ヘレナと呼ばれているこのお姉さんに取りすがろうとして腰に手を巻き付けている、子供のような牧の姿が見える。
やり取りを聞いてしまった二把ちゃんは、涙をこらえて、口を手で覆っている。
そして、見てしまった子供のような姿の牧へ、思わず、
「牧さん!」
と、名前を呼んでしまう。
「ハッ! この小娘があの子かい? 金を抜き取られたバカな女って。嗤える。こんな男には懲り懲りさ。引き取ってもらえないかい、この鼻輪つけた牛男を」
ヘレナは嘲るように、見下した目で、こっちを見ている。
牧は、
「二把……、悪かった! 悪かったよ! もう一度、二人で出直そう!」
と、玄関の中から、二把ちゃんに大きな声で世迷言を言っている。
……世迷言。
そう。
こんなの、世迷言だ。
虫が良すぎる。
「牧さん……」
「二把……」
二人はうるうる目を潤ませている。
それを気に入らないのが、ヘレナという女性だ。
「ハッ! ガキの遊びはわたしのいないところでやりな! なんだい! こんな赤い札! 気味が悪いって言ってんだろ!」
感情を高ぶらせたヘレナは、玄関のお守り札を一枚一枚、引きはがしてくしゃくしゃに丸めて、捨てていく。
ヘレナが目に入らない牧と二把ちゃんは、駆け寄りあって、玄関先で抱きしめあって、わんわん泣き始めた。
それで余計と頭に血が上るヘレナは、わざわざ窓や勝手口にまで回って、札を全部引きはがして丸めて捨てていく。
全部、札を剥がしたところで、ヘレナは、
「バカらしい。勝手にメロドラマをやってろ! わたしにはほかにも行く場所なんてそこら中にあるんだよ!」
と、吐き捨てて、駅の方へ向かって早足で去っていく。
二把ちゃんと牧の二人を遠目で観ている僕に、後ろから肩をぽん、と叩くひとがいた。振り向かないでもわかったが、振り向く。
アシェラさんだった。
「青春……だねぇ」
「青春……かぁ。今回は、一体どういう事件だったんですか、アシェラさん」
「んん? まだ終わってないよ、るるせくん」
「はい? どういうことで?」
アシェラさんは、大きく息を吐いた。
「お守り札は、もうないよ。……残念」
「え? それって、どういう…………」
骨を砕く音と、グシャアァ、という、鮮血が噴き出す音がして、僕は音のでどころ……、牧の姿を見る。
視るもおぞましい赤い鬼が、頭蓋骨に噛り付き、牧を噛み砕き殺す姿が見えた。
あまりの恐ろしさに、僕は腰が抜けてその場にへたり込む。その僕に、脳漿と血液が浴びせられる。
「全く。嫌だよね、ああいう男。僕は、嫌いだな」
やれやれ、という風に、アシェラさんは言った。
「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
牧の断末魔。耳をつんざくかと、僕は思った。聞いただけで吐きそうになる。僕は吐かないように、耐える。
アシェラさんはあごに手をやり、
「僕が使役してる式神にも、餌を与えないとね」
と、くすくす笑った。
そう。
アシェラさんは、善人なんかじゃないのだ。
敏腕探偵であり、そして、陰陽師だ。
正義の味方とは程遠い場所に、このひとはいて、残酷なまでにプラグマティストの一面を持っているのだ。
彼氏を鬼に食われている場面を見ながら、二把ちゃんは、絶叫していた。
周囲は人避けの結界が張ってあるのか、通行人はいない。
鬼は牧を喰い終えると、その姿を消した。
僕はしばらく、その場で放心していて、でも、誰も手は差し伸べず。
数日間、僕の体からは血液の匂いが取れなかったのだった。
〈了〉