鵺の鳴く夜に蜘蛛の網目【第三話】

文字数 1,892文字





 事情聴取は大変だった。
 結局は陰陽や魔法のことを知っている園田乙女刑事が来て、事態はどうにか収束したのだが。
 魔法……これは大変なものだ。
 ただ、実際に今日、〈盾の術式〉をつばめちゃんが使っても、魔法とは、言われないとわからないもののようにも感じた。
 この前、僕がつばめちゃんに見せてもらった〈追跡の術式〉だって、イヌの嗅覚みたいなものだったし。
 高度に発達した科学が魔法と変わらないものだとしたら、魔法の方も科学と変わらないかもしれない。
 どっちだって、同じようなところがある。
 そう。種も仕掛けもあって、そして、高度なものはただの〈オーバーテクノロジー〉にしか見えない。
 次の大戦は、魔法合戦になるんじゃないかな、と思った。
 戦争なんて、ないにこしたことはないが。

 夕方。日が落ちる時間になってしまった。
 事情聴取があったし、僕は今日の仕事はキャンセルした。
 僕の代わりに、足利葦人が、仕事に出ることになったらしい。


 僕は蒸し暑い中、環状八号線を世田谷方面に歩く。そして雑居ビルに入った。
 あたりはもう暗い。雑居ビルは静かだ。
 ここが、〈蘆屋探偵事務所〉。
 呼び鈴を鳴らさず、僕はノックだけして、探偵事務所のドアを開けた。



 中は空調が効いていて、涼しいし、空気が清浄だ。
「待っていたよ、るるせくん」
 いつもは絶対に言わないセリフを、アシェラさんは言って、僕を出迎えた。
「さぁさぁ、アイスコーヒーはいかがかな?」
「ど、どうしたんです、アシェラさん」
「来てくれて助かったよ。さっき、アイスコーヒーを持って君のアパートまで行ったのだけどね」
「アイスコーヒーを?」
「ソファに座りたまえ」
「は、はぁ」
 ソファに座っていると、氷の入ったコップを持ってきたアシェラさんは、プラスチックの容器から、アイスコーヒーだと思われるものを注ぐ。
 よくわかった。わかったぞ、僕は。
「そのアイスコーヒー、薄すぎませんか」
「作り置き用に助手の姫宮くんと新人探偵である旭くんがつくったのだけれどね。こんなに薄いアイスコーヒーはお客さんに出せない。だが、捨てるに忍びない」
 僕は飲んで確かめる。
「出涸らしですか、これ?」
「それが違うのだよ。旭くんは英国式紅茶の信奉者らしくてね」
「確かに、紅茶だ、と言われれば信じるくらいの色の薄さだ……」
「そして姫宮くんはアメリカン珈琲を妄信している」
「いや、この薄さはアメリカンというには味がない……」
「姫宮くんと旭くん、二人が考案した〈わたしのかんがえたさいきょうのアイスコーヒー〉が……この薄くて味と香りがない液体だったのだよ」
「琥珀色の液体になってますからね、これ、珈琲なのに……」
「作り置きはまだまだある。今夜は酒を飲まず、この琥珀色の冷たい液体を飲み干したまえ」
「飲み干したまえって……」
 カルピスを薄く作ってしまうのとはわけが違う。
 この事務所では、来客に飲んでもらう定番が珈琲であり、またはアイスコーヒーなのである。
「今まで姫宮さんと旭さんがアイスコーヒーをつくることはなかったんですか」
「ふむ。今回は好きにつくっていいよ、と僕が言ってしまったことにも責任がある。まさか本当に〈わたしのかんがえたさいきょうのアイスコーヒー〉という悪魔合体を、二人でつくってしまうとは思わなかったのだよ」
「珈琲という概念を凌駕していますね、これ」
「では、たっぷり飲みたまえ」
「へいへい」

 僕ががばがばと薄いアイスコーヒーを飲んでいると、探偵事務所の呼び鈴が鳴った。
「来た、ようだね」
 どうやら来客の予定があったらしい。
 僕は最初から、この来客のために呼ばれたのだな、と思った。
 しかも、アパートまで来たというのだから、〈僕じゃないとならない〉問題が待ち受けている、と見ていいだろう。
 アシェラさんが僕の向かいのソファから起き上がる。
「どうぞ、お入りください」
 僕は邪魔にならないように、アイスコーヒー一式を持って、そそくさと事務所の奥の方まで移動を開始した。


 入ってきたのは、禿頭のでっぷりした男性だった。
「このひと、どっかで見たような?」
 部屋の奥から顔をのぞかせて、僕は首を傾げた。

 禿頭の男は最前まで僕がいたソファに身をうずめるように座る。

「蘆屋探偵事務所は……不思議な事件も解決してくれると、聞いたのだが?」

 アシェラさんはニヤリと唇の端を上げた。
「それは話にもよります。狂林総合病院院長・長久保金光さん?」


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登場人物紹介

蘆屋アシェラ

   蘆屋探偵事務所の探偵であり、陰陽師。

成瀬川るるせ

   警備員。

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