鳴釜の夢枕【第五話】

文字数 1,774文字





「彼氏が……牧さんがほかの女に入れ込んで、部屋にある金品を持って、逃げていってしまったんです! もう三日前の話で……すぐに先輩に連絡すればよかったんですが」 
 僕が蘆屋探偵事務所のソファに寝転がってスマートフォンゲームをやっていると、二把ちゃんからの、悲鳴のような声の電話。
 電話の向こう側で、二把ちゃんは泣きじゃくっている。
 僕が焦って、どう応じようか迷っていると、アシェラさんが珍しく僕の前のテーブルに珈琲を置いた。
「大丈夫だよ、るるせくん。この数日の間に〈仕込んで〉おいたから」
 僕はアシェラさんを見る。笑顔だ。
「仕込んで……おいた?」
「もうすぐだよ」

 そこに、探偵事務所のドアをノックする大きな音。
 ノックの主は声を上げる。
「いるんだろ、陰陽師さん! 悪夢が……悪夢が襲ってくるんだ! 起きてる間も、白昼夢になって、鬼に……鬼に襲われるんだ!」

 アシェラさんは珈琲を一口飲み、
「ほうら。来たようだよ」
 と、言った。

 僕がドアを開けると、外にいたのは鼻ピアスの男、二把ちゃんの彼氏である、牧という男だった。僕の後頭部を殴った、あの男だ。



「まあ、お座りください、牧さん」
 アシェラさんは口元をニヤリとさせる。
「なぜおれの名前を知って?」
「陰陽師ですから」
 しれっと言うアシェラさん。僕に目配せをするので、奥の部屋に引っ込んで黙っていることにした。
 牧は僕に気づかない。

「悪夢が現実を侵食しているのですね」
「はい、そうです」
「災いはすでにあなたの身に切迫し、これは容易ならぬことですね。……あなたの命も今夜か明朝がいいところでしょう」
 鼻ピアスの牧はそこまで聞いて憤慨する。
「おい! 高い壺でも買わせる気じゃねーだろうなぁッ」
 怒鳴り声を無視して、アシェラさんは続ける。
「今日から四十二日間は、固く家の戸をしめて、謹慎せねばなりません」
「なんでだよッ! 殺すぞ!」
「あなたは同棲していた女性のもとから、金品を持ち出しましたね」
「うっ……」
「僕の戒めを守るならば、九死に一生を得、命は取り留めましょう。しかし、たとえ一時たりともこの戒めを破ったならば、死を逃れる術はありませんぞ」
 アシェラさんは、朱書した紙のお守り札の束を戸棚から取り出すと、
「この札を戸口という戸口に貼りなさい。戒めに背いて、身を亡ぼすことがあってはなりませぬぞ!」
 牧は朱書したお守り札を奪うようにアシェラさんの手から取ると、
「おい、陰陽師。まさかこの札を高値で売りつけようってわけじゃねぇよなぁ」
 と、すごむ。
「無料で結構です。いや、効果があったら、その時は改めて寄付をお願いします。布施ではありません。寄付ですよ」
「へっ!」
 牧は言う。
「今、一緒に住んでる女が、金が必要だって言うから昔の女から頭を下げて金を苦心してもらっただけなんだ。おれはなにも悪いこたしちゃいねぇ」
「そうですか。一緒に住んでいる女性、ねぇ……」
「この札を貼りゃいいんだな。ありがてぇ。もらっておくぜ。気が向いたら〈寄付〉するかもな」
 牧はくるりとアシェラさんに背を向け、ドアを開けて探偵事務所から去っていく。

 牧という男が去っていったあと、僕は奥の部屋から出てきて、アシェラさんに尋ねる。
「アシェラさん。もしかして、仕込みって」
「悪夢にうなされるように仕向けたのも僕さ。だが、渡した札にも効力はある」
「どういうことです?」
「三日経ったのだろう? もうすぐお金が必要になる頃だよね、あの鼻ピアスの彼。今一緒に住んでるというのは、彼が貢いでいる水商売の女性だということが判明している」
 僕は「うひー」と、声を漏らしてしまう。
「再現なく金を欲しがるでしょう、その女性は」
「お金が目的だからね。あの男も遊び人のようではあるけれども、どうだろうねぇ。得意のドメスティックバイオレンスは出るかな。ちょっとわからないな」
「たのしそうに言わないでくださいよ、アシェラさん」
「君は後輩のところにでも行ってあげなよ。でも、男女の関係をおいそれと結ばないのが、るるせくんみたいな器の小さい男性の処世術だよ」
「なにもしませんってば」

 僕は二把ちゃんに電話をかけ、明大前まで向かう。


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登場人物紹介

蘆屋アシェラ

   蘆屋探偵事務所の探偵であり、陰陽師。

成瀬川るるせ

   警備員。

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