蝉丸ヶ庵は灯火暗く【最終話】
文字数 1,969文字
☆
「こんなところで会うなんて奇遇だねっ、るるせっ。失読症は治ったのかなっ?」
「治ったよ」
「春葉は、また疼きだしちゃったんだっ、殺意が。この恋は、たくさん殺さなくちゃ治りそうもないやっ」
「連続通り魔の犯人は、君なの、春葉?」
「殺すこともできる。でも、今は殺さない」
……殺すこともできる。でも、今は殺さない?
「春葉は連続通り魔の犯人じゃ、ない?」
雨がぱらぱら降って、僕らを濡らす。
「…………」
「…………しっ! 来るよっ?」
春葉が押し殺した声で言うと。
草むらの茂みがごそごそ音を立てて、動いた。
草むらから飛び出てきたのは、ナイフを持ったイケメンだった。
いや。イケメン……に見えるが、それは女性だった。
春葉は僕の上から飛び上がると、ナイフを持った女性の二の腕にかみついた。
そして二の腕をそのまま噛みちぎった。
二の腕からちぎれた肉の塊が、倒れたまま春葉を見つめている僕の顔に落ちて、貼りついた。
「うが、が、が。い、たい、ぞ」
イケメンに見えた女性は、同人作家の猫山犬子だった。
犬子を突き飛ばす春葉。
二人の間に距離が空く。
僕は肉塊を手で振り落とし、ゆっくりと起き上がる。
僕の目は、春葉に固定されてしまったかのようになっている。
「春葉……」
「こ、こ、こ、ころ、すぞ」
「負けないよっ?」
二の腕を噛まれてナイフを落としてしまった犬子は、右手をかばうようにしながら、歯を食いしばっている。
余裕の表情の春葉。
……僕が、ぼーっとしていると、遠くから男性の声が聞こえた。
「逃げろ! るるせくん!」
開きかけた瞳孔の焦点が収まり、現状を理解した。
「あ、ああ。この声……。あ、アシェラさん……?」
破裂音が鳴る。弾けて炸裂する。
茂みの広葉樹に穴が開いて、木片が飛び散る。
「バカ! 犯人は一人じゃない! どこにでもいいからダッシュして離れるんだ、るるせくん!」
「え? あ? はい!」
僕はダッシュして茂みから飛び出した。公園の街灯の前に出る。
そこには探偵のアシェラさんと、数名の警官を従えた刑事、園田乙女さんの姿があった。
アシェラさんはよく響く声で雨の中、叫ぶ。
「無駄だ、包囲されているぞ、犯人。犬子くんを違法薬物とマインドコントロールで殺人鬼に仕立てあげ、自分は殺人を傍観して性的興奮を味わう。見え透いているんだよ、熊沢!」
また破裂音。
アシェラさんのそばにある街灯にピストルの弾が当たって、街灯のパイプがへこむ。
「訓練も受けてないのにピストルが易々と当たるわけがないだろう。被害者も猫山犬子も、おまえのおもちゃじゃない! 出てこい、熊沢!」
茂みの奥から、涎を垂らしながら目を充血させた、熊沢が出てくる。息が荒く、熊沢は興奮状態にあった。
抵抗を辞めた熊沢に手錠をかける園田乙女刑事。
熊沢とは、もちろん犬子と同様、同人イベントで僕の隣の席だった人物だ。
熊沢は叫ぶ。
「おれはあああああ! この事件を〈クリエイト〉したあああああ、最高の〈作家〉なんだあああああッ!」
園田さんはため息をついて、ついてきた警官のひとりに、
「連れていけ」
と、言った。熊沢は連行された。
「は、春葉は!」
僕は犬子と春葉が格闘していた場所に走って戻る。
戻ったその場所には、ずたずたに引き裂かれた、内臓が露わになっている猫山犬子の死体が、雨に打たれながら放置されていて。
警察に訊いても、白梅春葉がどこに消えたのかは、全くわからない、とのことだった。
アシェラさんの話によると。
……猫山犬子は、熊沢に〈恋〉をしていた。
熊沢より作家として売れている犬子を、利用してやろう、と熊沢は思った。
熊沢は、違法薬物を飲ませたあと、その恋愛感情を使い、犬子の心をマインドコントロールで支配した。
数日間、暗がりに押し込んで、熊沢は自分の殺人の、ドグマのようなものを叩きこんだらしい。
それで、犬子はコントロールされてしまったのだという。
そしてあの場にいたはずの白梅春葉は、いまだに逃走中のままだった。
今回のこの事件 には、オチも意味も、ないままで、終わりがきた。
僕がこの事件を語るには、あまりに深い入りし過ぎていた。
熊沢たちが〈見かけたことのある人間〉を狙っていたことを、アシェラさんも警察も掴んでいて、現行犯逮捕をしたかったことも含めて。
……やりきれない気持ちが勝る。
またひとつ、なにかが闇の中に消えたように、僕には思えるのだ。
春葉との邂逅は、僕になにをもたらしたのだろうか。
僕には、なにも見えない。
〈了〉
「こんなところで会うなんて奇遇だねっ、るるせっ。失読症は治ったのかなっ?」
「治ったよ」
「春葉は、また疼きだしちゃったんだっ、殺意が。この恋は、たくさん殺さなくちゃ治りそうもないやっ」
「連続通り魔の犯人は、君なの、春葉?」
「殺すこともできる。でも、今は殺さない」
……殺すこともできる。でも、今は殺さない?
「春葉は連続通り魔の犯人じゃ、ない?」
雨がぱらぱら降って、僕らを濡らす。
「…………」
「…………しっ! 来るよっ?」
春葉が押し殺した声で言うと。
草むらの茂みがごそごそ音を立てて、動いた。
草むらから飛び出てきたのは、ナイフを持ったイケメンだった。
いや。イケメン……に見えるが、それは女性だった。
春葉は僕の上から飛び上がると、ナイフを持った女性の二の腕にかみついた。
そして二の腕をそのまま噛みちぎった。
二の腕からちぎれた肉の塊が、倒れたまま春葉を見つめている僕の顔に落ちて、貼りついた。
「うが、が、が。い、たい、ぞ」
イケメンに見えた女性は、同人作家の猫山犬子だった。
犬子を突き飛ばす春葉。
二人の間に距離が空く。
僕は肉塊を手で振り落とし、ゆっくりと起き上がる。
僕の目は、春葉に固定されてしまったかのようになっている。
「春葉……」
「こ、こ、こ、ころ、すぞ」
「負けないよっ?」
二の腕を噛まれてナイフを落としてしまった犬子は、右手をかばうようにしながら、歯を食いしばっている。
余裕の表情の春葉。
……僕が、ぼーっとしていると、遠くから男性の声が聞こえた。
「逃げろ! るるせくん!」
開きかけた瞳孔の焦点が収まり、現状を理解した。
「あ、ああ。この声……。あ、アシェラさん……?」
破裂音が鳴る。弾けて炸裂する。
茂みの広葉樹に穴が開いて、木片が飛び散る。
「バカ! 犯人は一人じゃない! どこにでもいいからダッシュして離れるんだ、るるせくん!」
「え? あ? はい!」
僕はダッシュして茂みから飛び出した。公園の街灯の前に出る。
そこには探偵のアシェラさんと、数名の警官を従えた刑事、園田乙女さんの姿があった。
アシェラさんはよく響く声で雨の中、叫ぶ。
「無駄だ、包囲されているぞ、犯人。犬子くんを違法薬物とマインドコントロールで殺人鬼に仕立てあげ、自分は殺人を傍観して性的興奮を味わう。見え透いているんだよ、熊沢!」
また破裂音。
アシェラさんのそばにある街灯にピストルの弾が当たって、街灯のパイプがへこむ。
「訓練も受けてないのにピストルが易々と当たるわけがないだろう。被害者も猫山犬子も、おまえのおもちゃじゃない! 出てこい、熊沢!」
茂みの奥から、涎を垂らしながら目を充血させた、熊沢が出てくる。息が荒く、熊沢は興奮状態にあった。
抵抗を辞めた熊沢に手錠をかける園田乙女刑事。
熊沢とは、もちろん犬子と同様、同人イベントで僕の隣の席だった人物だ。
熊沢は叫ぶ。
「おれはあああああ! この事件を〈クリエイト〉したあああああ、最高の〈作家〉なんだあああああッ!」
園田さんはため息をついて、ついてきた警官のひとりに、
「連れていけ」
と、言った。熊沢は連行された。
「は、春葉は!」
僕は犬子と春葉が格闘していた場所に走って戻る。
戻ったその場所には、ずたずたに引き裂かれた、内臓が露わになっている猫山犬子の死体が、雨に打たれながら放置されていて。
警察に訊いても、白梅春葉がどこに消えたのかは、全くわからない、とのことだった。
アシェラさんの話によると。
……猫山犬子は、熊沢に〈恋〉をしていた。
熊沢より作家として売れている犬子を、利用してやろう、と熊沢は思った。
熊沢は、違法薬物を飲ませたあと、その恋愛感情を使い、犬子の心をマインドコントロールで支配した。
数日間、暗がりに押し込んで、熊沢は自分の殺人の、ドグマのようなものを叩きこんだらしい。
それで、犬子はコントロールされてしまったのだという。
そしてあの場にいたはずの白梅春葉は、いまだに逃走中のままだった。
今回のこの
僕がこの事件を語るには、あまりに深い入りし過ぎていた。
熊沢たちが〈見かけたことのある人間〉を狙っていたことを、アシェラさんも警察も掴んでいて、現行犯逮捕をしたかったことも含めて。
……やりきれない気持ちが勝る。
またひとつ、なにかが闇の中に消えたように、僕には思えるのだ。
春葉との邂逅は、僕になにをもたらしたのだろうか。
僕には、なにも見えない。
〈了〉