蝉丸ヶ庵は灯火暗く【最終話】

文字数 1,969文字





「こんなところで会うなんて奇遇だねっ、るるせっ。失読症は治ったのかなっ?」
「治ったよ」
「春葉は、また疼きだしちゃったんだっ、殺意が。この恋は、たくさん殺さなくちゃ治りそうもないやっ」
「連続通り魔の犯人は、君なの、春葉?」
「殺すこともできる。でも、今は殺さない」

 ……殺すこともできる。でも、今は殺さない?
「春葉は連続通り魔の犯人じゃ、ない?」

 雨がぱらぱら降って、僕らを濡らす。
「…………」
「…………しっ! 来るよっ?」
 春葉が押し殺した声で言うと。

 草むらの茂みがごそごそ音を立てて、動いた。


 草むらから飛び出てきたのは、ナイフを持ったイケメンだった。
 いや。イケメン……に見えるが、それは女性だった。
 春葉は僕の上から飛び上がると、ナイフを持った女性の二の腕にかみついた。
 そして二の腕をそのまま噛みちぎった。
 二の腕からちぎれた肉の塊が、倒れたまま春葉を見つめている僕の顔に落ちて、貼りついた。

「うが、が、が。い、たい、ぞ」
 イケメンに見えた女性は、同人作家の猫山犬子だった。
 犬子を突き飛ばす春葉。
 二人の間に距離が空く。

 僕は肉塊を手で振り落とし、ゆっくりと起き上がる。
 僕の目は、春葉に固定されてしまったかのようになっている。
「春葉……」

「こ、こ、こ、ころ、すぞ」
「負けないよっ?」
 二の腕を噛まれてナイフを落としてしまった犬子は、右手をかばうようにしながら、歯を食いしばっている。
 余裕の表情の春葉。


 ……僕が、ぼーっとしていると、遠くから男性の声が聞こえた。


「逃げろ! るるせくん!」


 開きかけた瞳孔の焦点が収まり、現状を理解した。
「あ、ああ。この声……。あ、アシェラさん……?」


 破裂音が鳴る。弾けて炸裂する。
 茂みの広葉樹に穴が開いて、木片が飛び散る。

「バカ! 犯人は一人じゃない! どこにでもいいからダッシュして離れるんだ、るるせくん!」
「え? あ? はい!」

 僕はダッシュして茂みから飛び出した。公園の街灯の前に出る。

 そこには探偵のアシェラさんと、数名の警官を従えた刑事、園田乙女さんの姿があった。

 アシェラさんはよく響く声で雨の中、叫ぶ。
「無駄だ、包囲されているぞ、犯人。犬子くんを違法薬物とマインドコントロールで殺人鬼に仕立てあげ、自分は殺人を傍観して性的興奮を味わう。見え透いているんだよ、熊沢!」

 また破裂音。
 アシェラさんのそばにある街灯にピストルの弾が当たって、街灯のパイプがへこむ。

「訓練も受けてないのにピストルが易々と当たるわけがないだろう。被害者も猫山犬子も、おまえのおもちゃじゃない! 出てこい、熊沢!」


 茂みの奥から、涎を垂らしながら目を充血させた、熊沢が出てくる。息が荒く、熊沢は興奮状態にあった。
 抵抗を辞めた熊沢に手錠をかける園田乙女刑事。
 熊沢とは、もちろん犬子と同様、同人イベントで僕の隣の席だった人物だ。

 熊沢は叫ぶ。
「おれはあああああ! この事件を〈クリエイト〉したあああああ、最高の〈作家〉なんだあああああッ!」


 園田さんはため息をついて、ついてきた警官のひとりに、
「連れていけ」
 と、言った。熊沢は連行された。

「は、春葉は!」

 僕は犬子と春葉が格闘していた場所に走って戻る。

 戻ったその場所には、ずたずたに引き裂かれた、内臓が露わになっている猫山犬子の死体が、雨に打たれながら放置されていて。
 警察に訊いても、白梅春葉がどこに消えたのかは、全くわからない、とのことだった。



 アシェラさんの話によると。
 ……猫山犬子は、熊沢に〈恋〉をしていた。
 熊沢より作家として売れている犬子を、利用してやろう、と熊沢は思った。
 熊沢は、違法薬物を飲ませたあと、その恋愛感情を使い、犬子の心をマインドコントロールで支配した。
 数日間、暗がりに押し込んで、熊沢は自分の殺人の、ドグマのようなものを叩きこんだらしい。
 それで、犬子はコントロールされてしまったのだという。

 そしてあの場にいたはずの白梅春葉は、いまだに逃走中のままだった。


 今回のこの事件(ヤマ)には、オチも意味も、ないままで、終わりがきた。
 僕がこの事件を語るには、あまりに深い入りし過ぎていた。
 熊沢たちが〈見かけたことのある人間〉を狙っていたことを、アシェラさんも警察も掴んでいて、現行犯逮捕をしたかったことも含めて。
 ……やりきれない気持ちが勝る。

 またひとつ、なにかが闇の中に消えたように、僕には思えるのだ。
 春葉との邂逅は、僕になにをもたらしたのだろうか。
 僕には、なにも見えない。



〈了〉
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登場人物紹介

蘆屋アシェラ

   蘆屋探偵事務所の探偵であり、陰陽師。

成瀬川るるせ

   警備員。

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