鵺の鳴く夜に蜘蛛の網目【第六話】
文字数 2,235文字
☆
両手を縛られ、天井から吊るされている格好になっている、それは白梅春葉の姿だった。
僕が唖然としていると、ゴガガガガガ、と鈍い音が鳴りだして。
それからひときわ大きな落雷の音がこの〈独房〉の中にも響いた。
「ひ、ひいいいいいい」
落雷で叫んだのは、院長の長久保だった。
うずくまって、頭を抱えて震えている。
長久保はわめきだす。
「雷獣! 〈鵺〉だ! 〈鵺〉だッ! 妖怪変化が襲ってくりゅううぅぅぅぅ!」
完全に取り乱している。
目を細めてそれを見たアシェラさんは、携帯電話を取り出し、通話をする。
「おーい、八咫烏」
「なによ! ひとづかいが荒いんだから!」
スピーカーモードなので、八咫烏こと魔法少女鴉坂つばめちゃんの声も、ばっちり聞こえる。
「さっき頼んだように、頼むよ。今日の昼に、魔法を使ったのを園田くんに来てもらってごまかしてあげたの、僕なんだよ?」
〈さっき頼んだ〉のさっきとは、ここに来る前の探偵事務所での五分間のことである。
あのとき、アシェラさんは、つばめちゃんに電話をかけたのだった。
「もー。遠隔操作はムズいんだって!」
「頼むよ。今度、お酒おごるからさ」
「じゃあ、シャンペンタワーをやるわよ!」
「えー?」
「じゃあ、やめる」
「わかったって。シャンペンタワーでもドンペリでもお好きなのをどーぞ!」
「よろしい! いいとこあるじゃん、探偵! じゃあ、行くわよ、〈サイコダイブ〉の遠隔術式!」
「頼んだぞ、八咫烏!」
術式が唱えられる。
そして、現実が弾け飛び、僕らは異空間に放り投げこまれる。
僕の視界がぐにゃりと曲がる。
目玉焼きの時計。
砂漠の巨大モニュメントがつっかえ棒で支えられている図像。
それらが目の前で繰り広げられる。
僕の心は吹き飛んで、どこかへ吸い込まれていく。
抗えないパワーに、僕は久しぶりにまた、この身をゆだねることになったのだった。
☆
「ちなみに、ここは狂林総合病院院長の長久保の精神世界だ」
アシェラさんは、しれっとした態度で、そう言う。
頭が割れそうなほど、鳥の鳴き声がヒョーヒョーと響いている世界だった。
「囀る鳥さんも、ここじゃ邪魔なだけだね」
長久保の精神体 が、不安定な声で弁解しようとする。
「違うんだ、違うんだ! これは違うんだ!」
「なにが、どう、違うんだい? なんの話だい?」
「わしは春葉を〈かくまう〉ために、あすこに住まわしたんだ!」
「かくまう? へぇ。どぅれ、記憶を見てみようか?」
「や、やめ、やめろぉ! ひぃ!」
両手を縛って動けなくなった春葉の患者着と下着をめくり、尻を露出させ、そこに乗馬鞭を打ち付け喜ぶ長久保の姿が見える。
「へぇ。乗馬鞭でスパンキングかい? へぇ。かくまうだって? お前がスパンキングで性的快感を味わうことが、かくまう?」
「あ、あ、あいつは! あの女は、これでしか感じない変態で! わしと、趣味が合うだけなんだ! 本当なんだ!」
「へぇ。じゃあ、落雷するから、音を聴いてみろよ、じいさん」
アシェラさんが言うと同時に、雷が落ちる大きな音がして、あたりが黄色くフラッシュした。
「ひ。ひ。ひ。ひぃぃぃ。怖い、怖い、キメラが……雷獣が……〈鵺〉があああぁぁぁ!」
春葉の姿が変容し、その姿は、猿の顔、狸の胴体、虎の手足。尻尾は蛇の〈鵺〉となった。
「ぴぎゃあああああああああああ」
「わめくな!」
いつの間にか奪い取った乗馬鞭で長久保の身体を叩くアシェラさん。
「うひゃぁ!」
泣き笑いの顔で、涎を垂れ流す長久保。
「へへへへへ」
と声を出して、惚けだした。
「鵺は蜘蛛の糸を張り巡らす。そう、今回、鵺はこの長久保の頭の中に蜘蛛の糸の網目を張り巡らせたのさ」
僕は泣き笑いをして惚けている長久保を見てから、アシェラさんに言った。
「これ、どういうことなんです? たぶん、この鵺は……」
ふぅ、と大きく息を吐くアシェラさん。
「そうなんだ。現実世界にいるあの白梅春葉に見える人物は、本物の白梅春葉ではないんだ」
「と、いうことは」
「この長久保院長の専門は、美容整形だそうだよ」
僕は言葉を失う。
「鵺も、この長久保という男の〈妄執〉が生み出したバケモノさ。この整形されてしまったかわいそうな女の子は、関係ない」
鵺という怪異は長久保の心の闇が生み出したもので、女の子自身は怪異ではなかったのだ。
「……なぜ、春葉、なんでしょう」
「忘れられなかったんじゃないかな。いい女ってのは、ときに、忘れられないものさ」
「いい女……」
「僕にはすこしも理解できないけれどね。なんだろう、この男。白梅春葉と〈そういう関係〉でも、あったのかな」
「…………」
アシェラさんが手をかざすと、その手に黒塗りで藤を巻いた〈大将の持ち弓〉である〈重藤の弓〉が現れた。
伝説で、鵺を葬った弓だ。
アシェラさんはその弓を握り締めた。
もう片方の手には、尖り矢が二本。
これも握り絞める。
雷を落とした黒雲が意思を持ったようにうごめき始め、鵺を覆い、包み込み、鵺は黒雲とひとつになった。
「仕方ないな」
そう言ってアシェラさんは、矢を取って弓につがえ、よく引き絞り。
「南無八幡大菩薩!」
そう叫び。
黒雲に向かって弓矢を放った。
両手を縛られ、天井から吊るされている格好になっている、それは白梅春葉の姿だった。
僕が唖然としていると、ゴガガガガガ、と鈍い音が鳴りだして。
それからひときわ大きな落雷の音がこの〈独房〉の中にも響いた。
「ひ、ひいいいいいい」
落雷で叫んだのは、院長の長久保だった。
うずくまって、頭を抱えて震えている。
長久保はわめきだす。
「雷獣! 〈鵺〉だ! 〈鵺〉だッ! 妖怪変化が襲ってくりゅううぅぅぅぅ!」
完全に取り乱している。
目を細めてそれを見たアシェラさんは、携帯電話を取り出し、通話をする。
「おーい、八咫烏」
「なによ! ひとづかいが荒いんだから!」
スピーカーモードなので、八咫烏こと魔法少女鴉坂つばめちゃんの声も、ばっちり聞こえる。
「さっき頼んだように、頼むよ。今日の昼に、魔法を使ったのを園田くんに来てもらってごまかしてあげたの、僕なんだよ?」
〈さっき頼んだ〉のさっきとは、ここに来る前の探偵事務所での五分間のことである。
あのとき、アシェラさんは、つばめちゃんに電話をかけたのだった。
「もー。遠隔操作はムズいんだって!」
「頼むよ。今度、お酒おごるからさ」
「じゃあ、シャンペンタワーをやるわよ!」
「えー?」
「じゃあ、やめる」
「わかったって。シャンペンタワーでもドンペリでもお好きなのをどーぞ!」
「よろしい! いいとこあるじゃん、探偵! じゃあ、行くわよ、〈サイコダイブ〉の遠隔術式!」
「頼んだぞ、八咫烏!」
術式が唱えられる。
そして、現実が弾け飛び、僕らは異空間に放り投げこまれる。
僕の視界がぐにゃりと曲がる。
目玉焼きの時計。
砂漠の巨大モニュメントがつっかえ棒で支えられている図像。
それらが目の前で繰り広げられる。
僕の心は吹き飛んで、どこかへ吸い込まれていく。
抗えないパワーに、僕は久しぶりにまた、この身をゆだねることになったのだった。
☆
「ちなみに、ここは狂林総合病院院長の長久保の精神世界だ」
アシェラさんは、しれっとした態度で、そう言う。
頭が割れそうなほど、鳥の鳴き声がヒョーヒョーと響いている世界だった。
「囀る鳥さんも、ここじゃ邪魔なだけだね」
長久保の
「違うんだ、違うんだ! これは違うんだ!」
「なにが、どう、違うんだい? なんの話だい?」
「わしは春葉を〈かくまう〉ために、あすこに住まわしたんだ!」
「かくまう? へぇ。どぅれ、記憶を見てみようか?」
「や、やめ、やめろぉ! ひぃ!」
両手を縛って動けなくなった春葉の患者着と下着をめくり、尻を露出させ、そこに乗馬鞭を打ち付け喜ぶ長久保の姿が見える。
「へぇ。乗馬鞭でスパンキングかい? へぇ。かくまうだって? お前がスパンキングで性的快感を味わうことが、かくまう?」
「あ、あ、あいつは! あの女は、これでしか感じない変態で! わしと、趣味が合うだけなんだ! 本当なんだ!」
「へぇ。じゃあ、落雷するから、音を聴いてみろよ、じいさん」
アシェラさんが言うと同時に、雷が落ちる大きな音がして、あたりが黄色くフラッシュした。
「ひ。ひ。ひ。ひぃぃぃ。怖い、怖い、キメラが……雷獣が……〈鵺〉があああぁぁぁ!」
春葉の姿が変容し、その姿は、猿の顔、狸の胴体、虎の手足。尻尾は蛇の〈鵺〉となった。
「ぴぎゃあああああああああああ」
「わめくな!」
いつの間にか奪い取った乗馬鞭で長久保の身体を叩くアシェラさん。
「うひゃぁ!」
泣き笑いの顔で、涎を垂れ流す長久保。
「へへへへへ」
と声を出して、惚けだした。
「鵺は蜘蛛の糸を張り巡らす。そう、今回、鵺はこの長久保の頭の中に蜘蛛の糸の網目を張り巡らせたのさ」
僕は泣き笑いをして惚けている長久保を見てから、アシェラさんに言った。
「これ、どういうことなんです? たぶん、この鵺は……」
ふぅ、と大きく息を吐くアシェラさん。
「そうなんだ。現実世界にいるあの白梅春葉に見える人物は、本物の白梅春葉ではないんだ」
「と、いうことは」
「この長久保院長の専門は、美容整形だそうだよ」
僕は言葉を失う。
「鵺も、この長久保という男の〈妄執〉が生み出したバケモノさ。この整形されてしまったかわいそうな女の子は、関係ない」
鵺という怪異は長久保の心の闇が生み出したもので、女の子自身は怪異ではなかったのだ。
「……なぜ、春葉、なんでしょう」
「忘れられなかったんじゃないかな。いい女ってのは、ときに、忘れられないものさ」
「いい女……」
「僕にはすこしも理解できないけれどね。なんだろう、この男。白梅春葉と〈そういう関係〉でも、あったのかな」
「…………」
アシェラさんが手をかざすと、その手に黒塗りで藤を巻いた〈大将の持ち弓〉である〈重藤の弓〉が現れた。
伝説で、鵺を葬った弓だ。
アシェラさんはその弓を握り締めた。
もう片方の手には、尖り矢が二本。
これも握り絞める。
雷を落とした黒雲が意思を持ったようにうごめき始め、鵺を覆い、包み込み、鵺は黒雲とひとつになった。
「仕方ないな」
そう言ってアシェラさんは、矢を取って弓につがえ、よく引き絞り。
「南無八幡大菩薩!」
そう叫び。
黒雲に向かって弓矢を放った。