鵺の鳴く夜に蜘蛛の網目【解題】
文字数 1,021文字
☆
次の日。蘆屋探偵事務所にて。
「今回は、一体どういう事件だったんですか」
僕の質問には答えず。
濃い目のアイスコーヒーをストローですすってから、アシェラさんは、詩だかなんだかを、そらんじた。
「まことに他生の縁だと言って
折も折、今宵に、
この世にない人に逢う。合い竹の
棹を取り直し
うつほ舟に
乗るかと見えたが
夜に寄せる波に
浮きつ、沈みつ、見えつ、隠れつして、
途絶えがちに、
幾度も聞こえるは鵺の声。
恐ろしく、凄まじき、ああ、凄まじい」
僕はアイスコーヒーのストローをかじりながら、
「なんです、それ?」
と、アシェラさんに尋ねた。
「さぁね」
と、アシェラさんは応えた。
蘆屋探偵事務所を出ると、その頃はもう夕方だった。
あの偽春葉事件は、もう昨日のことだった。
病院は、大変な騒ぎになった。
でも、そんなの僕の知るところじゃなかった。
それに、春葉の汚名が晴れることなんて、ないのだから。
殺人鬼の、彼女の、汚名なんて。
晴れるわけがなかった。
それは腫れもののように、晴れない。
落下する夕方の太陽の方を向く。
陽炎のようにちらついて、人影が揺らめいた。
「春葉はねっ、『山の端にかかるお月さまのようにっ、我が身を照らして救い給えー』って、願いながらねっ。月とともに闇に沈むからっ。そのときはるるせにも、〈朝〉が訪れるねっ?」
春葉がこんなところにいるはずがなかった。
ましてや、こんな謎かけのような言葉を僕に投げかけるわけがなかった。
だけど、僕は揺らめく人影に向かって、言葉を投げ返す。
「春葉。もう夜が来るよ。確かに、〈朝〉はどんな夜にだって来るものだ。でも、月に照らされた春葉の住む〈夜〉なら、僕はいつだって受け入れるよ!」
人影は言う。
「ダメだよ、るるせっ。それじゃるるせも、闇に飲み込まれちゃうよっ?」
「でも! それでも僕はッッッ」
日が沈む。あたりが暗くなる。汗がこめかみから流れた。
あたりの暗さに、人影の揺らめきは掻き消えていく。
「こっちには、来ちゃダメだよっ、るるせ。闇に、飲み込まれないでねっ。約束だよっ?」
「春葉!」
人影は消え、夜は、訪れた。
その夜は、春葉のいない夜だ。
街灯がつく。
僕は俯いた。
涙が流れて、落ちる汗のしずくと一緒になって、地面を濡らした。
〈了〉
次の日。蘆屋探偵事務所にて。
「今回は、一体どういう事件だったんですか」
僕の質問には答えず。
濃い目のアイスコーヒーをストローですすってから、アシェラさんは、詩だかなんだかを、そらんじた。
「まことに他生の縁だと言って
折も折、今宵に、
この世にない人に逢う。合い竹の
棹を取り直し
うつほ舟に
乗るかと見えたが
夜に寄せる波に
浮きつ、沈みつ、見えつ、隠れつして、
途絶えがちに、
幾度も聞こえるは鵺の声。
恐ろしく、凄まじき、ああ、凄まじい」
僕はアイスコーヒーのストローをかじりながら、
「なんです、それ?」
と、アシェラさんに尋ねた。
「さぁね」
と、アシェラさんは応えた。
蘆屋探偵事務所を出ると、その頃はもう夕方だった。
あの偽春葉事件は、もう昨日のことだった。
病院は、大変な騒ぎになった。
でも、そんなの僕の知るところじゃなかった。
それに、春葉の汚名が晴れることなんて、ないのだから。
殺人鬼の、彼女の、汚名なんて。
晴れるわけがなかった。
それは腫れもののように、晴れない。
落下する夕方の太陽の方を向く。
陽炎のようにちらついて、人影が揺らめいた。
「春葉はねっ、『山の端にかかるお月さまのようにっ、我が身を照らして救い給えー』って、願いながらねっ。月とともに闇に沈むからっ。そのときはるるせにも、〈朝〉が訪れるねっ?」
春葉がこんなところにいるはずがなかった。
ましてや、こんな謎かけのような言葉を僕に投げかけるわけがなかった。
だけど、僕は揺らめく人影に向かって、言葉を投げ返す。
「春葉。もう夜が来るよ。確かに、〈朝〉はどんな夜にだって来るものだ。でも、月に照らされた春葉の住む〈夜〉なら、僕はいつだって受け入れるよ!」
人影は言う。
「ダメだよ、るるせっ。それじゃるるせも、闇に飲み込まれちゃうよっ?」
「でも! それでも僕はッッッ」
日が沈む。あたりが暗くなる。汗がこめかみから流れた。
あたりの暗さに、人影の揺らめきは掻き消えていく。
「こっちには、来ちゃダメだよっ、るるせ。闇に、飲み込まれないでねっ。約束だよっ?」
「春葉!」
人影は消え、夜は、訪れた。
その夜は、春葉のいない夜だ。
街灯がつく。
僕は俯いた。
涙が流れて、落ちる汗のしずくと一緒になって、地面を濡らした。
〈了〉