鵺の鳴く夜に蜘蛛の網目【解題】

文字数 1,021文字






 次の日。蘆屋探偵事務所にて。

「今回は、一体どういう事件だったんですか」
 僕の質問には答えず。
 濃い目のアイスコーヒーをストローですすってから、アシェラさんは、詩だかなんだかを、そらんじた。
「まことに他生の縁だと言って
 折も折、今宵に、
 この世にない人に逢う。合い竹の
 棹を取り直し
 うつほ舟に
 乗るかと見えたが
 夜に寄せる波に
 浮きつ、沈みつ、見えつ、隠れつして、
 途絶えがちに、
 幾度も聞こえるは鵺の声。
 恐ろしく、凄まじき、ああ、凄まじい」

 僕はアイスコーヒーのストローをかじりながら、
「なんです、それ?」
 と、アシェラさんに尋ねた。

「さぁね」
 と、アシェラさんは応えた。


 蘆屋探偵事務所を出ると、その頃はもう夕方だった。
 あの偽春葉事件は、もう昨日のことだった。
 病院は、大変な騒ぎになった。
 でも、そんなの僕の知るところじゃなかった。
 それに、春葉の汚名が晴れることなんて、ないのだから。
 殺人鬼の、彼女の、汚名なんて。
 晴れるわけがなかった。
 それは腫れもののように、晴れない。


 落下する夕方の太陽の方を向く。
 陽炎のようにちらついて、人影が揺らめいた。

「春葉はねっ、『山の端にかかるお月さまのようにっ、我が身を照らして救い給えー』って、願いながらねっ。月とともに闇に沈むからっ。そのときはるるせにも、〈朝〉が訪れるねっ?」

 春葉がこんなところにいるはずがなかった。
 ましてや、こんな謎かけのような言葉を僕に投げかけるわけがなかった。
 だけど、僕は揺らめく人影に向かって、言葉を投げ返す。

「春葉。もう夜が来るよ。確かに、〈朝〉はどんな夜にだって来るものだ。でも、月に照らされた春葉の住む〈夜〉なら、僕はいつだって受け入れるよ!」


 人影は言う。
「ダメだよ、るるせっ。それじゃるるせも、闇に飲み込まれちゃうよっ?」
「でも! それでも僕はッッッ」

 日が沈む。あたりが暗くなる。汗がこめかみから流れた。
 あたりの暗さに、人影の揺らめきは掻き消えていく。
「こっちには、来ちゃダメだよっ、るるせ。闇に、飲み込まれないでねっ。約束だよっ?」
「春葉!」

 人影は消え、夜は、訪れた。
 その夜は、春葉のいない夜だ。
 街灯がつく。
 僕は俯いた。
 涙が流れて、落ちる汗のしずくと一緒になって、地面を濡らした。



〈了〉
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登場人物紹介

蘆屋アシェラ

   蘆屋探偵事務所の探偵であり、陰陽師。

成瀬川るるせ

   警備員。

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