椒図インセスト【Re:】

文字数 5,397文字

 蘆花公園の近くにある蘆屋探偵事務所の応接間のソファで僕、成瀬川るるせはせっせとスマートフォンゲームのイベントの周回にいそしんでいた。
 RPGゲームという奴は、周回、つまりマップをぐるぐる回って敵を倒しまくらないとイベントが進まないのだ。
「飽きもせずによく同じことの繰り返しをやっていられるもんだね、るるせくん。あ、珈琲飲むかい?」
「別に暇なわけじゃないですよー。ここんとこ大雨の日が続いて、警備員のバイトがないだけです」
「その実、仕事があっても大雨を口実に警備員を休んでいるのを僕は知っているよ」
「なっ! なぜそれを!」
「はぁ。顔に書いてあるだけだよ、るるせくん。僕の推理はどうやら当たったようだね」
「ひとがわるいですよ、アシェラさん。あ、珈琲、飲みたいです」
「じゃあ、自分で淹れたまえ」
「えー」
 文句のひとつも言いたいところだが、僕が朝っぱらからこの探偵事務所に来てだらけているのも事実だし、この事務所の主、蘆屋アシェラの推理は当たっていて、僕が自主的にバイトを休業しているのも事実だ。
 なにも言えたもんじゃない。僕は珈琲メーカーで珈琲を淹れることにする。
「僕の分も、ね」
「へいへい」
 僕が二人分の珈琲を用意していると、アシェラさんは読んでいた仕事の資料らしき紙束をテーブルに置き、背中越しに僕に語りかける。
「今、美術館に『椒図(ショウズ)』の絵画が来ているそうだよ。行ってみたいところだ」
「なんです、その椒図って?」
「椒図とは、竜の九匹の子供のうちの一匹さ。閉じることを好み、他所者が巣窟に入ることを嫌う、という。ひきこもりが他人を部屋に入れないように、ね」
「僕はその椒図と違いますからね。酷いなぁ、アシェラさん。僕はニートじゃないし、寛大な心で他人を受け入れる方ですよ」
 アシェラさんはふぅ、とため息を吐く。ドリップしている珈琲の香りが、応接間を包む。
「寛大な心、ねぇ。例えば、インセスト・タブーについて、るるせくんはどう思う? 受け入れるかい? 拒絶や嫌悪感を持つかい?」
「いんせ……んん? なんです、それ?」
「インセスト・タブー。近親相姦の禁忌のことさ。よく言われるように生まれる子供の遺伝的な悪影響を考えがちだが、それは民族理論の色彩が強い。
 未開社会にも『交叉イトコ婚』という、できた子供のキャッチボールをしていき、親族を拡大していくという風習があることを、文化人類学者のレヴィ=ストロースは書いた。
 近親婚の禁止によって、交換、関係の場としての社会が発展するからの禁忌さ」

 僕はカップに珈琲を注ぎ、テーブルにカップを置いた。
「ありがとう、るるせくん」
 珈琲をすするアシェラさん。
「さて。そんな関係の場としての社会に参加しないと椒図のように何人も寄せ付けないニートになってしまうのはわかったかね。仕事を用意した。さあ、行ってきたまえ」


「はい?」
 唖然とする僕を尻目に、資料を渡された僕は、大雨の中、仕事を頼まれてしまったのであった。







 下高井戸のドラッグストア。そこで僕は大雨の中、店頭で客の呼び込みの仕事をすることになった。
「だ、誰も立ち止まらねぇ」
 大雨である。誰も立ち止まらず、歩き去る。いらついた僕は、外郎売の口上を叫んだ。

「拙者親方と申すは、お立合いの中に御存知のお方もござりましょうが、 お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへおいでなさるれば、
 欄干橋虎屋藤衛門只今は剃髪致いたして、円斎と名乗りまする。
 元朝より大晦日までお手に入れまするこの薬は、昔ちんの国の唐人外郎という人、わが朝へ来きたり、帝へ参内の折から、この薬を深く篭おき、 用ゆる時は一粒づつ、冠の隙間より取り出いだす。
 依ってその名を帝より、とうちんかこうと賜はわる、 即ち文字には、『頂き、透く、香』と書いて、『とうちんかこう』と申す。
 只今はこの薬、殊の外世上に弘まり、方々に似看板を出だし……」


「ぷぷ、面白い。お兄さん、なにをお売りになってらしゃるのかしら」
 立ち止まった娘がいた。
 真っ赤な傘をさして。その髪の毛はバナナのようなツインテールで。ちょっとやつれているけれども、相当な美人だ。
「僕がなにを売っているって? 油を売っているのさ。つまり暇人。だからさ、お嬢さん。僕とお茶しませんか」
「え? わたしと?」
「はい。あなたと」
「買い物に付き合ってもらえるなら」

「よっしゃ!」


 僕はドラッグストアを早退することに決めた。
 僕のジーンズのポケットには、この娘と思われる写真が一葉、入っている。
「お嬢さん、お名前は?」
「青葉ナナ」
 ビンゴ!
「お茶しに行きましょう!」
「買い物が先ですよ。このお店でも買い物があるんです。風邪薬」
「風邪でも引いたのかな」
「いえ、兄が風邪を」
「じゃ。僕は店長に早退するって伝えてくるね」
「ふふ。変なひと」
「よく言われるよ」

 こうして僕は、アシェラさんからの依頼通り、青葉ナナと接触するのに成功した。







 風邪薬を買ったあと、青葉ナナが立ち寄ったのは酒屋だった。そこで、2.7リットルの大きな合成酒を買う。
「重いでしょ。持つよ」
「え。でも」
「持つって。じゃ、お茶にしよう」
「るるせさんはお酒、飲めますか」
「飲めるよ」
「嬉しい! じゃあ、兄さんの相手になってあげてください。兄は酒豪なんですよ。万年風邪ひきなんですけどね」
「ふーん。お言葉に甘えて、お邪魔しようかな。万年風邪ひきっていうのは」
「わたしは〈ばい菌〉なんです。小学生のときから〈ばい菌〉って言われてて。でも、実際に、兄はわたしの〈菌〉で風邪をひき続けているんです」
「君はばい菌なんかじゃないよ。こんなに可愛いのに」
「ありがとうございます。家はこの近くなんです。兄と、二人暮らしで」







 そのアパートに着くと、青葉ナナはカギを開け、僕を招き入れる。
 奥の部屋に兄さん、と呼びかけると、兄さんとやらが無精ひげで目の下にクマをつくった、パジャマ姿を僕の前に見せた。
「あんた、誰だ」
「成瀬川るるせ、ナナさんの友達です」
「へっ! 友達、ねぇ。おれは青葉ナスだ」
 パジャマ姿の青葉ナスは椅子に腰かけ、僕にも座ることをすすめる。僕はナスと向かい合うように座った。
 ナスはナナから奪うように風邪薬を取り、瓶のふたを開けて、三錠、口に含み、飲み込んだ。
「水で飲まないんですね。焼け付きますよ、喉に」
 僕が言うとナスは笑う。
「飲み物は酒しか飲まないんでね。ナナ。酒!」
「はい。兄さん」

 ナナもナスの横の椅子に座り、僕らはコップで合成酒を飲み始めた。
 しばらくすると、ナスはあごで奥の部屋を指さす。それに気づいたナナは、
「でも。兄さん」
 と、僕を見てから顔を赤らめる。
「いいだろ。お客さんには待っていてもらえ」
「はい。わかりました」
 ぐでんぐでんに酔っぱらいながら僕は、なにが「わかりました」なのだろうと思う。
「るるせさん。しばらく、一人でお酒を飲んでいてください。すぐ……戻りますから」
「ん? わかったよ」

 奥の部屋に消えた二人を見てから、僕は一人で合成酒を飲む。さっきから、僕はなんの話題をこの兄妹としただろうか、と考えた。
 そもそも、なんで僕はこの兄妹と接触することになったのか。ていうか、部屋まで来てしまってよかったのか?
 そんなことを考えながら、飲んでいると、奥の部屋から、ギシギシという木材が軋む音が聞こえてきた。

「……ッん、ちゅ、……んあ、あっ、あっ……いや、あ、ダメ、そこ……すごっ、声が出ちゃ……あっ、兄さ……ん、いいの、…………んんッ」

 なにかが始まっていた。と、いうか、奥の部屋で二人は性行為をしているのは明白だった。喘ぎ声が漏れ出している。
 どうしようもないまま、僕は酒を飲み続けた。

 掛け時計を見て、三十分が経った頃、二人は僕が飲んでいる部屋に戻ってきた。
 そして、しれっとした顔で、青葉ナスは僕と向かい合って合成酒を飲み始める。
「酒が足りない。買ってこい」
「はい、兄さん」
 気まずいので、僕はなにも言えないままで。
 ナナは一人、買い出しに出かけた。



「……るるせさんよぉ。ナナはな、おれに負い目があるんだ」
「はぁ」
「自分は〈ばい菌〉で、それでおれが風邪をひいてるってな。確かに、おれはいつも熱が出ている。調子も悪い。仕事を辞めたほどにな」
「…………」
「だからナナは、おれに、その身を捧げた。おいしいもんだぜ、あいつの身体はよぉ」
「へぇ」
「お前も味わってみるか? あいつの、ナナの、身体のおいしさをよぉ」
「は?」
「あはははは! 嘘だよ、嘘! それとも、本当に味わうか?」

 笑った途端、眼球が飛び出そうなほど、ナスは目を丸くし、それから身体を折って、その場で吐き出した。
 吐しゃ物がフローリングにぶちまけられる。
「あ、あ、あ、……あれ?」
 頭にクエスチョンマークが浮かんだ青葉ナスは、椅子からずり落ち、そのままうつぶせに倒れた。
 顔は吐しゃ物まみれだ。それでも動かないということは。まさか。

 僕はナスの脈を図る。心臓の鼓動も、止まっている。


 カギが開く音。
 その後の悲鳴。

「兄さん! 兄さんを殺したわね! るるせさんッッッ!」

「はい? いや。僕は。えーっと、違うんだけど」

「いやああああああああああああああああああああああああ」

 叫び声がアパートの一室に響いた。
 死んだ兄の元へ来て、吐しゃ物も構わずに抱き着く青葉ナナ。

 もうよくわからない。性交渉の次は、死体?
 どうしよう。どうしろってんだ、僕に?


「どうしようって、そりゃぁ、僕の出番だろ、るるせくん」

 そう。僕はその声を心のどこかで待っていたのだ。
 玄関から僕の名前を呼んだのは、蘆屋探偵事務所の所長、探偵の蘆屋アシェラさんだった。







「白々しい演技をやめたまえ、青葉ナナ」
「なっ! なによ、あなた! 勝手に部屋に踏み込んでこないで!」
 アシェラさんはナナを、冷たい目で見据える。
「救急車は呼んでおいたよ。次いでパトカーも来る。鑑識にまわせばすぐに、明るみになる」
「な、なにがよっ!」
「長期計画を練ったみたいだけどね。故意の事故に見せかけても、無駄さ」
 僕は酩酊しながら、アシェラさんの言葉を待っている。
「君は〈ばい菌〉じゃない。だが、君の兄さんが発熱や風邪らしき症状が出ていたのは、君たちが性病に感染していたからだ。君も頭痛持ちなんだろう、青葉ナナ」
 言われて、びくっとする青葉ナナ。
 アシェラさんは続ける。

「風邪だと言われたから風邪薬を買ってきて飲んでもらっていた。酒豪だから酒を買ってきて飲ませてあげていた。
 そして計画殺人をごまかすため、第一発見者が必要だから、都合よくナンパしてきたるるせくんを使った」

 ……いや、あなたに言われたから接触したんですけどね、アシェラさん。


「どういうことなんです、アシェラさん。青葉ナスは、なんでいきなり倒れて死んで、それが計画殺人だとわかるんですか」
「これがどういうことかの説明が必要のようだね」


 アシェラさんは、深呼吸をしてから、言葉を紡ぐ。
「さて。なぜこれが計画殺人だったか。もちろんこれは急性アルコール中毒でないのは、わかるよね。凶器は、風邪薬と合成酒。……言い換えよう。犯行に使われたのは、アセトアミノフェンとアルコールだ。
 風邪薬に使われるアセトアミノフェンは人体に有害なんだ。よってグルタチオンで代謝される。
 だが、アルコールを摂取するとグルタチオンがアルコール処理に使われ、アセトアミノフェンの有害代謝はされず、残留する。
 その有害物質が蓄積し、ついに死に至ったんだ。いつ死ぬかは賭けだったのだろうが、第一発見者に仕立て上げるため、るるせくんを引き込んだんだね」


 いや、この事件に僕を引き込んだのはアシェラさんでもあるけどね?


「動機は、インセスト・タブーを破ったのに、耐えられなかったからじゃないかな、青葉ナナ」

 青葉ナナは、兄の亡骸を抱きしめながら、泣いていた。
「こんな、こんなのってないじゃないですか。わたしは〈ばい菌〉だった。みんなからいじめられていた。助けてくれていたのは、いつも兄だった……」

 子供の時のいじめ。そのとき心なく使われた〈菌〉という言葉は、酷いものだった。
 だから、青葉ナナが性病に感染した時、それが過去の記憶と結びついてしまったのだろう。

「風邪じゃなかったんだ、それは性病の症状だ。君はばい菌なんかじゃないんだよ」

「うわああああああああんんんん」
 亡骸を抱きしめて、泣いている青葉ナナ。
 ナナの声と混じって、救急車のサイレンが響き、近づいてくる。


 僕は、青葉ナナの背中に手をあてる。

「今度、一緒にお茶でも飲みに行こうよ」

 そう言うだけで、僕は精一杯だった。


〈了〉
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

蘆屋アシェラ

   蘆屋探偵事務所の探偵であり、陰陽師。

成瀬川るるせ

   警備員。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み