天鼓の舞楽に六道輪廻の夜半楽【最終話】
文字数 3,424文字
☆
僕は孤立しているので、なにかしらの詐術をかけられたら、まわりがない以上、簡単に詐術にかかってしまうし、かかったことには気づかないだろう。
それを「バカだ」と一笑に付され、悔しくても這い上がるの厳しくないか。「みんなそれでも頑張っているんだよ!」と言われたところで果たして「みんな」とは一体「誰」のことなんだろう。
自分の言葉を僕は果たして持っているのだろうか。
他人や世間、社会といった外界をはかる尺度がないので自分の個人史、経験としか照らし合わせてないで言葉を吐き出している。
愚者は経験に学ぶというが、僕は愚者にすらなれない。
背伸びしたって歴史に学ぶには知識がないし、なにかを学ぶと常にそこは沼地なのだけは知ってる。
僕はこれまでなにを学んできたというのか。
なにを経験してきたというのか。
店を出て。
僕はかぷりこに連れられて、井の頭公園を歩く。
カップルでもたくさんいるかと思ったが、公園の一角の樹に〈人払いの護符〉が貼ってあり、そこを通り過ぎると、ひとは全くいなくなった。
いなくなったそのなかを、池沿いに歩く。ぐるっとまわると、花見の名所である場所になる。
池にかかった橋を二人で歩く。
僕より先を歩いていたかぷりこは立ち止まり僕の方を向き、欄干に背をもたれかけるようにして、僕に話しかける。
かぷりこの黒くて腰まで届く長い髪が、池に映る月や星々と調和して、幽玄の美で僕を魅せる。
ああ、苺屋かぷりこは、美人なんだな、と再認識する。
詐術にかかっているわけじゃない、と思う。この美は僕が確かに感じたもので、人払いの符もまた、本物だった。
ここには、本物だけがあった。
偽物がいるとしたらそれは僕だけで、そんな僕が紡ぐ物語は全部、正典に対しての〈偽典〉だ、と思った。
「なぁ、るるせ」
かぷりこの髪が風に揺れ、月の光の反射なのか、キラキラ輝く。
僕は輝くかぷりこと対照的に、闇に紛れる。
「もう、辞めないか、この魔都を、徒手空拳で生きていこうなんて無理なことをするのは。見てられないぜ」
「…………」
「特にやりたいことなんて、本当はないんだろう」
「ぼ、僕は……」
「白梅春葉を追っているのなら、今すぐ忘れろ」
「なんでそれを、かぷりこ。君が」
大きくため息を吐くかぷりこはまだ、欄干に背をもたれさせているままだ。
「わかるぜ、そのくらいは。地元住民だぜ、あたしは。情報は嫌でも流れてくる。誰も言わないだけで、るるせがあの〈隔離病棟〉からの〈帰還者〉なのも知っている」
「でも、僕はッ!」
かぷりこは空を仰いで、「あー」と声を出した。
あきれている、といった風だ。
「るるせ。おまえ、なにもわかっちゃいない。あっちを見てみろ」
かぷりこが指をさす。
すると、今までそこには〈なにもなかったはず〉なのに、池の中に、大きい樹が現れていた。
さも、そこに今までずっとあったかのように。
僕は樹を見上げた。
その樹は、天まで伸びている。
「これが、七夕の〈世界樹〉だ。これを伝って、牽牛は織姫に逢いに行く。年に一度、な」
見上げていると、うしろから肩をぽん、と叩かれる。
振り向くと、それはあの〈探偵〉、蘆屋アシェラさんだった。
「どうにもならん、のがどうにかなる。それは僕の思想でもある。でも、どうにかなると困る側の人間も、その時に存在するときがある」
アシェラさんは、陰陽師の狩衣を着ている。
「アシェラさん。一体なにを言ってるんですか」
僕は振り向いて、そう言った。
「陰陽の陽が重なるのが、今日の夕方あたりだったんだ。その時から、〈世界樹〉はここに顕現している。君には見えなかっただろう」
「はい」
「るるせくん。それが君の限界さ。ここらに身を置くものだったら、ある程度こんなことは〈わかる〉のさ。君にはわかっていたかい」
「それは……」
「スポーツマンの足利くんは偉いよね。それに、ミュージシャンの柵山くんも。目的の〈目標〉に、近づいていっている。それが成功するかは別として」
「…………」
「君の隣室の八咫烏は、〈天鼓の依り代〉を先導して、世界樹にのぼって行ったよ。もうすぐ、その姿を現すから、見てみなよ」
それを聞いていたかぷりこは、また「あー」と、やる気ない声を出した。
まるで、これからなにが起こるかわかっているみたいだ。
「わかっているみたい、じゃないんだよ、るるせくん。ここにいるような人間は、大抵は〈わきまえている〉ものさ」
アシェラさんは、
「ほら。見てみろよ、〈世界樹〉のあった場所を」
言われて、僕は〈世界樹〉を見る……が、そこにはもう、世界樹なんてなかった。
池の上に、棚が浮いている。
棚の上には機織り機。
その横で、抱きしめあってまぐわっている男女の姿。
棚の機 で、七夕、か。
「天鼓の〈舞楽〉ってやつさ。舞うようにしているだろう? しているのは、要するに性行為だけどね。一年に一度しか逢えないんだ。まあ、それで今はそういう時間なわけさ」
井の頭公園の池の上の〈舞楽〉は続く。果てしないかのように、情熱的に。
かぷりこは僕に投げかける。
「あたしらは〈夜半楽〉でも奏でようぜ」
その言葉に、アシェラさんは噴き出す。
「それがいい。夜半楽とは、退出音声 を指す。つまり、参会者が退場する時の音楽のことを、夜半楽と呼ぶのさ」
僕はまぐわる二人を見る。
「で、でもあれは。あの、女性は」
「るるせくん。殺人鬼の彼女を、本当に刑事の園田乙女くんが見つけられなかった、とでも?」
「え? あぁ? それって。でも、僕は……」
僕はずっと見ている。
舞うように架橋久弥と性行為を楽しんでいる〈白梅春葉〉を。
「六道輪廻はあれども、彼と彼女は何度でも、姿を変えて〈出逢うようにできている〉のさ。なにせ、〈天鼓〉だぜ? 人間の世界より苦が少なく楽の多い世界に生きてるのさ。最悪な奴らなのに、ね」
それを聞いて、今度はかぷりこが噴き出した。
「あははっ。ちげーねぇ。さ、帰ろうぜ、るるせ。七夕の儀式の謎がわかってよかったじゃねーか。で、どこに帰るかは、よく考えろ。これでも東京にいる意味、おまえにあるのか? そこもよく考えろ」
空を見上げていたかぷりこは、僕に視線を移し、付け加える。池の上では七夕の舞楽……性行為が続いている。
「鴉坂つばめは優しいだろ? この仕事をしたくなかったんだろうぜ。るるせが白梅春葉のことが好きなのを、知っていたからな」
探偵は、言う。
「この〈東京〉の安定に必要な奴らってのが、確かに存在していて、そいつらには〈法〉は適用されないことがほとんどなのさ。残念だったね、るるせくん。もっと早く言いたかったけど、見せたほうが速い、とも思っていたんだ。君は納得しない男だからね。なにに関しても、納得せず、あきらめられない性格をしている」
僕の涙は枯れているのかもしれない。
こうなることはわかっていた。
泣くことはなかった。
きっと。たぶん。こうなることは、わかっていたんだ。だから。
かぷりこは苦笑して言う。
「今日はあたしとパスタ喰えてよかったろ? さ、とりあえずアパートにでも帰りな。これからのことは、ちゃんと考えろ」
アシェラさんは僕をまっすぐに見て、言った。
「僕らは退出の時間だよ。夜半楽が鳴っているってわけさ。舞楽を踊っている彼らに、声は届かない」
僕は目を瞑って、それから大きく深呼吸をした。
目を開ける。
そう。
彼らに、僕の声は届かない。
「今日は付き合ってくれありがとね。かぷりこ。それに、……アシェラさんも」
「どういたしまして」
アシェラさんは、そう返すと、
「珈琲でも飲むかい? 事務所で淹れる珈琲にはこだわっているんだよ」
って、言う。
久弥と春葉は舞楽を続けている。
もしかしたらそれは美しいものなのかもしれない。七夕を祝うっていうのは、そういうことを指すのかもしれない。
でも。
僕はここから離れることを選んだ。
僕も、思わず吹き出す。
僕は、ここから離れる。
……だけど、それでも、僕の人生は続く。
〈了〉
僕は孤立しているので、なにかしらの詐術をかけられたら、まわりがない以上、簡単に詐術にかかってしまうし、かかったことには気づかないだろう。
それを「バカだ」と一笑に付され、悔しくても這い上がるの厳しくないか。「みんなそれでも頑張っているんだよ!」と言われたところで果たして「みんな」とは一体「誰」のことなんだろう。
自分の言葉を僕は果たして持っているのだろうか。
他人や世間、社会といった外界をはかる尺度がないので自分の個人史、経験としか照らし合わせてないで言葉を吐き出している。
愚者は経験に学ぶというが、僕は愚者にすらなれない。
背伸びしたって歴史に学ぶには知識がないし、なにかを学ぶと常にそこは沼地なのだけは知ってる。
僕はこれまでなにを学んできたというのか。
なにを経験してきたというのか。
店を出て。
僕はかぷりこに連れられて、井の頭公園を歩く。
カップルでもたくさんいるかと思ったが、公園の一角の樹に〈人払いの護符〉が貼ってあり、そこを通り過ぎると、ひとは全くいなくなった。
いなくなったそのなかを、池沿いに歩く。ぐるっとまわると、花見の名所である場所になる。
池にかかった橋を二人で歩く。
僕より先を歩いていたかぷりこは立ち止まり僕の方を向き、欄干に背をもたれかけるようにして、僕に話しかける。
かぷりこの黒くて腰まで届く長い髪が、池に映る月や星々と調和して、幽玄の美で僕を魅せる。
ああ、苺屋かぷりこは、美人なんだな、と再認識する。
詐術にかかっているわけじゃない、と思う。この美は僕が確かに感じたもので、人払いの符もまた、本物だった。
ここには、本物だけがあった。
偽物がいるとしたらそれは僕だけで、そんな僕が紡ぐ物語は全部、正典に対しての〈偽典〉だ、と思った。
「なぁ、るるせ」
かぷりこの髪が風に揺れ、月の光の反射なのか、キラキラ輝く。
僕は輝くかぷりこと対照的に、闇に紛れる。
「もう、辞めないか、この魔都を、徒手空拳で生きていこうなんて無理なことをするのは。見てられないぜ」
「…………」
「特にやりたいことなんて、本当はないんだろう」
「ぼ、僕は……」
「白梅春葉を追っているのなら、今すぐ忘れろ」
「なんでそれを、かぷりこ。君が」
大きくため息を吐くかぷりこはまだ、欄干に背をもたれさせているままだ。
「わかるぜ、そのくらいは。地元住民だぜ、あたしは。情報は嫌でも流れてくる。誰も言わないだけで、るるせがあの〈隔離病棟〉からの〈帰還者〉なのも知っている」
「でも、僕はッ!」
かぷりこは空を仰いで、「あー」と声を出した。
あきれている、といった風だ。
「るるせ。おまえ、なにもわかっちゃいない。あっちを見てみろ」
かぷりこが指をさす。
すると、今までそこには〈なにもなかったはず〉なのに、池の中に、大きい樹が現れていた。
さも、そこに今までずっとあったかのように。
僕は樹を見上げた。
その樹は、天まで伸びている。
「これが、七夕の〈世界樹〉だ。これを伝って、牽牛は織姫に逢いに行く。年に一度、な」
見上げていると、うしろから肩をぽん、と叩かれる。
振り向くと、それはあの〈探偵〉、蘆屋アシェラさんだった。
「どうにもならん、のがどうにかなる。それは僕の思想でもある。でも、どうにかなると困る側の人間も、その時に存在するときがある」
アシェラさんは、陰陽師の狩衣を着ている。
「アシェラさん。一体なにを言ってるんですか」
僕は振り向いて、そう言った。
「陰陽の陽が重なるのが、今日の夕方あたりだったんだ。その時から、〈世界樹〉はここに顕現している。君には見えなかっただろう」
「はい」
「るるせくん。それが君の限界さ。ここらに身を置くものだったら、ある程度こんなことは〈わかる〉のさ。君にはわかっていたかい」
「それは……」
「スポーツマンの足利くんは偉いよね。それに、ミュージシャンの柵山くんも。目的の〈目標〉に、近づいていっている。それが成功するかは別として」
「…………」
「君の隣室の八咫烏は、〈天鼓の依り代〉を先導して、世界樹にのぼって行ったよ。もうすぐ、その姿を現すから、見てみなよ」
それを聞いていたかぷりこは、また「あー」と、やる気ない声を出した。
まるで、これからなにが起こるかわかっているみたいだ。
「わかっているみたい、じゃないんだよ、るるせくん。ここにいるような人間は、大抵は〈わきまえている〉ものさ」
アシェラさんは、
「ほら。見てみろよ、〈世界樹〉のあった場所を」
言われて、僕は〈世界樹〉を見る……が、そこにはもう、世界樹なんてなかった。
池の上に、棚が浮いている。
棚の上には機織り機。
その横で、抱きしめあってまぐわっている男女の姿。
棚の
「天鼓の〈舞楽〉ってやつさ。舞うようにしているだろう? しているのは、要するに性行為だけどね。一年に一度しか逢えないんだ。まあ、それで今はそういう時間なわけさ」
井の頭公園の池の上の〈舞楽〉は続く。果てしないかのように、情熱的に。
かぷりこは僕に投げかける。
「あたしらは〈夜半楽〉でも奏でようぜ」
その言葉に、アシェラさんは噴き出す。
「それがいい。夜半楽とは、
僕はまぐわる二人を見る。
「で、でもあれは。あの、女性は」
「るるせくん。殺人鬼の彼女を、本当に刑事の園田乙女くんが見つけられなかった、とでも?」
「え? あぁ? それって。でも、僕は……」
僕はずっと見ている。
舞うように架橋久弥と性行為を楽しんでいる〈白梅春葉〉を。
「六道輪廻はあれども、彼と彼女は何度でも、姿を変えて〈出逢うようにできている〉のさ。なにせ、〈天鼓〉だぜ? 人間の世界より苦が少なく楽の多い世界に生きてるのさ。最悪な奴らなのに、ね」
それを聞いて、今度はかぷりこが噴き出した。
「あははっ。ちげーねぇ。さ、帰ろうぜ、るるせ。七夕の儀式の謎がわかってよかったじゃねーか。で、どこに帰るかは、よく考えろ。これでも東京にいる意味、おまえにあるのか? そこもよく考えろ」
空を見上げていたかぷりこは、僕に視線を移し、付け加える。池の上では七夕の舞楽……性行為が続いている。
「鴉坂つばめは優しいだろ? この仕事をしたくなかったんだろうぜ。るるせが白梅春葉のことが好きなのを、知っていたからな」
探偵は、言う。
「この〈東京〉の安定に必要な奴らってのが、確かに存在していて、そいつらには〈法〉は適用されないことがほとんどなのさ。残念だったね、るるせくん。もっと早く言いたかったけど、見せたほうが速い、とも思っていたんだ。君は納得しない男だからね。なにに関しても、納得せず、あきらめられない性格をしている」
僕の涙は枯れているのかもしれない。
こうなることはわかっていた。
泣くことはなかった。
きっと。たぶん。こうなることは、わかっていたんだ。だから。
かぷりこは苦笑して言う。
「今日はあたしとパスタ喰えてよかったろ? さ、とりあえずアパートにでも帰りな。これからのことは、ちゃんと考えろ」
アシェラさんは僕をまっすぐに見て、言った。
「僕らは退出の時間だよ。夜半楽が鳴っているってわけさ。舞楽を踊っている彼らに、声は届かない」
僕は目を瞑って、それから大きく深呼吸をした。
目を開ける。
そう。
彼らに、僕の声は届かない。
「今日は付き合ってくれありがとね。かぷりこ。それに、……アシェラさんも」
「どういたしまして」
アシェラさんは、そう返すと、
「珈琲でも飲むかい? 事務所で淹れる珈琲にはこだわっているんだよ」
って、言う。
久弥と春葉は舞楽を続けている。
もしかしたらそれは美しいものなのかもしれない。七夕を祝うっていうのは、そういうことを指すのかもしれない。
でも。
僕はここから離れることを選んだ。
僕も、思わず吹き出す。
僕は、ここから離れる。
……だけど、それでも、僕の人生は続く。
〈了〉