鵺の鳴く夜に蜘蛛の網目【第一話】

文字数 3,419文字

 警備員のバイトが今日は夜間作業になる。朝、警備会社からそう連絡が来た。
 予定がズレて昼間は暇になってしまった。
 なのでウェブ小説でも書いて暇をつぶそうと、僕は浜田山にある〈苺屋キッチン〉に来ていた。
 ここでアイスコーヒーでも飲みながら執筆する、という魂胆である。

 この前の同人誌即売イベントで大惨敗した僕である。精進しなきゃ、とちょっとくらいは思うのである。

 店内は冷房が効いていて、涼しい。扇風機しかない僕の部屋と比べたら天国である。
「はぁ、極楽だぁ」
「なぁにが、極楽だ、この阿呆」
 バキッと、トレンチで叩かれる僕。
 振り向くと青いギンガムチェックの制服に身を包んだウェイトレス。
 ウェイトレスはここの看板娘、苺屋かぷりこだった。
「るるせ。お前はアイスコーヒー一杯だけで今日は何時間、ここで粘る気だ?」
「さぁ……? あたりが暗くなるまで?」
 もう一回、トレンチでぶっ叩かれる僕。
 苺屋かぷりこは腰まである長い髪を、空いている方の手でさらりとかきあげ、ため息をついた。
「本当はあたしのことが恋しいからここで執筆してるんじゃねーのか、るるせ?」
「それはない」
 さらにトレンチで叩かれる。
「そこは顔を赤らめとけよ、るるせ。できてない男だぜ、アンタは、さ」
「コミュニケーション障害なんだ、仕方がない」
「コミュ障、ねぇ。それを言ったら隣室の鴉坂つばめを部屋から引っ張り出してこいよ、たまには。あいつ、ニート街道まっしぐらだぜ?」
 隣室の鴉坂つばめとは、僕の住むアパートで、僕の隣の部屋に住む、魔法少女である、つばめちゃんのことだ。
 つばめちゃんは、確かに引きこもりがちな女の子である。
「優しいんだね、かぷりこは」
 僕は感心してしまう。
「あたしの半分は優しさでできている」
 感心、撤回。
「マジかよ。冗談はほどほどに……うぎゃ」
 本気の一撃が頭を直撃した。
「トレンチって注文の品を運ぶものなのでは。僕を叩いてて大丈夫なのか」
「忠告ありがとよ」
 ぶっきらぼうな口調で言うかぷりこ。

 立ち去るのかと思ったらそのまま僕の向かいの席に座る苺屋かぷりこである。
 仕事の態度はそんなんでいいのか、こっちが心配になる。

 腕を組み、僕の向かいに座り、その長椅子にトレンチを置く。
 足を組んでふんぞり返るかぷりこは不良に見える。不良ウェイトレス、苺屋かぷりこ。
 僕はテーブルに置いたノートパソコン越しにかぷりこの表情を見る。
 しかめっ面をしている。怖い。そのうえ、煙草を吸いだした。
 ここ、喫煙席なのだった。喫煙席の方がすいているので、僕はいつも喫煙席だ。そりゃ煙草も吸うか。
 このしかめっ面のかぷりこは、僕なんかよりずっと手練れの、同人作家なのだった。
 格上の相手の目の前で執筆するのは、軽く恐怖感がある。
「るるせ」
 くわえ煙草で僕の名を呼ぶ君の名は、苺屋かぷりこ。
「なんだよ、かぷりこ」
「お前は感情に任せて執筆する。論理的じゃないんだよな、文章が」
「自分でも知ってる」
「プロットやテーマ設定を曖昧なままにして書いているんじゃないか」
「それもあるな。ゆるく設定して、好きに書ける余裕を残している」
「なぜだ?」
「論理的な方がエンタメとしても、〈小説〉としても、優れているだろう。でもさ」
「でも、なんだ?」
「論理的な方が小説として優れているけど、〈文学強度が下がる〉と思ってる」
「文学強度が下がる?」
「実際、僕の小説を要約するとしょーもないあらすじだ。でも、それは、要約してしまうと僕の〈味〉が潰されるから、だと思っている」
「詭弁だな」
「そうかな」
「そうだよ」
「かぷりこ。君の書く小説は、とても価値がある。読み終わったあとに、読んでよかったと思える。読む価値があった、と思うような文章だ」
「それは光栄なことだな。作家冥利に尽きるぜ」
 かぷりこは紫煙を吐く。
 空中で、煙が空気清浄機に吸い込まれていく。
「でもさ、かぷりこ。君はいつか小説を書くのを辞めてしまうんじゃないか、と僕には思えてならないんだ」
「どうしてさ?」
「かぷりこの文章は、小説というフォーマットでなくても、〈内容〉に〈意義〉があって、そしてかぷりこはほかの表現媒体でもやっていけるスキルがあるからだ。小説である必要性が必ずしもあるかと言えば、ない」
「まあ、あたしはもともとマンガ書きだったからな。書きたい内容がマンガを描く速度だと遅すぎるから、小説という媒体を選んでいる。ゲームも、あたしはつくるスキルは持ってるのも確かだしな。ほかの媒体に移る可能性も、あるな」
「僕には、小説しか、ない」
「じゃあ、小説をうまく書くために、論理的に書く練習をすればいいじゃないか。難しくはないぞ。レポート書く時の応用でさえ、身につけば格段に小説の完成度は上がる」
「でも、それじゃダメなんだ。〈文学強度が下がる〉と、思う」
「言ってる意味が、わからねーが?」
「僕自身、わかってないところがある。僕の小説を読むことに〈意義〉はあるのか。書く小説に〈価値〉はあるのか。〈読んでよかった!〉と言ってもらえるか。問われたときに、作者である僕は答えに窮するのは、事実だ」
「〈意義がないといけない〉なんて、そんなわけがないだろ。それ以前に「意義」って言葉自体も「疑う」必要性がある。ただし、それは『後期クイーン問題』と同じで、無限後退していってしまうな」
「後期クイーン問題……か」

 後期クイーン問題とは、簡潔に言えば、小説の登場人物には、小説内の事柄を証明しきることはできないということを指す。
 それはつまり、〈探偵の知らない情報が存在する(かもしれない)ことを探偵は察知できない〉ゆえに、〈作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか(作中の探偵には)証明できないこと〉と、いうことだ。
 閉じられた世界(形式・理論体系)の中では、理論体系に矛盾がないことを、その理論体系の中で決して証明できないのだ。
 よって、この話は無限後退をしていってしまう。
 ……あたかも合わせ鏡の中を覗き込んでしまったときのように。
 理論の箱の中は、合わせ鏡のように無限後退していくが、閉じた体系でしかない。

「だからさ、かぷりこ。小説と文学は違うものだ、という前提で。〈文学〉の持つ〈()〉のエネルギー、言い換えれば〈文学と呼ばれる作品のアルカイックで、実験的であるが故の未完成と構造の破綻〉が、僕にはしっくりくるんだ。その〈文学〉の〈未完成と破綻〉こそが、〈文学強度〉だ」
「るるせ、お前のその文学観は、多くのひとには受け入れられないだろうな」
「僕もそう思う」

 だいたい、小説と文学は違うもので、文学は常に完成されて〈いない〉ものだという僕の文学観は、一般のひとたちと、ズレている。
 僕個人だけのなかで定義された、僕のなかでしか適用されない言葉。
 だから、それだけで拒絶を生む。
 それは知っているんだ。しかし。

「僕は、それでも小説を書いていく。なぜなら僕は小説を書くことが大好きだからだ」
「なるほどね。あたしも同じだよ。書き続けるさ」
「そうなのか?」
「ああ。断筆したところで、書きたい物語の〈妄想〉を、止めることはできない。つまり、断筆はしたとしても小説の構想をエンドレスで考え続ける人生を歩むだろうよ」
「そっか。なんか、安心した」
「るるせも、辞めるなよ、書くの」
「もちろんさ」


 そんなやり取りをしていると。
 キャー、という悲鳴がいきなり店内に響いた。
 声の方を振り向くと。
 覆面の人間がマカロフを水平に構えて〈苺屋キッチン〉に入ってきていた。
 なにかのギャグとしか思えなかった。
「手を挙げろ!」
 レジの前に進む覆面の男。
 ざわつく店内。
「喋るな! 動くな! ピストルで殺すぞ!」

 現実は小説より奇をてらって神様につくられたとしか思えないのだ。
 覆面の強盗は、店員を促し、レジから金を奪う。

「なんだこれ? ドラマの撮影か?」
 思わず口に出してしまう。
「うんにゃ」
 首を振るかぷりこ。
「あのマカロフは本物だな」
 あきれ顔でかぷりこは、そう言った。

 とにかく、店に強盗が入ってきたのは間違いなかった。


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登場人物紹介

蘆屋アシェラ

   蘆屋探偵事務所の探偵であり、陰陽師。

成瀬川るるせ

   警備員。

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