蒲牢パロキシマ【Re:】

文字数 4,486文字

「湯本って駅の中に足湯があるんですね、アシェラさん!」
「るるせくん、子供のようにはしゃぐのはやめたまえ。みっともない」
「わぁい!」
 僕とアシェラさんは今、福島県の湯本温泉に来ていた。ここは湯本駅。駅に降り立った途端、足湯がある。これで僕、成瀬川るるせがはしゃがないわけがない。
「助手の姫宮くんがスーパーの福引で温泉のペアチケットをあてたはいいけど、なんで僕がるるせくんと来なくちゃならなかったんだ……」
「ヒャッハー!」
 僕は靴と靴下を脱いで足湯に脚を突っ込んだ。
「うー。最高!」
「君は蒲牢(ほろう)じゃないんだから、静かにしたまえ」
「蒲牢ってなんです?」
「竜の生んだ九匹の子供のうちの一匹。吠えることを好む。クジラに襲われて吠えるとも、クジラが吠えるのを好むとも言われている」
「吠えるのも吠えられるのも好きなんですねぇ、蒲牢って」
「腕時計の竜頭(りゅうず)ってあるだろ。あれは蒲牢のことなんだ、本当はね。機能的になって蒲牢の装飾が抜けたのが、今の竜頭だよ」
「ふーん。ま、いいや。ヒャッハー! 足湯気持ちいい!」

「お隣、よろしいですか」
 僕が横を向くと、若いカップルがいた。僕ははしゃぐのをやめて、カップルと足湯につかる。

「どこの宿ですか」
 カップルの男の方が訊いてくる。お洒落な色男だ。
「古池屋って宿です」
「奇遇ですね。僕らも古池屋なんですよ。ここは良いところですよね。あ、失礼。僕は青野英と言います。彼女が」
 と、青野さんは隣を指さす。
「恋人の阿加井まど、と言います」
「僕は音楽ライターをやっていて。あなたがたは普通の方とちょっと違うので、気になったんですよ。プロの勘、ですね。それで声をかけたのです」
 足湯に入らないアシェラさんがため息をつく。
「るるせくんがヒャッハーなんて叫んで、騒いでいるから普通と違うと言われるのだよ」
「うぅ、すみません。これじゃ蒲牢だ」
「蒲牢?」
「あ、いえ、なんでもないです」
 足湯で僕は青野さんの音楽ライターの仕事の話をしばらく聞きながら足湯でリフレッシュした。
 青野さんカップルは先に宿へ向かい、僕の方はその後もしばらく足湯を楽しんだ。アシェラさんは足湯にはつからず、僕にあきれていた。全く、素直になって旅行くらい楽しめばいいのになぁ。



 古池屋に到着した僕らは、部屋のチェックインをした。ロビーにはさきほどのカップル、青野さんたちがソファに座って談笑していた。
 と、そこへ、宿の入り口の自動ドアから入ってきた女性が、一直線に青野さんの元へ近寄った。顔を上げた青野さんに、女性は平手打ちをした。
「冗談じゃないわ!」
 女性の声がロビーに響き渡る。
「なによ、この女は!」
「僕の彼女の阿加井まどだ。君とはもう二年も前に別れたじゃないか、ツツジ」
「気安く私の名前を呼ばないで! あなたは私の全てを奪って去っていった! ようやくあなたの居場所を突き止めたと思ったら、女と温泉旅行? ふざけないで!」
「ふざけてるのはどっちだよ、ツツジ! 君とは終わったんだ! 帰れ!」
「あなたが音楽ライターをやっていられるのは、私があげた音楽の知識、そしてライター業界へのコネのおかげで、でしょう! 私が全部、お膳立てをしたのよ!」
「それはもう、昔のことだ」
 もう一度、平手打ち。青野さんの彼女であるまどさんはソファから立ち上がり、ツツジという女性につかみかかる。
 そこへ古池屋のスタッフが介入し、ツツジを押さえつける。だが、ツツジは、
「私もこの宿を予約しています。チェックインを」
 と、言う。宿のスタッフは躊躇ったが、変な気を起こしたらおかえり願いますよ、とかなんとか言い、チェックインはしてあげたのであった。
 それを見たアシェラさんは、
「これだから旅行は苦手なんだ」
 と、肩をすくめた。
「まあ、そう言わずに。部屋で浴衣に着替えたら温泉に入りましょう」
「るるせんくん。君はなんていうか……鈍いよね」
「いや、楽しんでいますってば」
「楽しむ場面かい、これが?」
「サスペンスドラマでもあるまいし、事件なんか起こりませんよ」



 大浴場に着く。先に入っていたのは、青野氏だった。
 僕は手を振って青野氏に近づいた。
 アシェラさんは、遠くで一人、お湯を楽しむことにしたようだ。てぬぐいを頭に乗せて、目を瞑って湯船につかって、動かない。

「ツツジに音楽のイロハを教えてもらったのは事実なんです。音楽に興味を持ったのも、ツツジに当時のヒット曲を教えてもらって、それにハマったから」
「当時のヒット曲かぁ」
「ええ。今じゃ『なつメロ』と呼ばれちゃいますね。ヒットしなかった、僕ら2人だけの『なつメロ』も、何曲かあった。でも、今は絶対にその数曲は聴かない」
「思い出すからですか、当時を」
「さっき、ツツジが僕に平手打ちしたでしょう。気性の激しい娘でね。別れたのもツツジのドメスティック・バイオレンスに耐えられなかったからなんです」
「はぁ。大変ですね」
「でも、サドにはサドの良い部分があってね。その『今じゃ絶対に聴かない数曲』を部屋に流しながら、ツツジに首を絞められながらするセックスは最高だった」
「…………」
 僕は口元までお湯につかって、恥ずかしさを紛らわせる。
「その『2人だけのなつメロ』を聴きながらするセックスで迎える絶頂は、何にも代えがたかった。だから、今は聴かないようにしているんです、『2人だけのなつメロ』だけは」
 僕は口から息を吐く。お湯から気泡がぶくぶく出てくる。僕なりのごまかしだ。
「すみませんね、こんな話をして。それじゃ。先にあがります」
 そう言って、青野氏は男湯の大浴場から先にあがっていった。

 僕とアシェラさんが湯船からあがって部屋に向かうと、青野さんの彼女のまどさんが、部屋をドンドンと叩いている。ノックにしてはおかしい。
 僕がまどさんにどうしたのかと尋ねると、まどさんが温泉からあがって部屋に戻ろうとしたら、カギを忘れていた、という。
 スマホで連絡を取ると、青野氏は先に部屋に戻っているから、カギはなくて大丈夫だ、という。しかし、呼んでも部屋を開けてくれない。電話にも出ない。
「さっきまで、音楽が流れていたんです。彼が聴いていたのでしょうから、部屋の中にはいるはずなんです。どういうことでしょう」
 僕は、何かに気づいた気がして「あ……」と声を漏らした。
「元さやに戻……げふっ!」
 アシェラさんに腹パンチを食らったので、黙った。アシェラさんは、
「宿の人にカギを開けてもらいましょう。なにか変だ」
 と言い、宿のスタッフを呼ぶことにした。
 カギを開けるスタッフ。
 部屋に入ると、青野氏がうつぶせに倒れていた。
 アシェラさんと僕は駆け寄って、脈などを調べた。
 青野氏は、死亡していた。
 窓にはカギがかかり、閉められていた。部屋のドアも、カギがかかっていた。
「密室だ……」
 僕は思わず声にする。
 まどさんが青野氏の死体に抱き着いた。
「きっとあの女が……ッ」
「あの女って、私のことかしら?」
 部屋の外からやってきたのは、青野氏の元彼女のツツジだった。
「ん? 事件性はない? 密室で死んだのは、偶然?」
 僕が首をひねっていると、アシェラさんは言う。
「クジラに襲われて吠えるとも、クジラが吠えるのを好むとも言われている蒲牢。彼、青野英氏は、蒲牢だったんだよ」
「え? どういうことです、アシェラさん」
 アシェラさんは、きざっぽく笑う。
「どうしようもならん、のが、どうにかなる。これは僕自身の思想でもある。この『事件』は、解決したよ」



「蒲牢の姿は、釣鐘の飾りに使われている。音を鳴らす釣鐘の、ね」
 そう言いながら、アシェラさんは丸い筒のところまで行き、筒をつかみ取る。
「凶器……いや、〈偶然〉凶器になってしまったのは、この筒。ブルートゥーススピーカーさ」
「意味が分かりませんよ、アシェラさん」
「この密室の正体は、遠隔殺人。正確には、ここでは殺人の意図はなかったとはいえるのだろうけどね」
 きょとんとする僕。
「ここでは? ブルートゥーススピーカーって、音楽プレイヤーをワイヤレスで遠くから繋いで音を鳴らすスピーカーですよね。どういうことです?」
「そのままの意味さ。音楽に良くも悪くも縁があるとなってしまうことがある症状がある」
 周囲が静かになる。アシェラさんは言葉を紡ぐ。
「それがパロキシマの一種である『音楽誘発性発作』だ。誘発する音楽は様々だが、『思い出の音楽』でなることがある。この発作が起こると、運が悪いと、死ぬ」
 僕にも合点がいった。
「そっか……、青野氏には思い入れの〈ありすぎる〉曲が存在する! 青野さんにお風呂で聞いた、『2人だけのなつメロ』が『思い出の音楽』ですね!」
 アシェラさんはツツジに訊く。
「どうやら隣の部屋らしいじゃないですか、ツツジさん。さっき青野さんとそこのるるせくんの会話でそう言ってましたよ、青野さんが、ね。ツツジさん。あなた、音楽プレイヤーをこの部屋のスピーカーに接続しましたね。そして、当時青野さんの首を絞めながら流していた『2人だけのなつメロ』をここで流した」
 顔をしかめるツツジ。
「くっ!」
「嫌がらせのつもりだったのでしょう、〈これ自体〉は。その後、どうする気だったかは知りませんが、ね。だが、青野氏は『音楽誘発性発作』という〈発作〉を起こして、死んでしまった」
 ツツジは、叫んだ。
「そうよ! 今夜、殺すつもりだったのよ! あの助兵衛男は、報いを受けるべきだったのよ! 許せなかった! でも、昔一緒に聴いた音楽を聴いただけで死んでしまうなんて」
 ツツジは「キャハッ!」と、狂った笑みをこぼした。
「死なないようにじわじわ首を絞めつけていた頃が懐かしいわ。それはもう、甘美だったのよ、私にとっても、彼にとってもね。その女じゃ味わえない快楽を、私なら与えられたのよ。死んでしまったら与えられないけれどね」
「狂ってる」
 と、僕は呟いた。だけどアシェラさんは、
「男と女なんて、わからないものさ」
 と、僕に返した。それに続けて、
「もうじき宿の人が呼んだ警察が来るだろう。これは僕らの事件じゃないよ、るるせくん。〈ホワイダニッド〉についての、これ以上の深入りは厳禁だよ」
 と、僕を制した。ホワイダニットとは、動機のことだ。
「どうしようもならん、のが、どうにかなる。今回も、どうにかなるだろう。でも、それは僕らの事件じゃない」
 冷たく言い放つアシェラさんはやりきれない顔をしていて、僕は戸惑う。
 部屋ではまどさんが泣いていて、ツツジが高笑いしている。

「湯冷めしそうだ。るるせくん、もうひと風呂、浴びてこようか」
 アシェラさんは彼女らを一瞥してからそう言って、哀しそうに微笑んだ。

〈了〉
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登場人物紹介

蘆屋アシェラ

   蘆屋探偵事務所の探偵であり、陰陽師。

成瀬川るるせ

   警備員。

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