1ー8

文字数 2,540文字

 悟は彼ら三人を、川べりの公園へ誘い出した。
 金銭の要求がしつこくなって、はぐらかすのも限界になっていた。悟は金を渡すと言って彼らを呼び出し、たびたび暴行の現場となったこの公園へ連れてきたのだ。
 当然、ひとりではない。そこには遼一が手ぐすね引いて彼らの到着を待っていた。
 中学生たちよりもひと足先に、遼一は公園へ到着した。自宅から一キロほどのこの公園。三月、悟を初めて見た場所だ。そのときと同じように、遼一は堤防上の遊歩道を歩いてきた。車を停める場所を見つける手間を省けるように。
 川は変わらず向こう半分が濁っていた。廃液の臭いも同じだ。ただ、公園だけが変わっていた。あの日残っていたザラ雪は水たまりとなり、レンガ色の地面が出ている。
 子供たちの声がした。遼一はベンチに座ったまま声のした方を振り返った。
 悟を小突き回しながら、三人は堤防を下りてきた。知らない人間にはただじゃれ合っているとしか見えない、ギリギリの線を保っている。子分のひとりにぐいと背中を押され、悟がバランスを崩した。遼一は反射的に駆け寄って助け起こしたくなるのをこらえた。悟は自力で立ち上がった。悟は、薄ら笑いを浮かべる三人をそれとなく誘導して、ベンチの前までやってきた。
「やあ、君たち。久し振り」
 わざと快活に遼一は挨拶をした。三人は一瞬ギョッとしたが、リーダー格が再び薄ら笑いを浮かべたので、子分たちもへらへらと同じ表情をした。
「何だよ、オッサン。俺たちに何か用かよ」
「ああ。今日は君たちと話し合いがしたくてね」
 子分の手を振り払って、悟は遼一の側へ駆けてきた。遼一は悟をかばうように前へ出た。
「話し合い?」
「そう……正確には『提案』だな。君たちも、そしてこの子も、安心して高校へ進学できるようにするためのね」
 進学という言葉を出され、悪ガキどもは少しひるんだ。
「どういうことだよ」
 リーダー格がうなるようにそう訊いた。
「君たちがこの子にしていることは、はなはだ正義を欠いている。わたしも目撃者だし、十年に亘る君たちの行動が明らかになったら、かなり困ったことになるのではないかな」
「だから、どういうことだって聞いてんだ!」
 リーダー格は苛立って声を荒げた。遼一のペースにはまっている。
「だから、わたしたちが暴行の被害者として警察に君たちの行動を告訴する、長年のいじめによる肉体的精神的被害を裁判所に申し立てる、そうすることで、捜査や調査が始まると、来年君たちはその対応で、落ち着いて受験どころじゃなくなるんじゃないかと心配しているんだよ。将来ある君たちの立場をね」
「何だよ、脅そうってのか」
「いやいや、提案だよ、あくまで」
 長きに亘るいじめに曝され、悟は都合三回、彼らの暴行が原因で受診している。病院にはその診療記録が残るだろう。小学生の頃、不用意にも廊下の隅で行われたいじめは、目撃者もいるはずだ。遼一はそうした証拠を匂わせながら話を進め、最後にこう提案した。
「どうだろう。今後もうこの篠田君に手を出さないと約束してくれたら、君たちが約束を守っている限り、君たちは何も心配せず、安心して志望校受験の準備ができるようにしてあげたいのだけど」
 黙って遼一の話を聞いていたリーダー格の少年は、不敵に笑った。
「いやだと言ったら? そっちが挙げる証拠とやらに匹敵する証拠を、こっちも集めてくることができるぜ」
 よく勉強している。最近のいじめ調査では、暴力から身を守ろうとした被害者側の反撃を逆に加害と認定させ、よくてけんか両成敗、悪ければいじめている側が被害を訴える事例が散見される。知能があるならあるで、その知能が無効になるよう遼一は手を変えた。
「ふーん、何だか面倒くさくなってきたなあ。せっかく君たちの将来を慮って提案してあげたのに。じゃあ、まず君たちのやってることをネットに流して、お父さんやお母さんがお仕事先でいろいろと言い訳しなきゃいけないようにしてあげようか。大変だよねえ。仕事どころじゃなくなっちゃうもんね」
 強気のリーダー格は仁王立ちで遼一をにらみつけているが、子分たちは青くなった。
「やっぱりそれもメンドくさいかなあ……。そうだ。お世辞にも立派な解決法とは言えないけど、暴力には暴力でお返しするってのもある。僕、これでも腕っぷしには自信があるんだよね」
「やって見ろよ」
 リーダー格はせせら笑った。いい大人がそんなことをする訳がないと、たかを括っている。
「分かった。でも今ここではやらないよ。いくら僕でもそんなに頭悪くないからね」
 やるなら、ひとりずつだ。夜陰に乗じて、まず急所を突いて気絶させる。山の中に運び込んで痛めつけるだけ痛めつけたらそのまま放置する。
「山じゃそろそろ熊が冬眠から覚める頃だ。『ご馳走さまー』って感じで、おいしくいただかれちゃうかもしれないねえ」
 遼一は楽しそうに笑いながらそう語って聞かせた。まだ本気にしていない悪ガキどもにもうひと太刀浴びせてみた。
「あ、ちなみに僕は、表向きこの子とは何の関係もないからね。篠田君が君たちからいじめの被害に遭っていることと、君たち三人がたまたまひとりずつ、原因不明の失踪を遂げることとの因果関係は、誰にも気づかれることはないだろうね」
 よくある思春期の家出だ。本当に、よくあることだよね。
「石川っ! 俺、もうヤダよ。止めようぜ、気味悪いよ」
「そうだよ、俺らがこいつをいじめるのを止めればいいだけなんだから、もう止めようよ。潮時だよ。もしバラされたら、内申どうなるんだ。本当に受験できなくなっちゃうよ」
 子分たちは総崩れだ。石川と呼ばれたリーダー格にギロっとにらまれ、二人は震えながら後じさりした。
「ラッキー。追加の証拠も手に入っちゃった。今、彼『いじめ』って言ってくれたよね」
 遼一は胸ポケットのICレコーダーをチラリと見せた。
「ああ、言った。あんたの恐喝の文句の後にな」
 本当によく頭が回る。
「うんうん、恐喝ね。でも、僕が言ったのはあくまで架空の思考実験で、そういうことも可能ではあると言っただけさ。実際には、そんなことは万に一つもありはしないよ。だって、君たちは今日この場で、この子に対するいじめをもうしないと誓ってくれるんだからね」

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