3-6

文字数 2,213文字

 遼一は離れていった悟の腕をつかみ、自分の胸の中へ荒っぽく引き戻した。雨とシャワーの温水で生ぬるい身体に両腕を回し、自身もシャワーに打たれながら震える悟を抱きしめた。悟の冷たい唇が、吐息とともに遼一の名を呼んだ。遼一は息の続く限り悟の唇をむさぼった。悟の咽から苦しげな声が漏れた。その響きはだが途方もなく甘く遼一の深いところを刺激した。遼一は悟の身体に巻き付けた腕にさらに力を加えた。悟の細い指が遼一の背をつかみ、そして、だらりと落ちた。
 唇を離してのぞき込んだ悟の瞳は、赤くうるんで生きていた。遼一に欲望をのぞき込まれるのが恥ずかしいのか、悟は片手で自分の顔をおおった。遼一は手首をつかんでそれを外した。悟は遼一の手から逃れようと身体をくねらせるが、瞳は濡れて遼一を誘っていた。
 遼一はシャワーの下へ身体を差し入れ、もう一度悟の身体に腕を回した。そして悟の耳に「身体を温めて来い」と吹き込んだ。耳許でささやかれるごとに悟がピクリと反応するのを確かめながら、若い悟にいくつか手順を言い置いた。
 風呂場のドアを閉め、遼一は悟が今度こそシャワーの勢いを強めて、身体を流す音を確認した。遼一のシャツも濡れていた。遼一は風呂場のドアに背をもたせかけたままその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。
(おいおい。マジかよ……)
 悟はまだ十五だ。いや、誕生日は来月だと言っていたので、十四だ。いくら本人が哀れっぽくすがったとはいえ、せがまれて欲望をなだめてやったのだとはいえ、咎められるは遼一だ。
 三人組のいじめに決着をつけたあと、悟は泣いて言ったのだ。
 これで自分はようやく人間になれたと。
 ひとを愛する権利、愛するひとに愛される権利、人間にアプリオリに備わるそれは権利だ。十八歳という機械的な切れ目で、愛する、愛される権利は取り上げられたり、与えられたりするものだろうか。それなら、愛されるべき時代に両親に愛されなかった悟の権利はどこにあるのだ。与えられるべきものを全て奪われ、感情を失っていた孤独な魂は、何をもって癒やされることができるのか。
 それなら、自分が与えてやる。
 愛情を注ぎ込んでやる。
 満たされて、あふれ出して、悟が許しを乞うまで、存分に。
 幼子を見守る親の愛も、ときめいて見つめ合う恋人の愛も。
 すべて、俺が。
 遼一は立ち上がった。

 夜具を延べ、遼一は資料をパラパラとめくっていた。シャワーの音が聞こえていた。安普請のアパートだ。ユニットバスも防音効果はない。
「後悔するな」と言ってはみたものの。
 寝そべってページをめくっても、頭には何も入ってこなかった。読まなくていいように、遼一はわざと興味のない契約条項の資料を選んで寝床に持ち込んでいた。そうは言ったが、自分は役に立つだろうか。もしことの途中で悟の気が変わったら……。
 湯音が止まった。
 湯上がりの桃色の肌をして、悟が現れた。
 悟は泣きそうな顔をして、身体に巻き付けたバスタオルを握りしめて部屋の手前で立ち止まった。充分に温まったはずなのに震えていた。石けんの軽い香りの奥に、熱した肌の匂いがした。
「おいで」
 遼一は真っ赤になって震えている悟を優しく呼んだ。悟は小さくうなずいて、ふとんの隅に膝をついた。バスタオルからほっそりした太腿がのぞいた。遼一はバスタオルを握りしめる悟の指に口づけた。悟の手から力が抜けた。バスタオルは胸から落ちて、悟の膝の上にわだかまった。
「俺も男だから。途中では止まらないぞ」 
 止めるなら今だ。遼一は悟の瞳をのぞき込んだ。悟は逃げずに遼一の視線を受け止めた。唇が触れ合った。遼一はそっと悟の背中に腕を回した。背骨のラインを指でなぞる。唇を塞がれたまま悟の咽はくぐもった声を漏らした。悟の身体が反り返る。背骨の上を何往復かされて、悟の太腿が、腰が痙攣した。悟の背の窪みを堪能した遼一は、悟の上体に重心をかけた。悟の身体はふわりと崩れるように夜具の上に倒れ込んだ。
 上気した悟の肌は熱く、遼一の指に、唇に、こらえきれず反応する自分を恥ずかしがって震え続けた。噛みしめた唇の奥から漏れ出る声は、遼一の欲望を駆り立てるのに充分だった。結果として、遼一の心配は杞憂に終わった。  

「遅くなったな。送っていくよ」
「……うん」
 秋の日はとっぷりと暮れ、夜になっていた。悟は遼一に背を向けゆっくりと身体を起こした。背から腰への白い線がぼんやりと浮かび上がった。
 遼一は濡れた悟の衣服の代わりに、自分のを貸してやった。ズボンの裾を数回折り、ベルトは穴を無視して腰で結わえて止めてやった。
 いつものコンビニの角に車を停めた。悟は俯いて呟いた。
「帰りたくないな……」
 少しかすれたその声を、遼一ももう少し聞いていたかった。
「……ああ。そうだな」
 遼一はハンドルに手を乗せたまま答えた。
 悟はそのまま数分じっと座っていた。遼一もとくに急かさなかった。コンビニから賑やかな集団が出てきた。高校生くらいの男子が数人、じゃれ合いながら何か叫び、自転車に乗って左右に散った。悟はゆるゆるとドアを開けた。
「ありがとう」
 送ってもらったことに悟は礼を言った。いつものように。
「ああ」
 遼一の目の前を、ゆっくり悟は横切っていき、細い道を遠ざかった。
 遼一は頭の後ろで手を組み車の天井を見つめていた。 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み