3-7

文字数 2,181文字

 翌日は打って変わって爽やかな秋晴れだった。
 遼一は中学校の前に車を停めていた。
 昨日の今日で、遼一は行くのをよそうと思っていた。自宅で仕事をしていた午後は、数分おきに時計を見た。悟の課業の終わる時間が近づき、遼一は観念した。とても落ち着いて座っていられなかった。手につかないなら、仕事を放って出かけても同じことだった。
 悟が校門から出てきた。深く俯いている割に、見逃すことなく遼一の車を見つけてやってきた。腕を伸ばして遼一は助手席のドアを開けてやった。悟は微かに頭を下げて、するりと車に乗り込んだ。遼一は車を出した。
 秋の陽はこの時間でもそう高くない。通り過ぎる覇気のない建物のすきまを、陽の光は出たり入ったりして街を照らす。悟の頬のうぶ毛が山吹色に照らされて眩しい。
 悟はかばんのひもを握って小さく言った。
「遼一さん……僕にキスして」
 遼一は昨日の雨でできた大きな水溜まりを慎重に避け、歩行者に気を配ってハンドルを切った。
「ここでか?」
 ひもを握る悟の指が白くなった。次の交差点の信号が変わった。遼一は車を減速させた。悟はいたたまれなくなったのか、肩にかばんをかけた。
「ごめん。帰る」
 車が停まった。悟は把手に手をかけたが、一瞬早く遼一がドアをロックしていた。悟は数回ガチャガチャやったが、ドアは開かない。悟は遼一を振り返った。何か言いかけた悟の唇に、遼一は自分の唇を押し当てた。
 信号が青になり、遼一は再び車を発進させた。
「蟹みたい」
 遼一は笑いを含んだ声でそう言った。
「え?」
 悟は遼一を見上げた。
「茹でると真っ赤になる」
 遼一がそう言うと、悟は拳で顔を隠した。
 口ではそう言ったが、遼一は内心、真っ赤になった悟のことを蟹のようだとは思っていない。
 可憐な薔薇の花が咲いたようだ。
 車内の温度が上がった。
 悟の唇からチラリと白い歯がのぞき、何かをこらえるように拳を噛んだ。

 遼一は部屋の鍵を開け、悟が靴脱ぎに入るまでドアを支えてやった。遼一が手を離すと同時に、悟はするりと遼一の懐に飛び込んできた。遼一は待つように開いた悟の唇を吸った。悟はおずおずと遼一の背中に腕を回し、自分の身体を遼一の胸に押し当てた。
 遼一が唇を離すと悟は呟いた。
「シャワー貸して」
「ああ」
 風呂場の前の床に悟はかばんを下ろした。固い布のすれる音をさせて悟は制服を脱ぎ、かばんの上に落として風呂場へ消えた。ザーザーとシャワーの音がした。遼一は悟が脱ぎ捨てていった学生服とズボンをハンガーに吊した。

 紅い夕陽が低く二階のこの部屋を照らしていた。
 悟は遼一の着ていたダークレッドのシャツをつかみ、素肌に羽織った。のろのろとけだるく立ち上がり、台所へ向かった。
 遼一は枕元に積んだ本から一冊手に取り、見るともなしにめくっていた。台所でピーと湯の沸く音がした。遼一は下だけ衣服をつけて台所へ歩いた。
 悟はコーヒーを落としていた。濃色のシャツ一枚を身につけて流しに立つ悟の肌は、薄暗がりに白くなまめかしかった。遼一は無言で悟をシャツごと背後から抱きしめた。
「んん……」
 悟は嬉しそうに咽を鳴らし、薬缶をゆっくりと傾けた。遼一は悟の首に顔をうずめ、悟の体躯に回した腕を下へ滑らせた。昨日と今日とで把握した悟の弱い部分を指でなぞると、悟は身をよじらせて声を上げた。
「あ……っ」
 遼一は悟の首筋に唇を這わせた。悟の膝が震えた。
「危ない!」
 そう小さく叫び、悟は遼一を振り払った。
「お湯使ってるんだから。火傷するでしょ」
 たしなめるような口調でそう言いながら、悟は遼一の身体を押しのけた。
 悟は自分の身体には大きい遼一のシャツを、ボタンを三ツだけ無造作に止めて着ていた。ダブついたシャツの裾から太腿がすらりと伸びる。その姿を無言で見つめている遼一に、その視線に、困ったように目を伏せて言った。
「ちょっとだけ、待っててよ。もうすぐコーヒー入るから」
 遼一は黙って冷蔵庫にもたれ、五〇cm離れた悟のうなじを眺めていた。悟はゆっくり二つのカップにコーヒーを注ぎ、ひとつを遼一に手渡した。遼一は礼を言って受け取った。好みの苦味だ。
「三年、早いんだよな」
 香りと苦味を味わって、遼一はおもむろに言った。
「え……。何のこと」
 悟は牛乳を取ろうと冷蔵庫の扉にかけた手を止め、かたわらの遼一を見上げた。
「悟が十八になるまで、あと三年だってこと」
 悟は冷蔵庫を開けて牛乳パックを取り出した。悟の頬がオレンジに光った。
「何それ」
 悟は自分のカップに砂糖と牛乳を投入し、ひと口飲んだ。遼一は牛乳を戻すのにもう一度冷蔵庫を開ける悟のために、身体を脇へどかせながら言った。
「歳が近ければいいんだろうけど、これだけ離れてるとな」
 手に手に湯気の出るカップを持って、ふたりは狭い台所で向かい合っていた。
 陽が落ちる。
「だから、何?」
 悟は流しにもたれ、カップを口に当てた。遼一は自分のカップに目を落とした。 
「青少年育成何とかさ。いけない大人が未成年に手を出したってことにされちまう」
「ひどいよそんなの」
 悟は勢いよくカップを流し台に置いた。
「三年なんて。僕それまでに死んじゃうよ」
 そう言いながら悟は遼一の肩に額をつけた。
「十八にならないと、好きなひとに愛してもらうこともできないなんて」
 カップを持ったまま遼一は動きを止めた。
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