4-5

文字数 1,510文字

 悟の泣きじゃくる声が大きくなった。
「『お前なんか嫌いだ』って!」
 莫迦だし、子供すぎるし、男だし。
 悟の咽から絞り出すような声が漏れる。
 遼一は対向車の切れ間を待って、ハンドルを大きく右に切った。目的のショッピングモールに着いた。遼一は広大な屋外駐車場を尻目に屋内駐車場への入り口を探した。上層階を目指し、車がガクンと上り坂に入った。
「僕なんかじゃ駄目なのに……」
 悟は手にした教科書を遼一の膝に投げ当てた。
「どうせ僕のことなんか好きじゃないくせに」
 ひどいよ。泣き声の合間にそう呟く悟の唇を遼一はキスでふさいだ。
 屋内駐車場の隅に頭から車を入れ、遼一は次の教科書をつかんだ悟の手首をつかみ身体を引き寄せた。
「離せ。離せよ! 嫌いだよあんたなんか」
 悟は首を振って逃れようとしたが、構わず遼一はもう一方の手で、悟の背中を優しくさすった。抵抗が止んだ。
 小さな声で悟は言った。
「ごめん……」
 遼一は悟の身体を自分の胸に抱き寄せた。背中をさする手を止めることなく。
 そのまま遼一は数分じっと悟を抱いていた。
「悟……、大丈夫か?」
 しばらくして遼一はそっとそう聞いた。悟の咽がひくっと鳴った。遼一はを悟を警戒させないよう気をつけながら、ポケットからハンカチを取り出した。泣き声は止まっていた。遼一は静かに悟の身体を胸から離し、頬の涙を拭いてやった。
 鼻の頭を赤くして、悟は遼一に小さな声で謝った。
「……ごめんなさい。僕、ひどいこと言った」
「悟……?」
 遼一は悟の頬を両手で包み込んだ。悟の目からまた涙がつーと流れた。
「コワイ」
「悟?」
「怖いんだ」
 遼一は悟の頬をそっと揺すった。
「何が怖い?」
 遼一はささやくようにそう訊いた。この子を脅かすものは、すべて俺が排除してやる。遼一はすでに心の中でそう決めていた。
 悟の目からはまた涙がこぼれた。遼一がハンカチで拭うそばから、また。
 悟は無言でしばらく泣いていたが、ごくりと唾を飲み込んで、言った。
「遼一さんに嫌われるのが怖い」
「悟……?」
 悟は両腕を遼一の背に回した。
「遼一さんに棄てられるのが怖い」
 悟は遼一の身体に回した腕に力を入れた。
「もう要らないって言われるのが」
 言葉が途切れた。悟の白い咽が鳴った。
「……言わないよ」
 遼一は抱きしめる腕に力を入れ、悟の身体をわずかに揺らした。悟も大人しくされるがままに抱かれていた。
「うん、知ってる。遼一さん、僕のこと、好きだよね。大事に思ってくれてるよね。知ってる。充分分かってるんだ。なのに」
 悟の咽がまた鳴った。
「遼一さんのこと好きになればなるほど、怖くなる。僕なんか好いてもらえるはずないって」
 悟の唇から嗚咽が漏れる。
「僕を愛してくれるひとなんていないって、僕の後ろで誰かが言うんだ……!」
 悟は大きく首を振った。恐怖を振り払おうとでもするように。
「いつか遼一さんが僕を置いてどっか行っちゃうなら、それを待ってなきゃならないんなら」
 悟の両手は、遼一の上着を握りしめて震えた。
「息ができなくて死んじゃいそうだ。苦しくて苦しくて」
 悟の膝が、肩が震えていた。
「こんなに苦しいならいっそ早く嫌われちゃえって声がするんだ」
 遼一は恐怖に震える悟を、その震えが止まるまで抱きしめた。 
「誰がそんなこと言うんだ。迷惑な声だな」
 遼一はふっと笑ってこう言った。
「お前、そんな誰かも分からないヤツと俺と、どっちを信用するんだ」
 遼一が冗談めかしてそう問うと、悟はようやく小さく笑った。
 誰がそう言うのか。
 それは自分は誰からも愛されないと全てを諦めた悟自身の呪詛だ。
 遼一が悟をそこから救い出すには、悟自身と戦って勝たなくてはならない。
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