第88話 蘇る記憶

文字数 2,466文字

 話し終えた後、中崎さんはしばらく黙って川を見つめていた。私は摘んだお花を眺める。このお花に乗って、どうか上がって行ってほしい。
「僕が忘れてしまった妹が…僕を心配してくれてる?」
「はい」
「…本当に不思議だけど、自分の身に起こったこととは思えなくて。十子ちゃんを信用してないとかじゃなくて」
「分かります」
 中崎さんが私を抱きしめて眠るのはあの時、助けられなかった妹の代わりだ。後少しで手が届きそうだった瞬間ー。記憶は消えているかもしれないが、心の傷がそうさせているのだと思う。
 私は助けられなかった妹の代わりだった。
「だから…中崎さんは幸せにならなきゃいけないんです」と言って、お花を渡した。
「幸せに?」
「はい。そう願ってます」

(私がいたら、ずっと大変。にいにはずっと…大変だから…)
 私は川縁に行って、彼女に言う。
「そうじゃないよ。あなたがいたから…お兄ちゃんは生きていけた。そこにいるでしょ? まだ。お兄ちゃんもそこから動けないでいるの。あなたを助けたくて、助けられなくて、動けないままで」
(にいに?)
 幼い中崎さんも動けず、そこにいる。
(目、閉じてる)
 自分でここに閉じ込めてしまっている。後、十センチの距離。どうにか近づけてあげたい。どうすればいいのか途方にくれている時だった。
「トーコ」と声がするから、私は驚いた。
 トラちゃんが猫の姿で私の横にいる。
「え?」
「最後の役目」とちゃんと私に伝わるように言った。
(猫の姿なのに言葉…)と驚くと、トラちゃんは「特別スペシャル」と言って、大きくジャンプした。
「あ」と思うと川の中に入って、もう一度ジャンプしながら後ろ足で何かをキックした。そして向こう岸まで泳いでいく。
「じゃあねー。次はブルーグレーだからねー。覚えててねー」と言って、尻尾を振って走って行った。
 私が呆気に取られていると、中崎さんは花を手から落とした。
理実(りみ)…」
 それは妹さんの名前だった。

(トラちゃん…。幼い中崎さん蹴ったな)と私は思った。

 理実ちゃんは笑顔になった。幼い中崎さんも目を開けて、驚いていた。私は猫に蹴られて…と言うのが衝撃だったけれど、二人は可笑しかったのか笑い出す。
「中崎さん、お花、川に流してください」
「十子ちゃん。妹のこと…思い出した。すごく小さくて…。話ができないけど…。でも可愛くて」
「はい。そうです。今、笑ってます(理由は伏せておく)」
 二人でお花を川に流す。ゆるゆると流れていった。
「プッチンプリン、食べませんか?」と私は言うと中崎さんが驚いた。
「どうしてか僕も食べたくなって」
「私もです」と微笑んだ。
 全部、思い出さなくてもいい。大切な、大好きな思い出だけでいい、と私は思った。
 私たちはコンビニに言って、プッチンプリンをその場のイートインコーナーで食べた。久しぶりに食べたプッチンプリンは甘くて、ちょっと懐かしかった。

 そしてホテルにチェックインする。中崎さんは実家に電話していた。
「ちょっとこっちに来たから…。明日、顔だけ出すよ」
 電話越しにでもわかる嬉しそうな明るい声が漏れていた。私はほっと一息吐く。これで何もかも終わった気分になる。
「十子ちゃん…」
「はい?」
「いつか、全部、思い出せるかな」
「そうですね」と私は頷いた。
 本当の名前はなんだろう、と思った。お母さんはしょうちゃんと呼んでいた。私はすごく疲れて、ベッドに腰かけて動けなくなる。
「本当のことを知るのが怖かった。もしかしたら、僕が…突き落としたんじゃないかとか…」
「それは…ないです」と私は断言した。
 あんなに誰かれ好かれる中崎さんがそんなことするはずない。そういえば、ご祈祷の効果がずっと続いているのか、中崎さんのシスターズは戻ってこない。村岡さんもあんなに執着してたのに、生き霊もいない。
「中崎さん…」
「何?」
「あ…お腹すいちゃいました。ご飯行きましょう」と明るい声で言う。
「十子ちゃん、ありがとうね」
「これで、私のお役目終わりですね」
「お役目?」
「はい…」と言って、私は立ち上がった。
 明日まで、楽しく過ごそうと決めて、デートらしいことをたくさんしようと考えた。

 そしてご飯の後は映画デートを提案する。ポップコーンを二人で食べながら、映画を見るのもやってみたかったことの一つだった。しかしこのデートは良かったのか分からない。
 ご飯食べた後はお腹いっぱいで、ポップコーンは見送られ、そして私は映画で熟睡してしまう。ここは可愛く涙を流したりする予定だったのに、お腹いっぱい、疲労のせいですぐに眠り込んでしまった。それもかなり早めのタイミングで、オープニングも見ずに、長い映画のCMの途中で寝てしまった。そしてエンディングで起こされた。
「おはよう」と微笑まれて素直に「ございます」と返事してしまう。
 映画デートは私には不向きだと落ち込んでいると「かわいかった」と言ってくれた。
 ただ、反対側の隣の人の方へ頭が揺れるから慌てて、中崎さんは自分の方へ何度も寄せてくれたらしい。確かに暖かい肩を感じてぐっすりだった。そのおかげか少し体が楽になる。
「お陰で晩御飯、もりもり食べれちゃいます」と言うと笑われた。
 映画の後は二人でショッピングみたいなことをしてお店を冷やかした。
「彼女さん?」と店員さんに言われて嬉しくなる。

 今日は特に買い物はない。手を繋いでショッピングセンターをぐるぐるするだけで幸せだ。記念に何か買おうと雑貨屋さんを見て回る。小さなハリネズミのマスコットキーホルダーがあった。
「可愛いー」と私は手にする。
 片手の掌に収まるサイズで、それを買おうと決めた。
「お揃いにする?」と中崎さんに言われて、驚くと、手にもう一匹持っていた。
「わー。恋人っぽい」と私は喜んで買おうとしたら、私の手にしてるのを掴んで、レジに向かう。
「プレゼント」と渡してくれた。
(彼氏からの初プレゼントみたいで素敵)と私は喜んで受け取った。
「ありがとうございます。大切にしますね」
 大事なプレゼントにこっそり「しょうちゃん」と名前をつけた。
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