第70話 からまわり

文字数 2,422文字

 定時になった途端、私は鞄に荷物を詰めて、駅に向かった。二、三駅で大きな駅に着く。そこのデパートの下着売り場に向かう。とりあえず、下着を可愛くしてみて、変化があるか知りたかった。私も自分の気持ちが上がるかもしれない。下着はいろんな種類があった。バストサイズも測ってもらって、きちんと上下セットで買う。結構な値段がするので、驚いた。それでも明日からはこれでちょっとは変わるかもしれない。
「十子ちゃん、ピザパーティする?」と中崎さんからメッセージが届いた。
 それを聞くと、私はすぐに帰ることにした。
 私は急いで帰ると、中崎さんはすでに帰っていた。
「中崎さーん。ピザ、宅配するんですかー?」
「そうしよっか」
「じゃあ、先にお風呂に入っていいですか?」
「お風呂?」
「先に入って、ピザ食べながら、映画とか見たいです」と私は完璧にくつろぐモードだった。
「分かった。先に入って」と言った時「あ、でも買いに行ったら、半額ですよね。私、行ってきます」と言うと、中崎さんが「自転車で行ってくるから…」とさっさと出ていった。

 私は今日買った下着を取り出して、お風呂上がりに、着ることにする。キッチンバサミをお借りしてタグを切る。可愛いピンク色のリボンとレースのついた下着だった。上下セットで一万円近くした。
 ピザと映画が楽しみでうきうきとシャワーを済ませる。ちゃんと可愛い下着を身につけて、ドライヤーで髪を乾かした。洗面台の鏡では全身が見えない。せっかくだから、私は全身が見たいと玄関の靴入れのところに大きな鏡があったのを思い出して、玄関に向かった。ちゃんと部屋着のもこもこパーカーは着ていたが、それだけだった。
 すぐに見て、撤退すればよかったのに、私はパーカーを脱いで可愛い下着姿をじっくりと確認してしまった。
(これで落とせるだろうか)とさまざまなポージングをしてみるが、こんな格好を中崎さんの前でしている自分が想像つかない。
 確かに可愛いからテンションが上がる。上がるけれど…、着心地は綿とは比べ物にならない。そして自分で見ることがないから、きっと着用していることを忘れてしまう。
「うーん。これで少しは変わるかなぁ」と呟いた時、鍵が開く音がした。
「あ。ちょっと待ってください」と私は慌ててパーカーを羽織り、ジッパーを上げようとした。
 焦っている時ほど、上手くいかない。
「十子ちゃん?」と外から声をかけられる。
「あ、ちょっと、十秒後に入ってきてください」とごくわずかな隙間を開けて伝えるとジッパーは放棄して洗面台に向かう。
 洗面台に滑り込み、ちゃんと着替えて、リビングに出ると、不思議そうな顔で中崎さんがピザを手に立っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま…。今、あったかいから食べる?」
「あ、はい…」
 何してたか、聞かない優しさが身に染みる。
「手を洗ってくるね」と言われたので、ピザの箱を開ける。美味しそうだ。
「僕、シャワー浴びてくるから、先に食べてて」と言われたけど、私は待つことにした。
 きっと変なことをしていたと思われたに違いない。自分で下着を確認して、ため息をついた。
 中崎さんに見せる気がないのに、なんで買ったんだろう、と不思議に思う。それに見せる方法も分からない。 
 携帯で下着について調べてみた。友達がいなくても携帯のおかげで情報には困らない。可愛い下着と検索するだけで、ありとあらゆる下着が出てくるのだが、私が今日買ったものなんて、大人しいデザインだ。
 浴槽の音に耳を澄ませて、昨日の失敗を繰り返さないようにする。ちゃんとシャワーの音が止んで、扉の開く音がしたら、私は検索を辞めて、済ました顔を用意しておく。冷蔵庫からお茶を取り出して、コップに入れる。中崎さんがすぐに飲めるように準備をしておいた。
「十子ちゃん、洗濯いい?」と中崎さんが声をかけてくれる。
「あ、はい」と私は自分のものはすでに洗濯機の中に入れてるので、返事した。
「待っててくれたんだ。先に食べててよかったのに」
「一緒に食べたいから…。あのさっきはごめんなさい」
「え?」
「玄関でお待たせして。ちょっとあの…下着を買って…それで鏡で確認してたんです」
「あ…。そう」と特段興味なさそうに言われた。
 多分、クマのパンツの時の方が反応が強かった。私の一万円近くの出費は空気になってしまった。
「お茶、ありがとうね」と何事もないようにお茶を飲む。
 何かリアクションが欲しいが、ここで下着を見せる痴女になるわけにもいかない。私は大人しく座って、ピザに手を伸ばした。その手を中崎さんが掴んだ。
「あ…。これ食べたかったですか?」と聞くと、首を横に振った。
「十子ちゃん。あのね…。可愛いこと…されたら困る」
「はい?」
 私が取ろうとしていたピザを取ると、口に入れてくれる。手はまだ掴まれたままだった。少し冷めてしまったピザだけど、美味しかった。
「どうして困るんですか?」
「それは我慢できなくなるから」
「我慢? 私、もっと好きになって欲しくて…、それで可愛い下着も買ったのに」
「会社で言ってたけど、色仕掛けとか…本当に困る」
「だって焦ってるんです。私、キスしたいんです」
「キスは誰でもいいの?」
「そんな訳ないじゃないですか。中崎さんのこと好きだから、好きになって欲しくて」と私はまた叶わぬ告白してしまった。
「十子ちゃん、本当に困る」とピザをまた口に差し込まれた。
 私はピザを噛み切ると、口封じのようにピザを使う中崎さんを睨んだ。
「初めて…好きになったから」
 何か言おうとしたら、またピザが入ってきた。
「君のこと…どうしていいか…分からない」
 チーズとペパロニの味が口の中で存在を主張するのに、私の脳みそが受け付けなかった。
「自分でもどうしたらいいか分からないんだ」
 イケメンの悩みがよく分からない。ついでに言うなら、言ってることも分からない。そして私もどうしたらいいのか分からなかった。ピザはゆっくり冷えていった。
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