第82話 伝えられなかった想い

文字数 2,062文字

 翌朝、中崎さんと一緒に出社すると、会社の入り口前吉永さんがいた。私は思わず駆け寄って
「師匠、おはようございます。報告があります」と言った
「あ、小森ちゃんおはよう」と笑って、後ろを振り返る。
「おはよう」と後から来た中崎さんが吉永さんに言う。
「おはよう」と吉永さんが妙な笑顔を作って答えた。
「あの、報告」と私が言うと、
「また後で聞くね」と吉永さんが頭をぽんぽんして会社に入って行った。
(師匠に報告したかったのにな…。忙しいのかな)と思っていると、なぜか中崎さんに頭を軽く払われた。
「十子ちゃん、何の話する予定だったの?」
「えっとそれは…報告です」
「報告?」
「ずっと中崎さんのこと相談に乗ってもらってて…。あ…」と私は口を継ぐんだ。
「何?」
(私たちは恋人なんだろうか? 付き合ってくださいとは言われてない…)と本人目の前にして、思った。
「やっぱり…時期尚早でした」と項垂れる。
 中崎さんが一瞬考えるような顔をして「ランチ、外に行こう」と誘ってくれた。
「はい」と返事をしたものの、私は関係性について聞いていいのか悩んでしまう。
(恋人…? 恋人じゃない?)と花があったらむしり取ってしまいそうだった。

 仕事が始まる前に給湯室に様子を見に行った。本田さんに頼んでいたチョコレートはちゃんと置かれている。桃さんがこっちを見た。
「あ、おはよう。チョコレート食べた?」
 頷いて微笑んでくれた。
「お? 何かいいことあったかね?」と親父のように言ってみる。
(本田さん…チョコ、三つ、食べた)とその時の映像を見せてくれる。
「三つ! 甘党なのかな?」
 桃さんはニコニコしていたので、私も嬉しくなった。
「じゃーん。お土産です。桃さんだけに特別」と私は小さなガトーショコラを置いた。
 その時、本田さんが入ってきた。
「あ、おはよう」と声をかけられる。
「おはようございます」と慌てる。
(一人で喋ってると思われると恥ずかしい)
 でも本田さんは気にせず、チョコレートの箱を棚に置いた。
「美味しくてたくさん食べたから、僕も買ってきた。みんなで食べるのっていいよね」
 本当にいい人なんだな、と思って、私は眺める。
「あれ? このお菓子…」と早速私が置いた小さなお土産に目を止めた。
「あ…これは…休んでた時の…お土産で…」とちらっと桃さんの方を見る。
 桃さんは頷いた。
「どなたでもいいんですけど、早い者勝ちで…」
「えー。じゃあ、僕もらっていいかな?」
「はい」と言った時、嬉しそうだったのに本田さんはため息をついた。
「こんな話…突然されても困るかもしれないけど…。なんか、誰かに聞いて欲しくて」
 そう言って語り出した本田さんの話は偶然なのか、桃さんがそうさせたのか分からない。

 給湯室にお菓子を持っていく役目をしていると、ふと思い出したことがある、と言った。いつも給湯室で泣いていた後輩の女の子のことを思い出したらしい。可愛らしい女の子で仕事が上手くいかないのか、と少し心配になって、それで助けたこともあったと言っていた。
「その子がお礼に小さなお菓子をくれて…。それに似てるような…気がして」
 私は横目で桃さんを見たが、桃さんはじっと本田さんを見ていた。
「その人は…」
「それが可哀想に、会社に来れなくなってしまって。病気で亡くなったって。本当はもっと仲良くなりたかったんだけど…。僕も勇気が出なくて。ちょっと後悔してるんだ」
「そう…ですか」
「なんか…ほんと、あの時、もっとって思うけど…。今は彼女が心安らかにいられたらいいなって、ふと思って」
 私は否定も肯定も出来なかった。その代わりに質問した。
「好き? だったんですか?」
「好き…になる…手前かな。ほら、僕も悪い男だからさ。いろんな女の子と遊んでて…」と薄くなった前髪をかきあげ、ちょい悪風な冗談を言う。
 その言葉と裏腹に
(彼女があまりにも綺麗だったから言えなかった)という言葉が私の胸に届いた。
「桃さんが…綺麗だったから…言えなかったんですね」と私は口に出した。
「え?」
 驚いた顔をして私を見る。出向覚悟しているので、もう私のことはどうなってもいいけど、桃さんはなんとかしてあげたい。
「桃さん…嬉しかったみたいです。親切にしてもらえて」
「いや…あの。…名前…。言ったっけ?」と驚いたように呟いた。
 私は桃さんがずっと本田さんを見ていたことを告げはしなかったけれど、本田さんはなぜか給湯室の隅っこを見ていた。もしかしたら、彼が見た彼女がよく泣いていた場所だったのかもしれない。
「あなたに…ありがとうございますって言えなくて…ずっと後悔してたみたいです」
「ありがとうって…そんな。大したこと…」
 まるで本人を目の前にしているのように言ってから、夢から覚めたように私を見た。
「って…小森さん? え? 何?」                 
 大切な言葉をお互い言えなくて、ずっと時間が経ってしまった。
「桃さん、お辞儀してます」
「お辞儀?」と慌てて、本田さんもお辞儀した。
 始業のベルが鳴って、私は慌てて自分の机に向かった。
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