第103話 門出

文字数 2,125文字

 私は結婚式の写真を見ながら、入院準備を始めた。結婚式は梶先輩の時と違って、雨だった。写真を前撮りしていたのは幸いだったけれど、雨の中、中崎さんのご両親には遠くから来て頂いていたから、何だか申し訳なく思った。一度挨拶に行った時に会ったけれど、二人とも優しい方々で、本当に喜んでくれた。

 式が終わって、食事会の時だった。私がお手洗いに行ったら、先に行っていた中崎さんのお母さんとはちあった。
「十子ちゃん、よろしくね。あの子…」と声を顰めて言う。
 中崎さんは引き取られてからしばらくはどこに行くのも自分から離れなかったという。トイレや台所、ちょっとした買い物にもついてきたらしい。
「寂しがり屋だから…」と教えてくれた。
 中崎さんが具体的にどんな仕打ちにあっていたのかきっとお母さんは知らないけれど、それでも優しく接して育ててくれていたのが分かる。
「だから近所から猫をもらってきたの。トラ猫の…。トラが来てからちょっとマシになったのよ。私の後追い行動が」
「トラちゃん!」と私は思わず呟いた。
「あら? 透馬から聞いた?」
「あ…はい」
「トラちゃんは本当に賢くて…、ちょっと透馬を見ててねって言ったら、ちゃんと一緒にお留守番してくれるの」
「へぇ…」
「トラちゃんと一緒にお昼寝してたりしてね…」
 私はだから最後に助けてくれたんだ、と私は思った。
「すごく可愛かったのよ。でも反抗期が来て、もう一緒にお出かけしてくれなくなったけど…」
「そう…なんですか」
「そうなの。だから小さい頃に、大変だなぁって思ってたことが、一つ一つ宝物だったのねって、後になってから気づいたんだけど。だから十子ちゃんがもし赤ちゃん大変だったら、いつでも預かるからね。一週間でも一ヶ月でも遊びに来て」と言って笑う。
「ありがとうございます」
 流産した子の代わりに引き取って育てたのかもしれないけれど、確かに愛情を感じた。

 食事会は和やかに終わった。
「十子がお母さんかー」とお兄ちゃんが大きな口をあけて言う。
 お兄ちゃんは最終便で帰ると言うので、そんなにゆっくりする時間はなかった。
「じゃあ、またね」
「お産は命懸けだから、頑張れよ」と牛の出産を手伝っているからか、妙に実感のこもった声で言って、去って行った。
 相変わらず牛がうっすら見えるけれど、今日は子牛まで見える。きっと心を込めてお世話しているんだろうな、と思って私は手を振った。
「十子ちゃん。不安になってきた」と中崎さんが言う。
「大丈夫ですよ。今は医学も発展しているし…」と言うけど、中崎さんの眉間に皺が刻まれる。
 手をそっと繋いで、私は微笑みかけた。
「無事に生まれますよ」
「…うん。でも…」と不安が消えない様だった。

 私は双子だから帝王切開での出産が決まっていて、出産予定の日も決まっていたから、中崎さんは休みを取ってくれていた。入院の準備をしながら、私は中崎さんに名前を決めてね、と言った。
「私は産むので、透馬さんは名前を決めるお仕事してください」と言うと、頷いてくれた。
 男の二人の予定だったから、男の子の名前を考えているようだった。
「うーん。名前難しいね」
「楽しみにしてますよ」と私は軽いプレッシャーを与えてしまった。
「夏に生まれるから…夏生(なつお)夏樹(なつき)か?」と言うので、唖然とした。
(イケメンなのに…短絡的な…)と私は思ったが、なるべく顔に笑顔を貼り付けて「素敵」と言った。
「でも…うーん。十子ちゃんから取って、十生(とおい)と…(とおる)? あー、双子は難しいなぁ」とイケメンの顔を険しくしながら呟いている。
 お腹をちょっと蹴られてしまった。
「赤ちゃんが笑ってるみたいですよ?」
「え? それっていいってこと? おかしいってこと?」
「多分、両方です」と私はカバンに着替えを詰めた。
 結局、いい名前が浮かばなかったようで、ため息を深くついていた。

 帝王切開で立ち会いのできる病院じゃなかったので、手術室に入るときは本当に心配そうだったから
「名前考えてて」と私は言った。
「…分かった」と言ったけれど、多分考える余裕はなさそうだった。
 手術は部分麻酔をかけられて、痛みを感じにくくなったと思ったら、お腹を切られて、ちょっと気持ち悪い感覚がしたけれど、思っているより素早く終わった。私は赤ちゃんの顔を一瞬、見せてもらって、麻酔で眠らされる。可愛いくて、ぴかぴか光って見える。珠のような赤ちゃんと言うけれど、ほんとそうだ、と思った時、意識が消えた。

 目が覚めると病室で、中崎さんが横にいた。
「十子ちゃん…。目が覚めないかと…不安になってた」
「赤ちゃんは?」
「見せてもらったよ。可愛くて…小さかった」
「そう…」と私は中崎さんの方へ手を伸ばそうとしたら、その手を握ってくれた。
「痛くない?」
「うん。大丈夫」
「こんな大変な思いをするなら…」と辛そうな顔を見せる。
「透馬さん…。私、嬉しいのに。透馬さんとの赤ちゃん二人とも…ぴかぴか光ってた…。それと…名前決めて」
「…ごめんね。ちゃんと考えるから」
「…元気になったら、焼き鳥食べに連れて行ってね」
「うん。産んでくれて…ありがとう」と言って、額にキスをしてくれた。
 眠くなって目を閉じる。痛みは翌日から激しさを伴ってやってきた。
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