第97話 繰り返しのち雪

文字数 2,316文字

 私と中崎さんはしばらく見つめ合ったまま、無言だった。自分が発言したことを脳内で整理してみる。私は中崎さんが助けられなかった妹さんの代わりだと話したが、それは違うのだろうか。いや、でも中崎さんが私を抱きしめて感じる安堵感は絶対にあの事故から来ているはずだった。
「確かに助けられなかった妹を抱きしめたような安心感かもしれないけど…」と中崎さんは私の心を読んだかのように言った。
 相槌を打つ代わりにシチューをスプーンで掬う。
「過ごした時間、気持ちは…妹に対してじゃない」
 シチューを口に入れて、中崎さんが言った言葉を噛み締める。
「好きだ」
 シチューは口の中でするっと溶けて、喉の奥に消えていく。
「もう何回も言ってるけど」
 スプーンをシチューのお皿に乗せる。
「十子ちゃんが好きなんだ」
 私は馬鹿だと思う。
「好き?」
 馬鹿だから繰り返した。
「この(くだり)も何回かしてる気がする」と中崎さんは呆れて言った。
「してます」と認める。
「どうして、信じられないのかな」
 私は何だか悔しくなって唇を噛んだ。
「信じてもらえないのかな?」とさらに追い討ちをかけられる。
「信じられるわけないです。遊びだったって言われた方が信じられます」
「だから、どうして?」
 鏡見たら一目瞭然だというのに、と私は腹まで立ってきた。
「だって、イケメンだからです」とテーブルに両手をバンとついて立ち上がる。
 見下ろす中崎さんは唖然とした顔で私を見た。
「中崎さん、何にも分かってないです。私、筋金入りの…友達いない子ですから。二十年近く友達いないんですから、イケメンに好きって言われても…そんなの簡単に信じられ」と言った時、長い手が伸びて来て、顎を掴まれた。
「遊びだったら、とっくに…」と顔を近づけられる。
 私は思い切り中崎さんの顔と私の顔の間に両手を挟んで押す。
「イケメン近づき過ぎです」
 そのまま私の手で口を塞がれて、中崎さんは黙り込む。
「本当に私のこと好きですか?」
 黙って、頷く。
「妹みたいなじゃなくて?」
 同じように頷いてくれる。
「本当ですか? 恋人?」としつこく聞いたら、口を塞いでる手のひらをペロっとなめられて、思わず手を離す。
 中崎さんは自由になった口で息をゆっくり吐くと「こんなにも…伝わらない」と視線を落とした。
「そんな…何もかも初めてなのに…分かるわけ…ないです。中崎さんの気持ちも…行動も…」
 それを聞いた中崎さんは目を閉じて、呟いた。
「僕も…初めて人を好きになったから、どうしたらいいのか分からない。…すぐに逃げていくし。それに…ちょろいから、少し優しくしてくれた誰かを好きになるって…」
(ちょろい…)と言われたのは私なのに、なぜか中崎さんが傷ついたような顔をする。
「出向した後も気が気じゃなかった」
「え?」
「でもブロックされてるし…鬱々としてたよ」
「ご…め…んなさい」
「結婚についても、真剣に考えた」
(結婚?)
「…結婚することが漠然と怖かったけど…十子ちゃんを失う怖さとは比べ物じゃないし」
(なんか、中崎さんがバグってる…)と思いながら、いろんなことが処理できなくなる。
「失うなんて…。私はずっと…」と言いながら、中崎さんがいないここで新しい生活をしようとしていた。
 でも結局、できなかった。ただ日々を送っているだけだった。他の人を勧められても気持ちが動かなかった。
「ずっと好きなのに…」
 中崎さんが私の方を見た。
「ずっとここで、中崎さんのこと…好きで…」
 推し活しようと考えてたことは伏せておくことにする。あと一月来るのが遅かったら、この部屋はポスターや写真、アクスタに彩られた祭壇が出来上がるところだった。
「じゃあ、どうして…」
「遠くから…幸せをお祈りしようかと…」と祭壇のことをぼかして言うと、中崎さんはがっくり肩を落とす。
「側にいてくれないの?」と項垂れたまま言う。
 イケメンが落ち込んでいる。これはあざといと言ってもいいのではないだろうか、と私は逡巡した。項垂れた肩を触っていいのか悩んで、伸ばした手を引っ込める。
「でも怖くて。好きだから…いつか終わる日が来るのが」
「もちろん期間限定かもしれないけど…」と中崎さんが言う。
 やっぱり…と思って、私は納得しながら小さく息を吐いて、目線を逸らす。
「死ぬまでの、期間限定だから」
 私は中崎さんを見た。もう俯いてなくて、私を真っ直ぐに見て、真面目な顔で言っている。
「それまでずっと愛してる」
 私は怖かった。
 人に好きになって欲しいと思ってた割に、深く関わりあう怖さがあった。親友だと思ってた人にも距離を置かれたこと、まだ何も喋ってないのに気持ち悪いと言われたことが、何度もあって、淋しいくせに人間不信が消えなかった。
 私と中崎さんは全く違ってる。でもどこか似てる…淋しさがあるのかも知れない。
 それを知るのも怖かった。私の心の傷と、中崎さんの欠けた部分に触れる自信がなかった。
 それなのに好きで、好きで、苦しくて、好きになることが苦しいなんて知らなくて、向き合うことができなくて、怖くなって、私は言い訳を探して逃げた。
 でも中崎さんは真っ直ぐ私を見てる。言い訳も逃げ道も消えた。
「私は…死んでからもずっと…大好きです」
(あぁ、生き霊になりそうな執着だ)と自分で思いながら、それぐらい好きだと思った。
「そうだね。幽霊になっても」と笑う。
「だめです。成仏してください。理実ちゃんも待ってますから」と慌てて言った。
 中崎さんが笑いながら頷いて、スプーンにシチューを掬って私の口まで持ってきて「あーん」としてくれる。
 すっかり冷めてしまったシチューだけど、より美味しく感じた。雪は静かに風に舞って、積もっていった。
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