第81話 深い仲

文字数 2,780文字

 中崎さんと夜道を歩いて帰る。コンビニに寄りなさいと梶先輩に言われた言葉が頭の中でぐるぐる回る。
 まともに中崎さんの顔を見れない。住宅地を無言で歩く。人が一人、二人すれ違ったりはしていたけれど、時間的に人通りは少なかった。
「十子ちゃん、大丈夫?」と顔を覗き込みながら聞いてくる。
「あ…あのコンビニでアイス買ったり、朝ごはん買ったり…したいな…なんて思ったりして…えっと」と思い切り反対側に顔を背けて言う。
「アイス? いいよ。それとさっき言ってた今後の話なんだけど」
 私は思わず直立不動で「はい」と返事してしまって、中崎さんに不審がられた。これは正直に包み隠さず話してみようと息を思い切り吸い込む。
「今後の話…ですけど。あの…えっと…。近々…。例えば、今夜…しますか?」と息継ぎしながら言った。
 中崎さんが固まった。
「十子ちゃん?」
「それで…あのコンビニで買うものが…追加されるんです」と恥ずかしながら訴えた。
 さらに固まらせてしまった。
 後悔先に立たず。引かれたかもしれない、と思うと私の顔もこわばってくる。
「あ、ない…しない…です…よね。アイスと…朝ごはんと買って帰りましょうか」とぎこちなく笑うと、中崎さんが困ったような顔をした。
「十子ちゃんは…大丈夫なの?」
「え?」
「しても、大丈夫なの?」と真剣な顔で聞かれる。
 今夜、今からと言われたら、不安になる。
「…ちょっと不安で…」
「それなら…しない」
「あの…もし大丈夫って言ったらしますか?」
「しない」
 どっちにしろしないと分かって、残念に感じると同時に肩の力が抜けた。
「十子ちゃん、まだ怖いと思うし。でもどうしてそう思ったの?」
「キスしたから…次へ行くものかと思いまして」
 中崎さんは脱力して、首を項垂れた。
「そんな…別に…決まってないし…。それに…」と中崎さんは途切れ途切れに言葉を探す。
「分からない…んですよね」
「え?」
「どうしていいのか分からないって…」
 きっと私のことどうしていいのか分からないんだと思う。中崎さんは結婚を考えていないし、やっぱり私は結婚がしたいとプラネタリウムの日に思ったから。だから…色々考えて、私に手を出さないのだろうと思った。
「十子ちゃんを傷つけたくなくて…」
「傷つきません」と私は中崎さんを睨んだ。
 この先、会えなくなって、きっと悲しくなるだろうと思うけど、傷ついたりなんかしない。きっと思い出に変えられるし、その思い出はいつかきっと素敵になるはず…と思っていると、睨んでいる目から涙がこぼれた。
 抱きしめられて、また「ごめん」と言われてしまった。
 それで腹が立って、中崎さんの腕から抜けようとしたけれど、強い力で抜けられなくなった。

 その時、すーっと真っ暗な空間が見えた。
 中崎さんの中にある空間。
 なんだろう。ゆっくりと朧げに形が見え始める。暗いアパートの一室で、ずっとドアが開かれるのを見ている…。もう何日も…そのドアが開くことはなかった。寂しさは既に越えてしまっていた。
(何…。これは一体…)
 私は思わず顔を上げた。

「十子ちゃん…ごめん。好き過ぎて、動けない」
「中崎さん…あの」
 今、伝えるのは時期尚早だ、と言葉を飲み込む。
「手放すこともできなくて…」
 あの部屋にいた中崎さんのことを私はそのままにしておけない。
「それなのに結婚が…考えられなくて」
 開かないドアを見ていた幼い中崎さんがまだ今の中崎さんの中に眠っている。
 私は今の中崎さんと、幼い彼を救いたかった。
「中崎さんのこと…好きだから…傷つかないです」と私はそう言って、中崎さんを見上げた。
 キスされた。
 深いのだった。
 心臓がドキドキして、それはパニックとは違っていて、ふわふわした心地もする。でも息を止めていたから苦しくて、私から離れた。そして息を思い切り吸う。夜で、人通りは少ない道だったけど、霊はいて、見ないようにしていた。
 恥ずかしくて、中崎さんの胸に顔を埋める。
 結局、コンビニで買うものはどうしたらいいのか悩んで、中崎さんの困惑がはっきり理解できた。
「中崎さん…。買ってもいいですか?」
 私が決めたらいいんだ、と思って聞く。
「コンビニ行きましょう」

 困った顔をする中崎さんの手を引いて、私はコンビニに向かった。何だかとんでもないことをしている気もしたけど、私は覚悟を決めて歩く。
「十子ちゃん…。今日は辞めよう」
「買います。しなくても…買っておくんです」
 フェミニストが言ってたような気がする。女性が避妊具を持つべきだ、と。鼻息を荒くしているから、中崎さんがため息をついて、コンビニの前で「待ってて」と言う。私は不思議に思って、コンビニに入らず外で待っていると、中崎さんが買い物を終わらせて店から出てきた。
「アイスはジャンボモナカでいいの?」と見せてくれる。
「はい」
「朝ごはんは…サンドイッチでいい?」とハム卵サンドイッチを出した。
「はい」
「買ったから」とは言ったものの、見せてはくれなかった。
「はい」と言うしかなかった。
「わがまま言ってごめんなさい」と小さな声で言って、手を繋ぐ。
「わがままじゃないよ」と私の顔を見てくれないけれど、何だか頰が赤くなってるのが分かった。
 家に着くと、気まずくなるから、私はアイスを食べようと思った。トラちゃんが走ってくる。
「トラちゃんにはアイスダメだからね。チュールあげる」と私は戸棚からチュールを取り出した。
 トラちゃんが大人しく待っているので、チュールをお皿の上に落としていく。実際は消費されないのに、トラちゃんが喜んで食べる様子が見える。
「十子ちゃん、アイス食べる?」
「半分こしませんか?」
「うん」と言って、半分折ってくれた。
 チュールが全てお皿の上に落ちた。トラちゃんはお皿のも食べている。
「二度おいしいね」と言って、私は中崎さんの座っているテーブルに行く。
 二人とも無言でアイスモナカを食べる。
「あ、今週末ですよね。中崎さんの…」
「うん。あのね」と言って、中崎さんは私のことを気遣って、今日はできないと言った。
 体が痛くなるかもしれないから、明日は仕事の日だし、と色々言ってくれる。私のためを思って言ってくれる言葉だったけれど、ちょっと怖くなった。そんな翌日に支障をきたすのか、と思うと、流石にそれ以上強く言えない。
「はい。大人しく寝ます」と言って、アイスもなかを食べると私はお風呂に行った。
 色々頭がいっぱいになっているのをなんとか整理して、シャワーをする。疲れが取れたけれど、すぐに寝れそうだった。歯磨きをして、出てくると中崎さんがドライヤーを持って待っててくれる。
「大好きです」と言って、中崎さんに髪を乾かしてもらう。
「僕も」とドライヤーを切ってから言ってくれた。
 両思い。キスも深かったし、恋人になれたのかな、とちょっと不思議な気持ちになった。
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