第34話 愛し合っていた

文字数 2,587文字

 私はなんだか助手席に乗るのが照れ臭くて、後部座席に座ろうとドアを開ける。
「十子ちゃん…。あのさ」
「はい?」
「できれば、クマにシートベルトつけて欲しいんだけど。急に飛んできたりしないかなって…」
 私は言われた通りにクマのぬいぐるみにシートベルトをかける。
「それで…つけたら、助手席に来て」
「え? 怖いからですか?」
「練習その一」と言われた。
「あ…はい」
 そう言われたら仕方がない。私は助手席の扉を開けて、隣に座った。
「あ…良い匂い。香水ですか?」
 隣から甘い匂いがする。
「そう。良い?」
「はい。とっても」
 なるほど、助手席に座るとこんな方法もあるのか…と私はしっかり勉強になったと頷いた途端、匂いがきつくなった。中崎さんが覆いかぶさるように、私のシートベルトを取って、閉めてくれる。息が止まって、心臓も速くなる。
 私が突然の胸の動悸に戸惑っているうちに、中崎さんはバックミラーを調整していた。
「あのさ…クマ…本当に飛んでこないかな?」
「え? クマ?」と私は振り返った。
 大人しく座っている。
「しばらく静かにしててね」と私は話しかけたが、反応はない。
 ちょっと整った横顔が青くなっている。
「あの…もしかして…怖いですか?」
「うん。十分怖い」
「じゃあ…、運転、お父さんに代わってもらいましょうか?」
「それは嫌だ」とアクセルを踏んだ。
 助手席は本当にドキドキする。中崎さんの香水の匂い、青ざめた横顔。青ざめてなければ完璧な横顔。何もかも私にとっては新しくて、恥ずかしくて、少し嬉しい。
「十子ちゃん、クマ…見て」と言われる度に、後部座席を覗き込むが、異常はない。
「お母さんに会えるといいね」と呟くと、あからさまにぎくっと中崎さんの肩が揺れる。
「いるの? 誰か?」
「いませんよ」と言って、なんだかかわいそうになった。
 このまま手伝ってもらって大丈夫なのだろうか、と不安になってくる。私はだから誰とも付き合えないんだな、と少し悲しさも感じた。そしてしばらく走るとファミレスの看板が見えた。
「ふー」と駐車を終えた中崎さんがため息をついた。
「お疲れ様でした」
「ごめんね。心配かけて」
「大丈夫ですよ」と言って、私は後ろからクマのぬいぐるみを取り出す。

 完全に青い顔をしている中崎さんには近づかないようにして、店の中に入った。携帯を見ると、DMの相手はもう入店しているようだった。指定された座席に向かうと、思っていた人物とは違っていた。
「あの…」と私は声をかける。
「あ…初めまして。私、佐藤宏(さとうひろし)と言います。結愛(ゆうあ)の父です」
 私はてっきり母親が来ていると思い込んでいた。父親の可能性もあったのだ、とその時、思い知らされた。中崎さんも後から店に入ってきた。
「あの…このぬいぐるみは結愛ちゃんのものですか?」と言って、渡した。
 驚いたようだったが、父親はクマのぬいぐるみを受け取って、タグを確認する。
「間違いない…です。結愛の…ゆうあが書いた字です」
 父親はその字を指でなぞって、愛おしそうに見ている。中崎さんもそれを見て、私の隣に来た。
「どうぞ、座ってください」と言われたので、二人で並んで座った。
 中崎さんが二人分をまとめて自己紹介をする。
「本当に拾ったんですか? これはここにあるはずがないんです。結愛と一緒に…棺桶に入れたんで」
 それを聞いて、中崎さんが思わず「え」と声を上げた。
「あの…正直に話しますけど…。本当は…拾ってません」と私は言った。
「え?」
「結愛ちゃんが…。信じられないかと思いますが、結愛ちゃんがお母さんに会いたくて、私に渡して来たんだと思います」
「どう言うことですか?」
 私は来た経緯は省いて、結愛ちゃんの霊が家にいることを教えた。
「お宅に?」
「はい。お菓子とか食べて…楽しくしてますけど。でもこのままじゃだめなんですけど、結愛ちゃん、お母さんに会いたかったみたいで、それであの日、飛び出して来た道を一生懸命辿ったそうです」
「まさか…」と信じられないような顔をする。
「一度、お母さんにお会いさせて頂きたくて…。SNSに上げさせて頂きました」
「結愛にもう一度会えるんだったら…。僕も…」
「あの…お家に来ていただくのは構わないんですけど、お母さんのご住所とか教えてくださいませんか」
「…彼女は…」と父親は呟いた。

 今、入院していると言った。離婚理由は奥さんの夢を叶えるためだと言っていた。結愛ちゃんのお母さんは若くして妊娠出産した。もちろん二人とも愛し合って結婚したけれど、結愛ちゃんのお母さんは叶えたい夢があった。女優になると努力を続けていた日々の途中での妊娠だった。小さなCMに出たりしていた。これから…という時だったが、二人は結婚、出産を選んだ。
「良いお母さんをしてくれてましたが、日に日に…燻る思いがあったようです。それを見ていた僕も…彼女をずっと僕のところに閉じ込めておくのは…と二人で話し合って、何度も話し合って…。どっちが結愛を引き取るとか…彼女も結愛を愛していましたから、スムーズには行かなくて…。僕は女優になりたいって言う気持ちを尊重したかったんです。もし叶わなかったら、また戻って来たら良いって僕はそう話しました。でも…」
 愛し合っていたけど、離婚を選んだ二人。

「そう…だったんですね」
「でも結愛にはなんて説明したらいいか、分からなくて。しばらくお父さんの実家で過ごそうって連れて来たんです」
 それで数日は待っていた結愛ちゃんは、ついに待ちきれずに飛び出した。
「雨の日は…彼女が少し悲しいって言ってたんです。…結愛はそれを聞いて、知っていたから…側にいようと」と言葉を詰まらせた。

 私の夢の中で必死に汗だくで走っていた気持ちが蘇ってくる。
『お母さんに…会いたい』
『お母さん…どこ?』
『どうして会いに来てくれないの?』
『お母さん、お母さん』
 そして突然の衝撃。
 私の体が自然と動いた。

「病院を教えてください」と口にしていた。
「でも…彼女は…結愛が亡くなったのは…自分のせいだと思って…今は話せなくなってしまって。…本当は僕が…至らなかったから…二人とも…不幸に」と父親はクマのぬいぐるみを手に頭を深く下げた。
 私が何も言えないでいると中崎さんが「一緒に病院行来ましょう」と言った。
「え?」と私が驚くと、中崎さんは真っ直ぐな目で私を見て「デートはまた今度」と言った。
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