第86話 あの日の場所で

文字数 2,082文字

 高速バスは隣同士の席だった。間の仕切りカーテンは開けたまま、私は中崎さんと手を繋いで、すぐに眠った。明日、何があるのか分からないから、寝ないと体力が持たない、と思って意識して寝る。
 時々、目を覚まして窓の外を見るけれど、真っ暗でどこを走っているのかは分からなかった。

 朝早くに到着して、私はまだ眠くて重たい体でバスから降りる。二人で荷物を受け取った。駅まで向かって、電車に乗る。その電車もガラガラで、私はすぐに眠った。どうしてか眠たくて仕方がない。
「乗り換えだよ」と中崎さんに言われて、起こされて、なんとか起きる。
「中崎さん…。後どれくらいですか?」と言って、手を繋ぐ。
「後、三十分くらい」
「朝ごはん…最寄駅に何かありますか?」
「うーん。ここの方があるかも」と見回すと、駅なかに小さな喫茶店があった。
「ここで食べましょう」とモーニングセットを食べることにする。
 壁のシミがこの店の歴史を感じさせた。
「結構、この駅利用してたけど、この喫茶店に入るのは初めてだ」と中崎さんが言った。
「そうなんですか?」
「十子ちゃん、赤ちゃんみたいによく寝てたね」
「えー。そうですか。でもどうしてか眠たくて…」
 流石に今は目が覚めてきて、私は中崎さんを見つめる。
「ご実家には寄らないんですか?」
「…うん。どうしようかなって思ったけど…。十子ちゃん、連れて行ったら…大変なことになるし」
「あ、じゃあ、一人で行ってください。私、適当に観光しておきます。また帰る時に集合しましょう。たまにはお顔見せてあげてください」
「…でも」
「結構、ここまで来るの大変だし、せっかくですから」と私は言った。
「…十子ちゃんは大丈夫なの?」
「私は一人行動慣れてますから」と言って、自虐っぽくて嫌になった。
「じゃあ、明日、少しだけ顔出してくるよ」
「そうしてあげてください」
 幼い中崎さんを引き取って育ててくれたんだから、きっと会いたいに違いないと私は思った。
 トーストに茹で卵と言うシンプルなメニューだ。それをもぐもぐ食べながら、私は初めての土地で聞こえる言葉も違っていて新鮮だった。食べ終えて、また電車に乗る。だんだん住宅地になっていった。
「中崎さんは通学にこの電車乗ってたんですか?」
「ううん。引き取られた家は違うところで…」と言って、何かを思い出しているようだった。
 幼い中崎さんに会えるだろうか、と窓の外を眺める。流れる風景ばかり見て、二人とも喋らなかった。
「着いたよ」と言われた駅に着いて驚いた。
「あ…」
「どうしたの?」
「トラちゃんが…」
「トラ?」
 夢で最後にあった場所だった。田舎の駅に見えたけれど、実際はそうでもなかった。でも椅子の感じはそっくりで、私は驚いた。駅から堤防が見える。川が流れている。
「中崎さん…この川が」
「そうみたいなんだ。大体の場所は橋を過ぎた後って聞いたけど…」と言って、景色に目をやる。

 私たちは駅から出て、川の堤防を歩く。朝の光がきらきら反射している。
「整備されたのか」と中崎さんは呟いた。
 大分変わっているようだった。
 私たちは堤防を降りて川沿いを歩く。
 橋の下は薄暗いけれど、橋自体が小さいので、そんなに怖い場所じゃない。
「この辺りって言われた」
「中崎さんの溺れた場所ですか?」と私は川面を見た。
 波紋がゆっくりと動いていく。深い川には思えなかったが、溺れる事故は浅い川でも起こると聞いたことがある。じっと見ていると川の中まで見えるような気がした。

 ぶくぶくぶく。

 いつかのイメージが蘇る。そこに小さな女の子がお人形のように横たわっていた。髪は水草と絡まっている。

(にいに)

 妹…。中崎さんの、と思って私は川縁を見た。

 小さな男の子が必死に地面を見て、何かを探してる。
(白色のお金、白いのが…ない)
 その子の手に十円玉がいくつか握られていた。
「何してるの?」と私は声をかけてみた。
「探してる。これとパンと…おじさんがが交換してくれるから」と言った。
 私は振り返るとさっきまでいなかった橋の下に男の人がいるのが見えた。その人は橋の下にテントを張って暮らしているようだった。
「ねぇ…。お腹空いてるの? どうして?」と聞いてみた。
「…お母さんいない」
「お家は近く? 一人で来たの?」と聞くと、指で指して近くの赤い屋根のアパートを教えてくれる。
「妹と…。妹は喋れないんだ」
「え?」
「いつもは一人だけど…。今日は…泣くから…連れてきた」

(にいに…バイバイ ありがと)

 私は川の方を見る。男の子はハッとした顔をして、周りを見回した。そして川へ走って入っていた。それを見ていた橋の下の男性が驚いたように声を上げた。男の子は川に沈んでいく。
 川の中で必死に妹に手を伸ばそうとする男の子が川の深い部分にはまってしまう。

(にいに。今まで ありがとう)

 喋れない彼女はしっかり意識を持って伝えてくる。私も川の方へ慌てて急いだ瞬間、腕を掴まれた。

「十子ちゃん」
 振り返ると中崎さんが驚いたような顔をしている。
「だ…。あ…」
 川の下のテントもなかったし、私は自分が違う時間にいたことに気がついた。
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