第6話 ちょっと淋しい

文字数 2,250文字

 私は梶先輩の部屋でお泊まりすることになった。私がすっかり酔っ払っているから、心配して泊めてくれた。
「十子、飲み過ぎだよ。どうした?」
「あー、大丈夫です。…生きてれば…嫌なこともあるけど…きっといいこともあるって…変態が言ってました」
「何それ?」と言いながら水を渡してくれる。
 梶先輩の家は先輩らしくすっきりした部屋で少しがらんとして寂しかった。そしてシャワーを浴びてくるから、ゆっくりしてなさい、と言った。私はソファに座っていつの間にかそのまま眠
ってしまった。

 先輩の部屋に背の低い男性がいる。黙って、じっと先輩のベッドを見ている。私はそれをソファから見ているのだけれど、声を出そうとしても出ない。ても足も動かず、ただひたすらその後ろ姿を見ていた。
(なんだ…。あの人、何してるんだ)と思いながら、どうにかこの人が部屋にいることを梶先輩に伝えようともがくが少しも体が動かない。
「う…う…」と声もでずに、苦しんでいると、その男性がこっちを振り返り…目が合うと…思ったら、目が無かった。
 そこには真っ黒な空洞しかない。
(げ…何…)と思っていると
「十子?」と肩を揺すられた。
「あ…あ…」と私はどうやらうたた寝をして、変な夢を見ていたようだった。
「すごい顔してたよ。大丈夫?」
「あの…あの…」と私は言いかけて言葉を飲んだ。
「お水、もう少し飲んで」と言われて、グラスを渡される。
「はい…」
「落ち着いたら、シャワー浴びといで」と言われて、頷いた。
 ベッドの方を少し確認したが、異変はなかった。シャワーを浴びながら、明日からふんわり女子は終わったな、と思ってシャワーから出る。梶先輩のTシャツを貸してもらった。下着は近くのコンビニで買って、洗濯物に入れておいたら、洗うから、と梶先輩が言ってくれる。
「たまに泊まりに来たらいいよ」と梶先輩が言ってくれる。
 先輩は会社の近くに部屋を借りているので、通勤が楽で嬉しくなる。梶先輩はローテーブルの前でヨギボーを背にして水を飲んでいた。
「センパーイ。シャワーありがとうございましたー」と言って、私は梶先輩の横に座る。
「十子…。今日、嫌なことあった?」
「毎日ありますよー」と言って、梶先輩に甘える。
「そっかぁ」と言って、肩を抱いてくれた。
 吉永さんが好きになるの、分かる、と私は思った。
「私、普通の女の子になりたいんですー」と言うと、すぐに飲んでいた水を喉に詰まらせていた。
「あ…大丈夫ですか?」と慌てると、ティシュで口を拭いた。
「普通だよ。十子は。可愛い女の子」
「…ぐすん」と声に出した。
 全然、普通なんかじゃないんです。これで、友達を失うこと幾数回…。幽霊が見えると言うと、小学生の頃は怖がられ、中学校ではイタイ人と言われ、高校ではもう何も言わずにへらへら笑っていたら、何を考えているのか分からない人と言われた。大学ではもう友達をつくらずにバイトに明け暮れていた。
「好きな人とかいないの?」と梶先輩に聞かれた。
「…梶先輩くらいです」と私は顔を膨れて言った。
 吉永さんは勝手に私が普通の女の子として付き合いたいと理想を押し付けた相手で、好きという気持ちは遠かったのかもしれない。梶先輩は私の頰を両手で挟んで
「お嫁さんになる?」と言う。
 切長の綺麗な目で言われて、同性でも心臓が早くなる。
「梶先輩は…好きな…人…」と頰を思いがけずぎゅっとされているので、喋りにくかった。
「いないよ。きっともう一人なんだ」
「…そ…んあ…ああ」と私は声が掠れた。
 梶先輩の後ろにさっきの背の低い男性がいた。夢で見たような目がない顔ではないけれど、無表情で立っていた。
「だ…あ…だれ」と私は思わず後ろに話しかけてしまう。
(やばい)と思った瞬間、意識が飛んだ。
 あちらの人に見えていることを知られてはいけない。意識が飛ぶ瞬間に強く思った。

 味噌汁のいい香りがして、目が覚めた。
「おはよう」と梶先輩に言われる。
 私の体はヨギボーに埋められて、軽いタオルケットをかけられていた。
「おはようございます」
「昨日、びっくりした。急に寝ちゃうから」
「え? あ、そう…ですか。覚えてなくて」
「ふふ。ちょっと白目剥いてて怖かったけど」と笑われる。
 私は立ち上がって、梶先輩のいるキッチンに向かう。そこでキッチンのカウンターの隅に飾られている写真を見て、驚いた。あの男の人だった。
「あ…」
「十子、ネギ入れていい?」
「はい」
(この写真はプライベートなことだ。恋人だったのかもしれない。その彼が亡くなった? だから寂しさを抱えていた?)と私は思いながら、写真から目を逸らそうとした時、写真が動いたような気がした。
「あの…お塩ください」
「え? 塩?」
「はい。塩です。あの…海の」
「何? こだわりがあるの?」
「いえ。あのおにぎりでもお礼に作ろうかと思いまして…」
「あぁ、ほんと? ありがとう」と言って、塩の入ったケースを渡してくれる。
 ひとつまみ舐めた。
「何してるの?」
「味見です」
「塩を?」と不思議そうな顔をして、そして笑い出した。
「十子ってほんと、天然だね」
「あは…は」
 だから普通の女の子になりたいんです、という言葉を飲み込んだ。そして塩むすびを作って、お皿に盛る。
「美味しいよー」と梶先輩に言われて、私は笑った。
「得意料理の一つですから」
 さらに梶先輩を笑わせてしまった。
「十子といると楽しいよ。飽きない」
 その言葉には寂しさが乗っかっているような気がする。私は「えへへ」とまた奇妙な笑いで答えることしかできなかった。
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