第27話

文字数 2,770文字

 悠人と純季は、この「家」で一緒に暮らしている。

 男子二人の共同生活ではない。この広い「家」に、悠人たちを含めて八人で暮らしている。

 みんな、様々な事情から親と一緒に暮らせないか、どこにも身寄りが無い奴ばかりだ。

 いわゆる児童養護施設のような場所なのだと思う。ただ、大人は一人もいない。

 いるのは悠人のような子供だけだ。子供ばかりの共同生活を、悠人たちはこの「家」で送ってい る。

 ここでの生活費がどこから出ているのか、実は悠人も純季も知らない。知っているのは家計管理を任されている「家」のメンバーだけだ。

「悠人、後片付けは今日あんたの当番だからね!」

 透きとおった声が、再びドアの向こう側の部屋から、今度は悠人に課された今晩の義務を告げた。

 悠人はあからさまに不満げな表情を見せながら、靴を脱ぎ家に上がった。

「疲れて帰ってきてるのに、今言うなよ」

「いつ言っても一緒、あ、柊真、ちょっと火加減見てて」

 声の主は、多分そばにいる誰かにそう依頼して、どんどんと扉の向こうで足音を立てた。

「おかえり、お疲れ様」

 奥の扉が開くと、炭酸水の泡が弾けるような生き生きした笑顔が悠人達の前に現れた。

「遅かったね、どっか寄ってた?」

「うん、ちょっと」

 適当に答えて、悠人は純季と一緒に扉をくぐって、白い照明が照らすリビングに入った。

「今日は波瑠と柊真がご飯当番だっけ?」

 悠人はキッチンの方を覗き込んだ。

「そう、柊真はきちんとしてるよ、誰かと違って」

 波瑠と呼ばれた女性が、悠人の額を指でついた。

 女性と呼ぶには眩しすぎる若々しさを見せつけながら、少女と呼べるほど幼くもない顔付きでそんな仕草をされると、ほとんど身内といってもいい悠人も、なんだか胸を掴まれるような心地になる。

「知ってます、そんなら、今度から料理は永久に波瑠と柊真でやってもらお。それがいい。な、柊真」

 悠人はキッチンに向かって声を掛けた。

 奥の方で律儀に鍋を見守っていた中学生くらいの少年が、自分の名前を呼ばれたことに気づいたのか、こちらに顔を向けた。

 雪のように白い肌がその中性的な面立ちを一層際立たせた。

「じゃ、後片付けはずっとあんたね」

 調子に乗るなよ、とでも言いたげに、波瑠が上目遣いに悠人を見た。

 この「家」に大人は一人もいないと言ったけれど、波瑠は十九歳になるから、法律上は大人なのだ。

 とてもそうは見えないくらい、彼女の見た目は幼い。そんなことを言えば、きっと怒られるに違いないのだろうけど。
 
 ちなみに、例の家計管理を任されているのが波瑠だった。通信制の高校で簿記を学んで、二級まで取得したらしい。

 それの何が具体的にすごいのかは、悠人には今一つわからなかった。

 ただ、しっかり「家」のお金を管理出来ているのだから、波瑠はやっぱりすごいのだろう。そこは素直に尊敬している。

「あ、そういうことになるんだ。じゃあいいや、後片付けしまぁす」

 そんなふうに軽口を叩いてから、いつもより疲れた身体を休めるため、悠人は鞄を放り出すように床に置き、傍らのソファに腰をおろした。

「手、洗った?」

 波瑠が咎めるような目つきで悠人に言った。

「後でね、お母さん」

 ソファにどんと身体を預けたまま、悠人は言った。悠人の側頭部に、乾いた靴下が投げつけられた。

「次言ったら、みんなの分の洗濯物畳ませるからね」

「よし、そんなら波瑠の下着も一緒にやるよ」

 懲りずに軽口を叩いた悠人に、今度は頭から制服のシャツが降り注いだ。

「ぶわっ!」

「あんまりふざけてたら、次は首が折れるくらい洗濯物乗せるから。純季も座ったら?疲れてるでしょ」

 悠人にやり返した波瑠は、傍らで直立不動のまま新聞に見入る純季に言った。

「ん、あぁ、そうする」

 そう返事をした純季だったが、視線は相変わらず新聞に注がれていた。

「なんか面白い記事でもあったか?」

 顔の上に覆いかぶさっていたシャツを払い除けつつ、悠人は純季を下から覗き込みながら尋ねた。

 紙の新聞は邪魔になるし、近くに図書館もあるから、読みたいやつはそこで読んで、定期購読のお金は節約したいと波瑠は常々言っていた。

 なのにどういうわけか、未だに新聞の購読は続いていた。これもこの「家」の謎の一つだ。

 悠人は滅多に読まないけれど、純季はほぼ毎日、新聞に目を通している。

 今日も今日とて、座って疲れを取るより先に、目から情報を取り込もうとしていた。

「これ、見てみろよ」

 純季は新聞の三面の下段右側にある記事を、悠人に示した。

「ん?通り魔・・・。え、これ、米原さんの襲われた公園だろ」

 扇情的な見出しの記事が示していたのは、あまりに意外な場所だった。しかし、記事に書かれた被害者の名は、睦月ではなく、聞いたこともない老人のそれだった。

「小城幸春、七十六歳の男性。なんだこれ、じゃあ、米原さんに切り付けた奴って、連続通り魔ってこと?」

「かもな、でもこの被害者、記事には意識不明の重体って書いてるし、喉を切り付けられたって書いてるから、意識が戻っても最悪喋れない可能性だってある。状況的には米原さんを襲った奴と同じ通り魔って考えるのが自然だろうけど」

 純季はぶつぶつ独り言のように喋りながら新聞を畳むと、悠人の膝の上に放った。悠人はそれを手に取り、食い入るように件の記事に目を通した。

 記事は、切り付けられた男性の名前と年齢、喉元を切り付けられ重体であること、凶器がナイフのようなものであること、どのような刃物であったかまでは特定に至っていないことなどを綴っていた。

 現場は睦月が被害にあった公園の出入り口付近から数十mほど離れた場所。

 公園内に設置された公衆トイレの裏手で、老人が首を抑えて蹲っていたとのことだった。

「米原さんが襲われたのと同じ日付だ。間違いないじゃん、このじいさんを切りつけたのとおんなじ奴に襲われたんだ」

 警察では自殺、他殺の両面からさらなる捜査を進めている、と、記事は結ばれていた。

 興奮を隠せない悠人の隣で、純季は何かに疑問を抱くような険しい表情を見せると、ふとあることに気づいたように天を仰ぎ、悠人の膝に置かれた新聞の一面右上部分の日付を確認 した。

 そして、鞄からスマートフォンを取り出して 何やらいじり始めた。それから何かに納得したように、小さく何度か頷いた。

 興奮を分かち合おうと純季を見やった悠人は、そんな純季の様子を見て声をかけるのを躊躇った。

 スマートフォンの画面に目を向ける純季の眼差しの尋常でない鋭さがそうさせたのは間違いない。

 何か、この通り魔に関することでネットの記事でも見つけたのだろう。

 けれど、軽い気持ちで何を見つけたのかと聞ける雰囲気ではなさそうだ。純季の脳が急速に回転し始めているのを感じながら、悠人は新聞をテーブルの上に戻した。
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