第6話
文字数 2,503文字
少女のもとへと辿り着いた彼女の両親は、尚子の方を一瞬だが疑うような目で見た。
しかし、少女が両親に、尚子が自分を手当てしてくれたことを告げると、その視線を一転して感謝のそれに替え、何度も尚子に頭を下げた。
「ありがとうございます。傍についていてくださったようで・・・。本当に、私達も何が起こっているのか、まったく・・・」
父親の方は、狼狽しながらも幾度も尚子に礼をいい、母親の方も身をかがめて少女の肩に恐る恐る手を置いたまま、尚子に向かって何度も頭を下げていた。
「それよりも早く病院に連れて行ってあげてください。傷は大したことは無いようですけど、念のため」
少女の両親の狼狽えように、どんな言葉をかけたものかと迷いながら、尚子はとりあえず少女の身を案ずる無難な言葉を選んだ。
少女の両親は我に返ったように、そうですねと幾度も頷きながら、父親の方が車の鍵を取ってくると言い、再びマンションの中へと駆けて行った。
尚子は少女とその母親とともにその場に残された。
母親は強く少女の肩を抱いたまま、躊躇うように尚子の方へ何度か視線を向けていたが、やがて小さな声で問うてきた。
「あの、この子がさっき私達に、知らない人に切りつけられたって連絡を・・・。そうなんですか?」
震える声で尋ねる少女の母親に、尚子は困惑しながらも、そうみたいですねと答えた。
「私も直接見たわけじゃ・・・。ただ、うちのと一緒に散歩してたら、その子がここで蹲ってて、それで声を掛けてみたら、誰かに切られたって」
尚子は彼女の足元を行ったり来たりする自分の飼い犬に目をやりながら、そう答えた。
「そうですか・・・、警察に連絡は?」
「あ、いえ、それはまだ。申し訳ありません」
「いいえ、大丈夫です。私達の方で連絡します。ずっとこの子の傍に居てくれて、ありがとうございました」
母親は幾らか落ち着いたのか、少女の肩をさすりながら尚子に礼を言った。少女はうつむいたまま何も言わなかった。
警察には連絡しないでください。喉元まで押し寄せたその言葉を、尚子は必死に押し戻した。
すると、マンションの扉が再び開いて、少女の父親が駆け足でこちらへやってきた。
「行こう、向こうの医療センターなら、この時間でも救急で受け入れてくれるらしい」
立てるか?そう案ずるような目で、父親は彼女に語り掛けた。少女は黙って頷いて、母親に支えられながらゆっくりと立ち上がった。
それを支えながら、少女の母親の方が尚子と自分の夫との間で視線を行き来させながら、心配そうに口を開いた。
「ねぇ、この人にも一緒に来てもらったほうがいいんじゃない?もしまだこの辺りに、この子を襲った奴がいたら・・・」
「そうだな、是非そうしてください。危ないです」
少女の父親が一歩尚子の方へ近づいて、言った。
「あ、いいえ、大丈夫です。この子、自分を襲った男はどこか遠くに逃げて行ったって言ってましたし。私の家も近いですから」
尚子は慌てて、二人の提案を辞した。今からすぐにでも、大志を探さなければならない。病院になんて着いていく時間はない。
「いや、万が一ということも・・・」
自分の身を案じてくれる少女の両親に心苦しさを感じながら、尚子は頑なに同行を遠慮した。
「ほら、それより早くその子を病院に・・・」
そう言って、話を強引に少女のほうへ向けた。
両親はどこか後ろめたいような顔をしながら、気を付けて帰られてくださいと言い、少女を連れて車へと向かった。
三人がマンション内の駐車場に向かっていったのを確認すると、尚子は大志を探しに行こうと犬を繋いでいたロープを強く握った。
しかし、彼女を切りつけた男がどの方角へ逃げて行ったのか、そのことを少女に尋ねていなかったことを思い出した。
とてもそこまで聞きだせる状況にはなかったのだが、それでもせめて逃げた方角くらいは聞き出しておくべきだった。
尚子は後悔したが、その時、さっきまで足元を忙しなく動き回っていた小さな飼い犬のコーギーが急に勢いよく吠え出して、外灯が続く道の方へと駆けだそうとした。
ロープが張り詰め、コーギーの駆け出す力に引き摺られるように尚子は走り出した。
マンションの角の植木の傍 まで来たとき、コーギーは急に立ち止まり、植木の下にある側溝に入り込もうとした。
慌ててそれを止めた尚子は、側溝の中に光るものを見つけた。
飼い犬を落ち着かせながら、その光る何かが妙に気になって、尚子は恐る恐る手を伸ばした。
光の届かない側溝の底に沈むその物体に尚子の臆病な指先が触れた瞬間、彼女はそれがなんであるかを理解した。
痛みすら感じるほど冷たく無機質な、そして直線的なその物体は、間違いなくナイフだった。
それも、包丁や果物ナイフのような、尚子の日常の風景の中にあるありふれたものではない。おそらく、バタフライナイフという奴だ。
ドラマや漫画の中でしか見たことは無いから、実物がこんな形をしているのか、本当にこれはバタフライナイフなのか、それについて確信は持てなかった。
とにかく、普通の生活の中ではまず出会う事のないような類の刃物であることは間違いなかった。
そしてそのナイフが尚子の頭の中で、さっき大志が手にしていたそれと結びつくのは自然な流れだった。
尚子の思考は混乱の渦に投げ込まれた。それでも、尚子の手は反射的にナイフの柄を掴み、側溝から掴みだしていた。
銀色の刀身は、外灯の光を吸って一層その不気味な輝きを増していた。
周囲の光を吸収し、その力でもって内部から輝きを放っているように見え、尚子は身震いした。
バタフライナイフは、 確か刀身を柄の部分に収納できるナイフだった筈だ。
どこで仕入れたかも定かでない記憶を頼りに、尚子はナイフの柄を恐る恐る指で掴み、カタカタと動かしてみた。
すると、ふとした拍子に刀身が柄の方へと曲がり始めた。尚子はそのまま刀身をどうにか柄の中に入れ込み、腰に巻き付けていたバッグにしまおうとした。
その時ふと、自分のハンカチをさっきの少女に貸したままに していたことを思い出し、仕方なく裸のままナイフをバッグに入れた。
しかし、少女が両親に、尚子が自分を手当てしてくれたことを告げると、その視線を一転して感謝のそれに替え、何度も尚子に頭を下げた。
「ありがとうございます。傍についていてくださったようで・・・。本当に、私達も何が起こっているのか、まったく・・・」
父親の方は、狼狽しながらも幾度も尚子に礼をいい、母親の方も身をかがめて少女の肩に恐る恐る手を置いたまま、尚子に向かって何度も頭を下げていた。
「それよりも早く病院に連れて行ってあげてください。傷は大したことは無いようですけど、念のため」
少女の両親の狼狽えように、どんな言葉をかけたものかと迷いながら、尚子はとりあえず少女の身を案ずる無難な言葉を選んだ。
少女の両親は我に返ったように、そうですねと幾度も頷きながら、父親の方が車の鍵を取ってくると言い、再びマンションの中へと駆けて行った。
尚子は少女とその母親とともにその場に残された。
母親は強く少女の肩を抱いたまま、躊躇うように尚子の方へ何度か視線を向けていたが、やがて小さな声で問うてきた。
「あの、この子がさっき私達に、知らない人に切りつけられたって連絡を・・・。そうなんですか?」
震える声で尋ねる少女の母親に、尚子は困惑しながらも、そうみたいですねと答えた。
「私も直接見たわけじゃ・・・。ただ、うちのと一緒に散歩してたら、その子がここで蹲ってて、それで声を掛けてみたら、誰かに切られたって」
尚子は彼女の足元を行ったり来たりする自分の飼い犬に目をやりながら、そう答えた。
「そうですか・・・、警察に連絡は?」
「あ、いえ、それはまだ。申し訳ありません」
「いいえ、大丈夫です。私達の方で連絡します。ずっとこの子の傍に居てくれて、ありがとうございました」
母親は幾らか落ち着いたのか、少女の肩をさすりながら尚子に礼を言った。少女はうつむいたまま何も言わなかった。
警察には連絡しないでください。喉元まで押し寄せたその言葉を、尚子は必死に押し戻した。
すると、マンションの扉が再び開いて、少女の父親が駆け足でこちらへやってきた。
「行こう、向こうの医療センターなら、この時間でも救急で受け入れてくれるらしい」
立てるか?そう案ずるような目で、父親は彼女に語り掛けた。少女は黙って頷いて、母親に支えられながらゆっくりと立ち上がった。
それを支えながら、少女の母親の方が尚子と自分の夫との間で視線を行き来させながら、心配そうに口を開いた。
「ねぇ、この人にも一緒に来てもらったほうがいいんじゃない?もしまだこの辺りに、この子を襲った奴がいたら・・・」
「そうだな、是非そうしてください。危ないです」
少女の父親が一歩尚子の方へ近づいて、言った。
「あ、いいえ、大丈夫です。この子、自分を襲った男はどこか遠くに逃げて行ったって言ってましたし。私の家も近いですから」
尚子は慌てて、二人の提案を辞した。今からすぐにでも、大志を探さなければならない。病院になんて着いていく時間はない。
「いや、万が一ということも・・・」
自分の身を案じてくれる少女の両親に心苦しさを感じながら、尚子は頑なに同行を遠慮した。
「ほら、それより早くその子を病院に・・・」
そう言って、話を強引に少女のほうへ向けた。
両親はどこか後ろめたいような顔をしながら、気を付けて帰られてくださいと言い、少女を連れて車へと向かった。
三人がマンション内の駐車場に向かっていったのを確認すると、尚子は大志を探しに行こうと犬を繋いでいたロープを強く握った。
しかし、彼女を切りつけた男がどの方角へ逃げて行ったのか、そのことを少女に尋ねていなかったことを思い出した。
とてもそこまで聞きだせる状況にはなかったのだが、それでもせめて逃げた方角くらいは聞き出しておくべきだった。
尚子は後悔したが、その時、さっきまで足元を忙しなく動き回っていた小さな飼い犬のコーギーが急に勢いよく吠え出して、外灯が続く道の方へと駆けだそうとした。
ロープが張り詰め、コーギーの駆け出す力に引き摺られるように尚子は走り出した。
マンションの角の植木の傍 まで来たとき、コーギーは急に立ち止まり、植木の下にある側溝に入り込もうとした。
慌ててそれを止めた尚子は、側溝の中に光るものを見つけた。
飼い犬を落ち着かせながら、その光る何かが妙に気になって、尚子は恐る恐る手を伸ばした。
光の届かない側溝の底に沈むその物体に尚子の臆病な指先が触れた瞬間、彼女はそれがなんであるかを理解した。
痛みすら感じるほど冷たく無機質な、そして直線的なその物体は、間違いなくナイフだった。
それも、包丁や果物ナイフのような、尚子の日常の風景の中にあるありふれたものではない。おそらく、バタフライナイフという奴だ。
ドラマや漫画の中でしか見たことは無いから、実物がこんな形をしているのか、本当にこれはバタフライナイフなのか、それについて確信は持てなかった。
とにかく、普通の生活の中ではまず出会う事のないような類の刃物であることは間違いなかった。
そしてそのナイフが尚子の頭の中で、さっき大志が手にしていたそれと結びつくのは自然な流れだった。
尚子の思考は混乱の渦に投げ込まれた。それでも、尚子の手は反射的にナイフの柄を掴み、側溝から掴みだしていた。
銀色の刀身は、外灯の光を吸って一層その不気味な輝きを増していた。
周囲の光を吸収し、その力でもって内部から輝きを放っているように見え、尚子は身震いした。
バタフライナイフは、 確か刀身を柄の部分に収納できるナイフだった筈だ。
どこで仕入れたかも定かでない記憶を頼りに、尚子はナイフの柄を恐る恐る指で掴み、カタカタと動かしてみた。
すると、ふとした拍子に刀身が柄の方へと曲がり始めた。尚子はそのまま刀身をどうにか柄の中に入れ込み、腰に巻き付けていたバッグにしまおうとした。
その時ふと、自分のハンカチをさっきの少女に貸したままに していたことを思い出し、仕方なく裸のままナイフをバッグに入れた。