第35話
文字数 2,292文字
「米原さんが塾での事を詳しく知ったのは、多分、俺たちが昨日お見舞いに来た時ですね。スマートフォンにメッセージが来たすぐあとに、急に色々と話をし始めてましたから。手の傷のことも、自分を襲った通り魔の特徴についても、喋り過ぎなくらいに」
純季の言葉に何度も小さく頷きながら、睦月は付け加えるように言った。
「もしも本当に、大志さんが栗原先生を刺してたとしたら、なんて考えちゃって。おじいさんを襲った人間の特徴は、もう警察にも話したし。もちろん私が創作した偽物だけど。でも塾の方も同じ奴がやったんだって印象づけたかったから、つい同じウソをついちゃった。加賀美君達は警察じゃないから、あんまり意味はないんだけどね」
意味は無いけれど、架空の人物の仕業だと、睦月は誰でもいいから印象付けたかったのかもしれない。彼女の話を聞きながら、悠人はそんなことを考えた。
「ところが、さっきネットでこの記事を見つけてしまった」
純季が再びスマートフォンの画面を起動し、もう一枚のスクリーンショットを睦月に見えるように差し出した。
そこにはさっきと同じようにネットニュースの記事があった。トピックは今まさに話題にしている、塾講師の事件だった。
「塾講師は腰の辺りを刺され、幸い命に別状は無いものの、かなりの重症を負った。そして、昨日の夜に共同経営者である妻が警察に自首した」
純季は記事の内容を要約するように読み上げ、そして顔を上げ睦月を見た。
「動機は栗原先生の浮気。塾の生徒に手を出していたことも、連れ合いさんは知っていたみたいです。二つの事件とも、思っていたのとは違う結果だった。でも警察も含めて、周りには自分のウソを全て証言してしまっていた。だから焦っている。そういうことですよね」
純季は相変わらず淡々とした口調で睦月にそう問い掛ける。睦月は少し黙ってから、やがて自嘲気味に微笑んで口を開いた。
「ピエロみたいに盛大に空回りしてたんだね、私。そう、そのとおり。これって何かの罪になるのかな。証拠隠滅かな、公務執行妨害かな、なんて考えてたら、怖くなっちゃって。でも、親にもこんなこと相談できないから、もうどうしようもなくて・・・」
睦月は笑みを浮かべたままそう言っていたけれど、悠人には彼女が微かに震えているように見えた。
「あのさ・・・」
悠人は無意識に、睦月に声を掛けていた。
こちらを向いた睦月と目が合って、緊張でその先を話す勇気を挫かれそうになったけれど、気合を入れて言葉を繋いだ。
「とりあえず、俺も一緒に謝りに行くよ。正直に言った方がこういう時は絶対に良いって」
言い終えてから、悠人はなんだかとても偉そうなことを言った気がして、慌ててブンブンと首を横に振った。
「ごめん、俺って頭悪いから、こんな直球投げ込むみたいな答えしか出せなくて。そんな簡単にはいかないよな。でもほら、こいつだったらもう少しいい知恵を出してくれるかも」
そう言って、悠人は純季の両肩を掴んで前後に揺すった。純季は不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら、悠人に言った。
「俺はお前の意見に賛成。嘘を別の嘘で塗り固めたって、余計にややこしくなるだけだ」
説得するようにも、突き放すようにも聞こえる純季の言葉に、悠人は肩を落とした。
けれど睦月の方は、もう覚悟を決めたかのようにすっきりとした顔をしていた。
「加賀美君、ありがとう。私も、何をするべきかはちゃんとわかってた。でも、そうやって背中を押してくれて、決心がついたみたい」
睦月の声はどこか力強かった。
「でも、警察に説明して謝る前に、まず美月先生と大志さんにも話をしないと。そっちが先だよね」
睦月は少し元気を取り戻した声でそう言った。
「美月先生の家は知ってるし、塾はしばらく休業するって佐波から聞いたから、きっと先生も家にいるはずだよ。・・・それでね」
睦月はどこか言いづらそうにしながら、上目遣いに悠人達を見た。
「もし良かったら、本当にもし良かったらでいいんだけど、付いてきてもらってもいい?ひとりだと心細くて」
段々と小さくなっていく睦月の声に被せるように、悠人はもちろん、と返事をした。純季の上腕をグッと掴んだまま。
「大丈夫、俺たち全然ヒマだから。いくらでも付き合うよ。だから安心して」
力いっぱいの笑顔を見せる悠人の横で、純季は表情を変えず、ただ微かに眉間に皺を寄せながら悠人の方へ視線を送っていた。
「ありがとう、すごく助かる。それじゃ、ちょっとお父さんに話してくるね」
そう言うと、睦月は席を立った。その瞬間、彼女は柳の葉のように揺れて、その場に倒れ込みそうになった。
悠人は反射的にイスから立ちあがると、睦月の両肩を手で受け止め、彼女を支えた。
流れるような長い黒髪の間から、爽やかな香りが漂ってきた。
「大丈夫?」
「あ、ごめんなさい。なんかクラクラしちゃって」
テーブルを支えにしながら、睦月はなんとか真っすぐに立った。
「無理しない方がいいんじゃないかな。今日すぐに行かなくても」
睦月の様子を心配しながら、悠人はそう尋ねた。そして心の別の部分では、睦月の華奢だけど柔らかな肩にもう少し手を置いていたかったな、なんてことを考えていた。
ただ本当にそんなことをしたなら、きっと変な奴だと思われるに違いない。泣く泣く諦めて、悠人は掌に残った睦月の感覚をこっそりと思い返した。
「大丈夫だよ、心配してくれてありがとう。でもこれは今日のうちに行っておきたいんだ」
睦月は力の籠った声でそう言うと、少し待っててねと二人に告げ、休憩室から出て行った。多分、父親に事情を話しに行ったのだろう。
純季の言葉に何度も小さく頷きながら、睦月は付け加えるように言った。
「もしも本当に、大志さんが栗原先生を刺してたとしたら、なんて考えちゃって。おじいさんを襲った人間の特徴は、もう警察にも話したし。もちろん私が創作した偽物だけど。でも塾の方も同じ奴がやったんだって印象づけたかったから、つい同じウソをついちゃった。加賀美君達は警察じゃないから、あんまり意味はないんだけどね」
意味は無いけれど、架空の人物の仕業だと、睦月は誰でもいいから印象付けたかったのかもしれない。彼女の話を聞きながら、悠人はそんなことを考えた。
「ところが、さっきネットでこの記事を見つけてしまった」
純季が再びスマートフォンの画面を起動し、もう一枚のスクリーンショットを睦月に見えるように差し出した。
そこにはさっきと同じようにネットニュースの記事があった。トピックは今まさに話題にしている、塾講師の事件だった。
「塾講師は腰の辺りを刺され、幸い命に別状は無いものの、かなりの重症を負った。そして、昨日の夜に共同経営者である妻が警察に自首した」
純季は記事の内容を要約するように読み上げ、そして顔を上げ睦月を見た。
「動機は栗原先生の浮気。塾の生徒に手を出していたことも、連れ合いさんは知っていたみたいです。二つの事件とも、思っていたのとは違う結果だった。でも警察も含めて、周りには自分のウソを全て証言してしまっていた。だから焦っている。そういうことですよね」
純季は相変わらず淡々とした口調で睦月にそう問い掛ける。睦月は少し黙ってから、やがて自嘲気味に微笑んで口を開いた。
「ピエロみたいに盛大に空回りしてたんだね、私。そう、そのとおり。これって何かの罪になるのかな。証拠隠滅かな、公務執行妨害かな、なんて考えてたら、怖くなっちゃって。でも、親にもこんなこと相談できないから、もうどうしようもなくて・・・」
睦月は笑みを浮かべたままそう言っていたけれど、悠人には彼女が微かに震えているように見えた。
「あのさ・・・」
悠人は無意識に、睦月に声を掛けていた。
こちらを向いた睦月と目が合って、緊張でその先を話す勇気を挫かれそうになったけれど、気合を入れて言葉を繋いだ。
「とりあえず、俺も一緒に謝りに行くよ。正直に言った方がこういう時は絶対に良いって」
言い終えてから、悠人はなんだかとても偉そうなことを言った気がして、慌ててブンブンと首を横に振った。
「ごめん、俺って頭悪いから、こんな直球投げ込むみたいな答えしか出せなくて。そんな簡単にはいかないよな。でもほら、こいつだったらもう少しいい知恵を出してくれるかも」
そう言って、悠人は純季の両肩を掴んで前後に揺すった。純季は不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら、悠人に言った。
「俺はお前の意見に賛成。嘘を別の嘘で塗り固めたって、余計にややこしくなるだけだ」
説得するようにも、突き放すようにも聞こえる純季の言葉に、悠人は肩を落とした。
けれど睦月の方は、もう覚悟を決めたかのようにすっきりとした顔をしていた。
「加賀美君、ありがとう。私も、何をするべきかはちゃんとわかってた。でも、そうやって背中を押してくれて、決心がついたみたい」
睦月の声はどこか力強かった。
「でも、警察に説明して謝る前に、まず美月先生と大志さんにも話をしないと。そっちが先だよね」
睦月は少し元気を取り戻した声でそう言った。
「美月先生の家は知ってるし、塾はしばらく休業するって佐波から聞いたから、きっと先生も家にいるはずだよ。・・・それでね」
睦月はどこか言いづらそうにしながら、上目遣いに悠人達を見た。
「もし良かったら、本当にもし良かったらでいいんだけど、付いてきてもらってもいい?ひとりだと心細くて」
段々と小さくなっていく睦月の声に被せるように、悠人はもちろん、と返事をした。純季の上腕をグッと掴んだまま。
「大丈夫、俺たち全然ヒマだから。いくらでも付き合うよ。だから安心して」
力いっぱいの笑顔を見せる悠人の横で、純季は表情を変えず、ただ微かに眉間に皺を寄せながら悠人の方へ視線を送っていた。
「ありがとう、すごく助かる。それじゃ、ちょっとお父さんに話してくるね」
そう言うと、睦月は席を立った。その瞬間、彼女は柳の葉のように揺れて、その場に倒れ込みそうになった。
悠人は反射的にイスから立ちあがると、睦月の両肩を手で受け止め、彼女を支えた。
流れるような長い黒髪の間から、爽やかな香りが漂ってきた。
「大丈夫?」
「あ、ごめんなさい。なんかクラクラしちゃって」
テーブルを支えにしながら、睦月はなんとか真っすぐに立った。
「無理しない方がいいんじゃないかな。今日すぐに行かなくても」
睦月の様子を心配しながら、悠人はそう尋ねた。そして心の別の部分では、睦月の華奢だけど柔らかな肩にもう少し手を置いていたかったな、なんてことを考えていた。
ただ本当にそんなことをしたなら、きっと変な奴だと思われるに違いない。泣く泣く諦めて、悠人は掌に残った睦月の感覚をこっそりと思い返した。
「大丈夫だよ、心配してくれてありがとう。でもこれは今日のうちに行っておきたいんだ」
睦月は力の籠った声でそう言うと、少し待っててねと二人に告げ、休憩室から出て行った。多分、父親に事情を話しに行ったのだろう。