第42話

文字数 2,579文字

 尚子を先頭に、4人は階段を上がった。そして狭い廊下の前で一列になり、2つの扉の前にたった。

 尚子は両方の扉をノックした。どちらの扉からも返事はない。代わりに、美月の部屋の方からガサガサと布地の擦れる音がした。

「美月、大志、大丈夫?ちょっと話したいことがあるの」

 尚子はそう言うと、一度純季の方へ視線を向けた。どこか不安げな様子の尚子に、純季は無表情だがどこか確信を持った様子で頷いた。

「大志、あなた、ナイフ持ってる?お母さんがキッチンの棚に隠してた。あのことがあった夜に、あなた、公園にナイフを落としていったでしょ。それを拾って、しまっておいたの」

 もしかして、美月が持ってるのと、今度は美月の部屋の扉に向かって、尚子は言った。

「今、お母さんの手元にはナイフが無いの。美月、大志、どっちかがナイフを持ってるの?もしそうなら、正直に教えて」

 懇願するような声で尚子は二人に向かって呼びかけた。けれど、部屋からは何の反応もない。堪えきれなくなった尚子は、二つの部屋のドアノブに手を掛けようとした。

 その時、睦月が尚子の前に立ち、美月の部屋の方へ向けて喋った。

「美月先生、睦月です」

 その声に、部屋の奥でバサリと布が捲れる音がした。それからすぐにフローリングの床を踏みしめるような音がしたかと思うと、美月の部屋のドアが勢いよく開かれた。

 そこには、精気のない顔で、驚いたように目を見開き、じっとこちらを見る美月がいた。

「先生・・・!」

 睦月は美月の姿を認めるや、その細い身体を強く抱きしめた。突然のことに、美月は呆然と自分の胸の辺りに頭を押し付ける睦月を見ていた。

 睦月はハッと我に返り、すぐに美月から離れると、気まずそうに俯きながらも小さな声で話し始めた。

「ごめんなさい、美月先生。先生はあの夜・・・、栗原先生が刺された夜、栗原先生に抗議しに行ってくれたんですよね・・・」

 そこで一度言葉を切って、睦月は続きを話すのを躊躇うように美月の方へ視線を向けた。

 どうしてそのことを。美月は睦月の言葉に頭が追いついて行かず、困惑の表情を浮かべたまま、ただじっと周りに視線を送るばかりだった。

 見れば、睦月と母の他に、制服を着た男子高校生が二人、何も言わず美月の方を見ている。

 一人は睦月の学校の制服を着ていたけれど、もう一人の背の高い方は、美月の母校の制服を着ていた。

「まだ推測に過ぎないです。間違ってたらすいません」

 背の高い方の男子高校生が、不意に口を開いた。彼は尚子と睦月の方へ視線をやると、話しますね、とでも言うように小さく頷いた。二人はそれに応えるように頷き返した。

「自分は米原さんの知り合いで、加賀美純季と言います。これから話すことは、全部自分の憶測です。違ったところがあったら、教えてください」

 そう前置きして、純季と名乗った男子高校生は話し始めた。

「美月先生、あの夜、栗原先生が刺された現場に居合わせたんじゃないですか?そしてその場で、大志さんの姿を見てしまった。栗原先生に会いに行った理由は、米原さんが受けていた嫌がらせのことで、直接抗議に行った。そんな所かなって考えてます」

 話の内容とあまりに釣り合いの取れない、淡々とした口調で彼は言った。

「美月先生は、大志さんが何かしたのだろかと思ってしまった。これから話し合おうと思っていた相手が、目の前で刺されて倒れている。それだけでも十分心が乱されるのに、何故か弟が目の前に居る。冷静に状況を理解して判断できる余裕なんてなかった。美月先生は今の今まで、大志さんが栗原先生を刺したと思っていた」

 純季は表情のない声で、しかしきっぱりとそう言い切った。

「え・・・、そうじゃないの?」

 思わずそんな言葉が美月の口から漏れていた。

「やっぱり、まだニュースは見ていなかったんですね」

 純季はそう言いつつ、睦月の方へ目配せした。睦月は制服の胸ポケットに入れていたスマートフォンを取り出すと、画面を美月の方へ向けた。

 美月がそれに目をやると、そこにはネットニュースの記事が映し出されており、あの夜の顛末が事細かに記載されていた。

「そんな・・・、それじゃ、大志はなんであんなところに」

 美月は部屋を飛び出すと、大志の部屋のドアノブに手を掛け、一気に開けた。

 扉が開かれた先に、呆然と立ち尽くす少年の姿があった。

「大志、あんたなんであの場所に。私がどれだけ不安だったか!」

 興奮して、ほとんど叫ぶようにそう言った美月の身体を、睦月が後ろから抱き留めた。

「落ち着いてください。多分、大志さんは自分のナイフを探しに行ってたんです。ですよね?」

 純季が美月を落ち着かせるように、後ろからそんな言葉を掛けた。その先で、状況を飲み込めずにいる大志がじっとこちらを見ている。

「これも推測ですけど、大志さんは栗原先生の事件の前日、散歩の途中でナイフを無くしてしまった。どうしてそうなったのかは、今更なので省きますけど、ナイフを無くしたことに気付いた大志さんは、翌日の夜にナイフを探すために、いつもの散歩道を歩いていた。そこで偶然、栗原先生が刺されて倒れている現場に居合わせた。あの塾はいつもの散歩道だったんですよね」

 純季の問いかけに、大志は声を上げることも無く、ただ小さく頷いた。まだどこか現実感のないような目をしてはいたが、聞かれたことは理解出来ているようだった。

「そこで、大志さんは美月さんの姿を目撃してしまった。だから大志さんは、美月さんが栗原先生を刺したんじゃないかと勘違いをした」

 純季の言葉に、大志は大きく目を見開いた。

「・・・そうなの?」

 美月が、囁くような小さな声でそう問うた。大志はさっきよりも大きく頷くと、口を開いた。

「あれが現実だったなんて、今でも信じられないけど。でも人が刺されて倒れていて、すぐ目の前に姉ちゃんがいたら、何かしたんだって考えちゃうだろ・・・」

 弱弱しい口調で大志はそう語った。

「俺も塾の人に姿を見られちゃったし。姉ちゃんが刺したのかとか、でも自分が刺したって思われちゃうのかとか、そんなこと考えてたら頭がぐちゃぐちゃしてきて」

 訥々とそんなことを話す大志を見ながら、美月は張り詰めていた糸が切れたように全身の力が抜け、倒れ込みそうによろめいた。睦月がそんな美月を支えるように背中に手を置いた。
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