第32話

文字数 2,488文字

 二度目の見舞いだったせいか、悠人は前回ほど、睦月に会いに来たことを受付に伝えるのに抵抗がなかった。

 というか、前回は純季に全てやってもらっていたのだけれど。

 受付はすぐに睦月の方へ連絡を取ってくれたものの、既に退院の準備を終えて、後は部屋を引き払うだけという状況だった。

 悠人達は、会うのであれば病室以外でと言われ、休憩室の場所を教えられた。

 純季と二人で案内された場所へ行くと、そこには睦月と、睦月の父親らしい中年男性がいた。

 二人は休憩室の小さなテーブルを囲んで、一息ついているところだった。

「高校の同級生だって?学校終わったばかりなのに、わざわざありがとう」

 睦月の父親は疲れた表情を見せながらも、嬉しそうに悠人達に礼を言った。見舞いに来たのが男子生徒二人という部分には、どこか引っ掛かりを持っているようだったけれど。

「それじゃ、ちょっと退院の手続きをしてくるから、待っててくれ」

 父親は睦月に向かってそう言うと、悠人達にも、ばたばたしてて申し訳ないと頭を下げ、休憩室から去っていった。

「わざわざありがとう、ここどうぞ。でも言ってくれたら良かったのに、ここじゃ御礼も出来ないし」

 睦月はそう言って悠人達に椅子を勧めた。気のせいか、どこか気もそぞろといった顔をしていた。

「ほんとに、いきなりでごめん。なんかこいつが行こうって言い出して」

 悠人は純季の背中を強めに叩いて、そう言った。良い言い訳も思いつかなかったので、本当のことを正直に言うことにした。

「あ、そうなんだ」

 睦月は呟くようにそう言って、純季の方に訝しむように視線を向けた。

 昨日は割と積極的に話をしていたのに、今日の睦月はどこか純季のことを警戒しているように見えた。

「なんか、気になることでもあるんですか?そんな顔してますけど」

 不意に純季が睦月に向かってそんなことを言った。牽制の言葉を投げて、その反応を伺っているようにも見えた。

「え、いや、別に無いけど。なんでそんなこと聞くの?」

 睦月がどこか慌てた様子でそう尋ね返した。何かを取り繕っているのが、悠人にもありありとわかった。

「気になってるのって、これですよね」

 そう言うと、純季は自分のスマートフォンをテーブルに置き、睦月に見えるよう彼女の前に差し出した。

 画面上には、ネットニュースの記事と思しきスクリーンショットが映し出されていた。

 悠人が横からさりげなく覗き込むと、その記事はあの公園で起きた老人への斬りつけに関する記事だった。

 ただ、記事の内容は悠人の予想していたものとは全く違うものだった。

 それを目にした睦月は、一瞬言葉を失って硬直した。

 けれどすぐに思い直したように顔を上げると、何を言っているのとでも言いたげに、困惑したような笑みを向けた。

「ごめん、ちょっと言ってることがわからなくて。これって、あの事件の記事だよね」

 努めて落ち着いた口調で、睦月はそう言った。

「あの事件。老人が夜の公園で首元を切られた事件、ですね。そしてそのすぐあとに、米原さんがすぐ近くで襲われた。同じ相手から」

 何かを確かめるかのように、しっかりした口調で純季は言った。ただ睦月は、頷くことを躊躇うように口をつぐんだ。

「答えにくいですよね。この事件、実際には想像していたようなものじゃなかったから。それをネットニュースで知って、米原さんは焦ってる。俺はそう考えてます。だって被害者にされてるおじいさん、自分で首元を切ってるんですから」

 純季の口調はさりげなかったけれど、睦月は何も言えずにただ前を見つめながら、無言で唇を噛んでいた。

 悠人はもう一度スマートフォンへ目をやった。

 そこに映し出された記事には確かに、公園のトイレの裏での出来事は、通り魔の被害者と思われていた老人による自殺未遂だったと記されていた。

 老人は喉を切っており、まだ喋れる状態にはないが、筆談で警察の質問に回答したとも書かれていた。

「それ・・・」

 睦月が微かに震える声で、純季に向かって何か言おうとした。

「それは私を襲った人とは関係のない事件です。そう言えなくもないですね。俺たちが昨日お見舞いに来た時には、米原さんはこの事件については何も言ってなかったし。単に自分が、背の低い黒服の男に切りつけられたって、そう言っただけでした。男かどうかも自信が無いって言ってましたっけ」

 純季が、睦月の言葉を先取りするように冷めた声でそう言った。相変わらず敬語で喋る姿が、余計に気味悪かった。

「同じ日の夜に、距離にして数十メートルの場所で、一方では自殺未遂、一方では通り魔があった。全く別の事件として。中々信じ難い話ですけど、全く無いとまでは言えない」

 淡々と話す純季を見ながら、睦月は声を上げることなく静かに頷いた。

「そうですか・・・」

 純季は表情一つ変えずそう言うと、スマートフォンを自分の手元に戻した。

 次の瞬間、純季はそのスマートフォンを右手で握ると、まるでナイフを振るうかのように睦月に向かってそれを振るった。

 いきなりのことに、睦月は反射的に手の甲を外側に向け、両腕で顔を庇うように覆った。

 しかし、純季の手は睦月の腕に届く手前でぱたっと止まった。

「なんだ、そもそも掌を向けて防いだりもしないのか」

 純季の言葉に、睦月はハッとしたような顔をし、腕を下ろした。純季へ向けられた視線はどこか揺れているように見えた。

「ナイフで顔を切られそうになったら、米原さんはそうやって防ぐんですね。先に気付いてれば、こういうことしなくて済んだんですけど」

 純季はスマートフォンを机の上に置き、もう一度手の傷を見せてくださいと言った。

「え・・・」

「おい、ちょっといい加減にしろよ。それはさすがに」

 躊躇うように顔の側で両掌を握る睦月の様子を見て、悠人はたまらず純季にそう言った。

 けれど純季は、表情の無い視線を悠人に向け、大切な事なんだよ、と言った。

 それは、悠人にそれ以上言い返すことを諦めさせるのには十分だった。

「お願いします」

 純季は睦月の方を真っすぐに見つめ、さっきよりもはっきりした口調でそう言った。
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