第31話

文字数 1,998文字

 声のする方へ目を向けると、公園に隣接するマンションの二階の窓から、若い男がこちらに向かって手を振っている。

「爺さんに呪われるって、なんの話ですか?」

 純季が下からそう問いかける。男は退屈そうに笑いながら、知らないんだ?と言った。

「ほら、この間そこで爺さんが首切られたって事件。ニュース見て無いの? 」

 タバコに火をつけながら、男はこちらの方へ少し身を乗り出した。

「俺さあ 、その日たまたま見ちゃったんだよ。事件の現場。タバコ吸いたくて窓開けたら、今あんたが立ってる場所で、黒い服着た若い男がさ、震えながら後退(あとずさ)ってて。そしたらその少し先、そう、そっちのあんたが立ってるところで爺さんがうずくまってたんだよ」

 そう言って、男は悠人の方を指差した。悠人は思わず逃げるようにその場から離れた。

「首を切られた後だったってことですか?」

 純季が尋ねると、男はタバコの煙を吐き出してから、うんうんと頷いて言った。

「そうそう。でもそのときさぁ、向こうから犬の散歩をしてたおばさんが公園に入って来て、その人にがっつり見られちゃってんの、その男。で、そのおばさんが男に向かって何か言ってて、それを聞いた男が慌てて向こうに逃げてったんだよ」

 男は二本目のタバコに火を付けながらそう言った。

「具体的になんて言ってたか、覚えてますか?その犬の散歩をしていた人は」

 間を置かずにそう尋ねた純季に、男は少し驚いたように目を見開いたけれど、話に食いついてくれたことが嬉しかったのか、どこか上機嫌に口を開いた。

「『そんなところで何して・・・』だったかな。その後も何か言おうとしてたみたいだけど、その前に男の方が逃げだしちゃって」

 あ、でも、と男は気まずそうに笑うと、タバコを二、三度指で弾いて灰を落としながらこう言った。

「一昨日は俺も結構酔ってし、そんなに大きな声じゃなかったから、正確じゃないかもしれないんだわ。救急車も呼ばなきゃって思ったんだけど、なんか心臓がバクバクしちゃって、手元も覚束なくてスマホもろくに操作出来なくてさぁ」

 そしたらいつの間にか、救急車が来てたよと、男は何故か楽しそうに笑いながら言った。今日も既に酔っているようだった。

「酔っ払いじゃん・・・」

 悠人は呆れた様子で男を見た。わざわざ話を聞いて損をしたような気分だった。

 ところが純季の方は、その言葉に何か思うところがあったのか、男に向かってこう尋ねた。

「救急車は、その犬の散歩をしていた人が読んだんですか?」

「さぁ、多分そうだと思うよ。周りに他に人は見当たらなかったし。わかんないけど」

 へらへらしながら答える男の言葉を、悠人は信じる気にはならなかったけれど、純季はなおも確認するように男に質問した。

「叫び声は聞きませんでしたか?首を切られたお爺さんか、その犬の散歩をしていたおばさんか」

 そう問われて、男のにやついた顔がスッと真顔に戻った。それから何かに気付いたように真っすぐ純季の方を見ると、口を開いた。

「そう言われたら、聞いてない。爺さんも、そのおばさんも、叫び声なんて上げてなかったな。なんでなんだろ」

 首を傾げる男に、純季は「どうも」と頭を下げた。

「あ、あと最後に一つ、聞いていいですか?」

「お、おういいよ。何?」

 不意に声を掛けられ、男は酔いがさめたような目をこちらに向けた。

「この公園、やたら照明が多いですけど、あの夜も照明は全部点いてましたか?例えば向こうの出口とか」

 そう言うと、純季は公園の出入り口を指差した。悠人たちが入ってきた方だ。睦月が通り魔に襲われた場所でもある。

「えっと、多分点いてたと思う。悪い、そっちの方まで注意して見て無かったわ」

 男はどこか申し訳なさそうな顔をしてそう言った。

「大丈夫です、ありがとうございました」

 純季は男に礼を言い 、悠人の方を見た。もう十分と、その目が言っていた。

 そしてもと来た方へ引き返そうとする純季に、悠人は慌てて付いて行った。

 公園の出入口まで来たところで、純季は不意に悠人の方を振り返った。

「米原さん、退院するの今日だったよな。今から病院行くか」

「え、今から?」

 いきなりの純季の申し出に、悠人は間抜けな声を上げてしまった。

「そう、今から。話しておきたいこともあるし。来るか?」

 純季からそう問い掛けられ、悠人は躊躇うことなくうんうんと、頷いた。

 純季が唐突にとんでもないことを言い出すのには、もう慣れた。今は機会を逃さずにそれについていくしかないのだ。

 それに、こいつを一人で睦月のもとに行かせるわけにはいかなかった。また余計なことを聞いたりして、睦月を追いつめてしまうかもしれない。

 純季の底なしの探求心は警戒しなければならないのだ。

「そっか」

 純季は悠人に向かってそれだけ言うと、例のごとくそのままスタスタと歩き出した。

 悠人は置いて行かれまいとその後に続いた。
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