第23話
文字数 1,993文字
悠人が目的の階のボタンを押して、エレベーターがそこに到着するまでの間、二人は特に話すこともなく互いに斜向いに立ったまま壁に背を預けていた。
沈黙に恐怖すら感じるほど、周りが賑やかに言葉を交わしていないと安心できない悠人にとって、その沈黙を許容できる数少ない人間が純季だった。
機嫌が悪いのだろうか、とか、怒っているのだろうか、とか、とにかく何も言わずに黙り込む相手の頭の中を想像せずにはいられない。悠人はそれくらい臆病な人間だった。
なのに、純季との間に生まれる沈黙はそんな怖さを微塵も抱かせない。むしろ心地良いほど無心になれる時間だった。
長く続けられる関係のほうが、誤解を解くチャンスだってあるだろう、なんて事を言いかけたけれど、実際のところ、悠人も長く続く人間関係はしんどい。
とりわけ、大して親しくしていたいわけでもない相手との関係は、ダラダラと続けていたくはない。
ただ面倒なことに、そうした関係にある相手ほど、悠人は沈黙を恐れてしまうのだ。
関係をカットしてしまってもなんら差し障りもないような相手なのに、妙に気を使ってしまう。
そういう相手との関係でも、反射的に失うことを恐れてしまう自分の不自由な性格を、純季との心地良い沈黙に出会う度に、悠人は思い起こすのだ。
純季は悠人の斜向いに静かに立ったまま、スイッチが切れたように目を見開いて沈黙している。
何を考えているのか、何も考えていないのか、そんな疑問を不安とともに考えなくて済む稀有な友人をぼんやり眺めていると、不意に彼が顔を上げた。
それとほとんど同時に、エレベーターが目的の階に到着したことを二人に告げた。
「純季さぁ、頭頂部にセンサーとか仕込んでんじゃね?」
そんな言葉が口から漏れていた。さっきまで完全にオフの状態に見えた純季は、実はエレベーターの動きをしっかり観察していたのだった。
視線はずっとエレベーターの床に向けられていたはずなのに。
「センサーは付いてない」
純季はそれだけ言ってエレベーターを出ていった。
エレベーターの右手に、各階のフロアマップが貼り付けられている。
純季はそれに一瞥をくれると、後ろからじっくりそれに目を通そうとする悠人を置いて長い廊下を進んでいった。
待てよ、と声を掛ける暇もなく、その背中は少しずつ遠くなっていった。
「待てって、部屋は何号室だよ。俺まだそのへんの情報全然聞いて無いんだけどさぁ」
受付で純季が聞いた部屋番号の情報を、悠人は何も聞いていない。
悠人はどうにか純季の背中に追いついて、その肩を掴もうとした。
その瞬間、純季は反転し悠人の方へ身体を向けた。悠人は伸ばしかけた手を寸前のところで引っ込めた。
おい、と声を上げそうになるのを喉のあたりで抑え込む悠人を、純季はほんの少し首を傾げながら、おかしなものを見るような目で見ていた。
「部屋、ここだけど」
純季はすぐ目の前にある個室の、入院患者を収容しておくには随分いかめしい扉を指差した。
悠人の心の中で、今の今まで巡っていた純季への反感やら苛立ちやらは一気に流れ去り、代わりに制服姿で読書する米原睦月のイメージが胸のあたりから脳に向かって迫り上がって来た。
「部屋に入るの、お前からのほうがいいだろ」
「はい?」
純季の問いかけに、無意識に悠人の声は上擦っていた。純季はそんな悠人に、どうする、と淡々とした口調でもう一度問いかけてきた。
「え、俺から部屋に入るの?」
「当たり前だろ、お前の名前で見舞いに来たって言ってるんだから」
「?なんで俺の名前・・・」
「お前は米原さんと同じ高校に通ってて、しかも同級生なんだから、お前の名前を出したほうが自然だろ」
呆れるでもなく、馬鹿にするでもなく、相変わらず表情のない口調で純季はそう言った。
「あ、まぁ、まぁそうだよな」
うん、うんと心を整えるために何度か頷いて、悠人は病室の扉に目を向けた。扉の向こうには米原睦月がいる。
「じゃあ、入るか」
軽い調子でそう言ってはみたものの、脳みそは頭骨の内側で小刻みに震え、頭皮全体が粟立つのがわかった。
唇を真一文字に結び、ドアノブに手を掛けたはいいものの、視線ばかりが泳いで中々その後の行動がとれない。
そんな悠人の様子を何も言わずに見つめていた純季だったけれど、不意に悠人の隣に立つと、ずいと腕を伸ばして病室の扉を強くノックした。
「・・・はい」
しばらく間があって、扉の向こうから小さくそんな声が聞こえた。
純季は間髪入れずにドアノブに手をかけ、悠人がそれを握ったままでいることに構いもせずに、引き戸になっていた扉を開いた。
「うあ・・・」
悠人が間の抜けた驚きの声を上げるのと同時に、扉は大きく開かれ、5月の夕暮れの光がその身体に降り注いだ。
その向こうに、白く清潔なベッドの上からこちらに視線を向ける睦月の姿を、悠人は認めた。
沈黙に恐怖すら感じるほど、周りが賑やかに言葉を交わしていないと安心できない悠人にとって、その沈黙を許容できる数少ない人間が純季だった。
機嫌が悪いのだろうか、とか、怒っているのだろうか、とか、とにかく何も言わずに黙り込む相手の頭の中を想像せずにはいられない。悠人はそれくらい臆病な人間だった。
なのに、純季との間に生まれる沈黙はそんな怖さを微塵も抱かせない。むしろ心地良いほど無心になれる時間だった。
長く続けられる関係のほうが、誤解を解くチャンスだってあるだろう、なんて事を言いかけたけれど、実際のところ、悠人も長く続く人間関係はしんどい。
とりわけ、大して親しくしていたいわけでもない相手との関係は、ダラダラと続けていたくはない。
ただ面倒なことに、そうした関係にある相手ほど、悠人は沈黙を恐れてしまうのだ。
関係をカットしてしまってもなんら差し障りもないような相手なのに、妙に気を使ってしまう。
そういう相手との関係でも、反射的に失うことを恐れてしまう自分の不自由な性格を、純季との心地良い沈黙に出会う度に、悠人は思い起こすのだ。
純季は悠人の斜向いに静かに立ったまま、スイッチが切れたように目を見開いて沈黙している。
何を考えているのか、何も考えていないのか、そんな疑問を不安とともに考えなくて済む稀有な友人をぼんやり眺めていると、不意に彼が顔を上げた。
それとほとんど同時に、エレベーターが目的の階に到着したことを二人に告げた。
「純季さぁ、頭頂部にセンサーとか仕込んでんじゃね?」
そんな言葉が口から漏れていた。さっきまで完全にオフの状態に見えた純季は、実はエレベーターの動きをしっかり観察していたのだった。
視線はずっとエレベーターの床に向けられていたはずなのに。
「センサーは付いてない」
純季はそれだけ言ってエレベーターを出ていった。
エレベーターの右手に、各階のフロアマップが貼り付けられている。
純季はそれに一瞥をくれると、後ろからじっくりそれに目を通そうとする悠人を置いて長い廊下を進んでいった。
待てよ、と声を掛ける暇もなく、その背中は少しずつ遠くなっていった。
「待てって、部屋は何号室だよ。俺まだそのへんの情報全然聞いて無いんだけどさぁ」
受付で純季が聞いた部屋番号の情報を、悠人は何も聞いていない。
悠人はどうにか純季の背中に追いついて、その肩を掴もうとした。
その瞬間、純季は反転し悠人の方へ身体を向けた。悠人は伸ばしかけた手を寸前のところで引っ込めた。
おい、と声を上げそうになるのを喉のあたりで抑え込む悠人を、純季はほんの少し首を傾げながら、おかしなものを見るような目で見ていた。
「部屋、ここだけど」
純季はすぐ目の前にある個室の、入院患者を収容しておくには随分いかめしい扉を指差した。
悠人の心の中で、今の今まで巡っていた純季への反感やら苛立ちやらは一気に流れ去り、代わりに制服姿で読書する米原睦月のイメージが胸のあたりから脳に向かって迫り上がって来た。
「部屋に入るの、お前からのほうがいいだろ」
「はい?」
純季の問いかけに、無意識に悠人の声は上擦っていた。純季はそんな悠人に、どうする、と淡々とした口調でもう一度問いかけてきた。
「え、俺から部屋に入るの?」
「当たり前だろ、お前の名前で見舞いに来たって言ってるんだから」
「?なんで俺の名前・・・」
「お前は米原さんと同じ高校に通ってて、しかも同級生なんだから、お前の名前を出したほうが自然だろ」
呆れるでもなく、馬鹿にするでもなく、相変わらず表情のない口調で純季はそう言った。
「あ、まぁ、まぁそうだよな」
うん、うんと心を整えるために何度か頷いて、悠人は病室の扉に目を向けた。扉の向こうには米原睦月がいる。
「じゃあ、入るか」
軽い調子でそう言ってはみたものの、脳みそは頭骨の内側で小刻みに震え、頭皮全体が粟立つのがわかった。
唇を真一文字に結び、ドアノブに手を掛けたはいいものの、視線ばかりが泳いで中々その後の行動がとれない。
そんな悠人の様子を何も言わずに見つめていた純季だったけれど、不意に悠人の隣に立つと、ずいと腕を伸ばして病室の扉を強くノックした。
「・・・はい」
しばらく間があって、扉の向こうから小さくそんな声が聞こえた。
純季は間髪入れずにドアノブに手をかけ、悠人がそれを握ったままでいることに構いもせずに、引き戸になっていた扉を開いた。
「うあ・・・」
悠人が間の抜けた驚きの声を上げるのと同時に、扉は大きく開かれ、5月の夕暮れの光がその身体に降り注いだ。
その向こうに、白く清潔なベッドの上からこちらに視線を向ける睦月の姿を、悠人は認めた。