第25話
文字数 2,972文字
「ところで、背の低い男に切りつけられたって言ってましたけど、どれくらいですか?同じくらいの身長?」
純季が悠人の前に進み出て、そう尋ねた。おい、と悠人が制止するより早く、睦月が口を開いた。
「うん、私とほとんど同じくらいの背丈だったと思うけど、少し高かったかな」
記憶を引き出そうとしているのか、睦月は口を結んで俯いた。
「いや、ほんとに無理しないで」
慌ててフォローに入る悠人、対して純季は、記憶を整理するのを手伝ってるだけだとでも言いたげに、冷めた目でその様子を見ていた。
「ごめん、背丈のことは正確には言えないかもだけど、でも少なくとも加賀美くん達より背は低かったよ、それは間違いない」
睦月はそう言い切った。そんな睦月を心配そうに見ている悠人をよそに、純季が横からさらに質問を重ねた。
「家の近くの公園、て言ってましたよね、家の目の前ですか、それとも歩いて数分かかるとか。あと因みになんですけど、住んでるのってこのあたりですか、それとも学校の近く?」
どさくさに紛れて何聞いてんだよ、と悠人は言いかけたけれど、睦月の自宅はどこなのか知っておきたいという邪念が、その一言を遅らせた。
その短い時間を縫うように、睦月が自分から話し始めた。
「家はこの近くのマンション。博物館よりもう少し遠くにあるよ。〇〇公園ていう公園がすぐ下にあって、それが今話してる場所。結構広くて夜も明るいところだから、まさかそんな場所にいるなんて思わなくて」
「その公園のどのあたりで遭ったんですか?」
間をおかずに問いかける純季に、悠人は流石に止めに入ろうとしたけれど、今度も睦月のほうが先に口を開いた。
「公園の入り口のあたり、あ、入り口って二箇所あるんだけど、私のマンションの目の前にある方の入り口・・・、言葉だけじゃわからないよね」
睦月は恥じらうように、そしてどこか申し訳無さそうに俯いて笑った。豊かな美しい黒髪が、それにあわせて滑り落ちるように揺れた。
奥ゆかしさすら漂うその笑みに、悠人は見惚れた。
けれど純季の方は、終始変わらぬ訝しむような視線を睦月に向けていた。まるで、彼女が自ら語る話の奥に、何かを隠しているのではないかと疑うように。
「大丈夫ですよ。公園の名前がわかるなら、地図見て入り口を確認すればいいし、何なら見に行ったほうが早いかもしれないですから。ところで、その俺らより背の小さい男の顔は見ましたか?」
そう問うた純季に、睦月は首を横に振った。
「暗かったし、フードを被ってたから・・・。よく考えたら、本当に男の人だったのかな?背は低かったけど、身体つきはそれほど華奢じゃなかったと思う。あぁでも、ちょっとそこは自信ないかも」
段々と思いつめたような顔つきになる睦月が心配になった悠人は、全然気にしなくていいからと彼女を慰め、同時にもういいだろと純季を睨んだ。
純季はその視線に気がついたのか、悠人の方へ一瞥をくれると、柳の葉が風に押し流されるようにするりと一歩下がった。
「なんか長居して、あとこいつが変なこと聞いてごめん。ほんと、全然気にしなくていいから」
「ううん、全然。私の方こそ、ちょっと変なこと喋りすぎたかな」
「いやいや、余計なこと聞いたやつが悪いから。なんも気にしないで」
悠人は自分の手が痛くなるくらい強く純季の背を叩いた。
普段から彫像のように表情を変えない純季も、音が鳴るほど背中を強く叩かれたせいで、ほんの一瞬目を大きく見開いて、仰け反るように背筋を伸ばした。
けれどすぐにいつもの石よりも表情のない顔に戻り、悠人の方へ視線を寄越した。
ちょっと怒ってるな、と悠人は純季の視線からその感情を察した。
純季をよく知らない奴には決して気づくことの出来ない、微細な感情のこぼれを、悠人は純季の投げかけた視線から直感的に読み取ったのだ。
けれど悠人はそんな純季に気を使うつもりなど毛頭なかった。
「こいつ、ちょっと変なスイッチ入ったみたいだから、制御できなくなる前に帰るわ」
悠人はそう言って、隣でもう何も言わなくなった純季の腕を掴んだ。
皮膚が骨に直接張り付いたような細い腕は、その持ち主が生きているのかすら怪しく思えるほど冷たかった。
「そんじゃ、早く退院出来るといいな。あ、でも無理はしないで」
悠人は何故かその右手に掴んだままの純季の腕をふるふると動かして、睦月に別れを告げた。
「ありがとう。手の傷は大したことないし、明日には退院出来るから。心配かけてごめんね」
笑いかける睦月の優しい瞳に、悠人はほんの一瞬意識をさらわれそうになったが、どうにか立て直した。
それじゃ、とまた軽く純季の腕を振り、彼を引きずりながら病室を出た。
病室から出て、悠人は駆け足でエレベーターまで向かった。純季は犬か荷物のように何も言わず従順にそれについていった。
エレベーターホールの前まで来ると、悠人はようやく純季の腕を離した。
「ちょっとやりすぎだろ、尋問みたいになってたぞ」
ため息交じりに、ほんの少しの呆れと怒気を混ぜ込んだ声で悠人は純季に言った。
「俺は、聞いてくれと言わんばかりにあっちから喋っていたように感じたけどな」
あっけらかんとそう言ってのけた純季。
「いや、お前」
何言ってんだ、そう言いかけて、悠人は口をつぐんだ。
純季の言うとおり、睦月はなんだか自分から積極的に話をしていたようだと、悠人もどことなく感じていたからだ。
「夜道で刃物を持ったヤツに襲われるって、かなりショックなことだ。人によるのかもしれないけど、誰かと顔を合わせるのも辛いってくらい気持ちが落ち込みそうなもんだけどな」
手の傷を自分から見せるのも妙だ。と、純季はエレベーターのボタンを押しつつ言った。
「通り魔に襲われただけでもショックなのに、身体につけられた傷をわざわざ他人に見せるのか?見られたくないって考えるのが自然だ。と、俺は思う。もちろん、お前がそれくらいのことをしてもらえるほどあの米原さんと親しいのなら、事情は違う」
どうなんだ?とでも言いたげに、純季は悠人を一瞥した。残念ながら、そこまで睦月とは親しい関係ではない。
「まぁ、変と言えばそうだよな」
悠人はそう言葉を返すしかなかった。
「なんか気になる」
誰に向けるでもなく、純季は宙に向けてそんな言葉を放り投げた。
「うーん」
いつの間にか、悠人も一緒になって考え込んでいた。その時丁度、エレベーターが到着した。
段々と考えることが面倒になってきたので、悠人はとりあえず帰ることにした。
どちらにしても、米原さんは元気そうだし、近いうちに学校に戻ってくるみたいだ。
「話も出来たし、良かったんじゃないか」
純季が、エレベーターに乗り込みながら悠人の心を見透かすように言った。
「良かったかも・・・」
そんな言葉が不覚にも口をついた。はたと気づいて純季の方を見ると、彼は閉まろうとするエレベーターのドアの向こうにいた。
「待て待て」
悠人は慌ててエレベーターに乗り込んだ。
純季に抗議するタイミングを逸してしまい、行き場を失った羞恥と不満の感情を、相変わらずなんの色も感情もない純季の顔を睨むことで落ち着かせた。
多分、純季は気付いていない。気付いていたとしても、気にしていないだろう。エレベーターが静かに下降していった。
純季が悠人の前に進み出て、そう尋ねた。おい、と悠人が制止するより早く、睦月が口を開いた。
「うん、私とほとんど同じくらいの背丈だったと思うけど、少し高かったかな」
記憶を引き出そうとしているのか、睦月は口を結んで俯いた。
「いや、ほんとに無理しないで」
慌ててフォローに入る悠人、対して純季は、記憶を整理するのを手伝ってるだけだとでも言いたげに、冷めた目でその様子を見ていた。
「ごめん、背丈のことは正確には言えないかもだけど、でも少なくとも加賀美くん達より背は低かったよ、それは間違いない」
睦月はそう言い切った。そんな睦月を心配そうに見ている悠人をよそに、純季が横からさらに質問を重ねた。
「家の近くの公園、て言ってましたよね、家の目の前ですか、それとも歩いて数分かかるとか。あと因みになんですけど、住んでるのってこのあたりですか、それとも学校の近く?」
どさくさに紛れて何聞いてんだよ、と悠人は言いかけたけれど、睦月の自宅はどこなのか知っておきたいという邪念が、その一言を遅らせた。
その短い時間を縫うように、睦月が自分から話し始めた。
「家はこの近くのマンション。博物館よりもう少し遠くにあるよ。〇〇公園ていう公園がすぐ下にあって、それが今話してる場所。結構広くて夜も明るいところだから、まさかそんな場所にいるなんて思わなくて」
「その公園のどのあたりで遭ったんですか?」
間をおかずに問いかける純季に、悠人は流石に止めに入ろうとしたけれど、今度も睦月のほうが先に口を開いた。
「公園の入り口のあたり、あ、入り口って二箇所あるんだけど、私のマンションの目の前にある方の入り口・・・、言葉だけじゃわからないよね」
睦月は恥じらうように、そしてどこか申し訳無さそうに俯いて笑った。豊かな美しい黒髪が、それにあわせて滑り落ちるように揺れた。
奥ゆかしさすら漂うその笑みに、悠人は見惚れた。
けれど純季の方は、終始変わらぬ訝しむような視線を睦月に向けていた。まるで、彼女が自ら語る話の奥に、何かを隠しているのではないかと疑うように。
「大丈夫ですよ。公園の名前がわかるなら、地図見て入り口を確認すればいいし、何なら見に行ったほうが早いかもしれないですから。ところで、その俺らより背の小さい男の顔は見ましたか?」
そう問うた純季に、睦月は首を横に振った。
「暗かったし、フードを被ってたから・・・。よく考えたら、本当に男の人だったのかな?背は低かったけど、身体つきはそれほど華奢じゃなかったと思う。あぁでも、ちょっとそこは自信ないかも」
段々と思いつめたような顔つきになる睦月が心配になった悠人は、全然気にしなくていいからと彼女を慰め、同時にもういいだろと純季を睨んだ。
純季はその視線に気がついたのか、悠人の方へ一瞥をくれると、柳の葉が風に押し流されるようにするりと一歩下がった。
「なんか長居して、あとこいつが変なこと聞いてごめん。ほんと、全然気にしなくていいから」
「ううん、全然。私の方こそ、ちょっと変なこと喋りすぎたかな」
「いやいや、余計なこと聞いたやつが悪いから。なんも気にしないで」
悠人は自分の手が痛くなるくらい強く純季の背を叩いた。
普段から彫像のように表情を変えない純季も、音が鳴るほど背中を強く叩かれたせいで、ほんの一瞬目を大きく見開いて、仰け反るように背筋を伸ばした。
けれどすぐにいつもの石よりも表情のない顔に戻り、悠人の方へ視線を寄越した。
ちょっと怒ってるな、と悠人は純季の視線からその感情を察した。
純季をよく知らない奴には決して気づくことの出来ない、微細な感情のこぼれを、悠人は純季の投げかけた視線から直感的に読み取ったのだ。
けれど悠人はそんな純季に気を使うつもりなど毛頭なかった。
「こいつ、ちょっと変なスイッチ入ったみたいだから、制御できなくなる前に帰るわ」
悠人はそう言って、隣でもう何も言わなくなった純季の腕を掴んだ。
皮膚が骨に直接張り付いたような細い腕は、その持ち主が生きているのかすら怪しく思えるほど冷たかった。
「そんじゃ、早く退院出来るといいな。あ、でも無理はしないで」
悠人は何故かその右手に掴んだままの純季の腕をふるふると動かして、睦月に別れを告げた。
「ありがとう。手の傷は大したことないし、明日には退院出来るから。心配かけてごめんね」
笑いかける睦月の優しい瞳に、悠人はほんの一瞬意識をさらわれそうになったが、どうにか立て直した。
それじゃ、とまた軽く純季の腕を振り、彼を引きずりながら病室を出た。
病室から出て、悠人は駆け足でエレベーターまで向かった。純季は犬か荷物のように何も言わず従順にそれについていった。
エレベーターホールの前まで来ると、悠人はようやく純季の腕を離した。
「ちょっとやりすぎだろ、尋問みたいになってたぞ」
ため息交じりに、ほんの少しの呆れと怒気を混ぜ込んだ声で悠人は純季に言った。
「俺は、聞いてくれと言わんばかりにあっちから喋っていたように感じたけどな」
あっけらかんとそう言ってのけた純季。
「いや、お前」
何言ってんだ、そう言いかけて、悠人は口をつぐんだ。
純季の言うとおり、睦月はなんだか自分から積極的に話をしていたようだと、悠人もどことなく感じていたからだ。
「夜道で刃物を持ったヤツに襲われるって、かなりショックなことだ。人によるのかもしれないけど、誰かと顔を合わせるのも辛いってくらい気持ちが落ち込みそうなもんだけどな」
手の傷を自分から見せるのも妙だ。と、純季はエレベーターのボタンを押しつつ言った。
「通り魔に襲われただけでもショックなのに、身体につけられた傷をわざわざ他人に見せるのか?見られたくないって考えるのが自然だ。と、俺は思う。もちろん、お前がそれくらいのことをしてもらえるほどあの米原さんと親しいのなら、事情は違う」
どうなんだ?とでも言いたげに、純季は悠人を一瞥した。残念ながら、そこまで睦月とは親しい関係ではない。
「まぁ、変と言えばそうだよな」
悠人はそう言葉を返すしかなかった。
「なんか気になる」
誰に向けるでもなく、純季は宙に向けてそんな言葉を放り投げた。
「うーん」
いつの間にか、悠人も一緒になって考え込んでいた。その時丁度、エレベーターが到着した。
段々と考えることが面倒になってきたので、悠人はとりあえず帰ることにした。
どちらにしても、米原さんは元気そうだし、近いうちに学校に戻ってくるみたいだ。
「話も出来たし、良かったんじゃないか」
純季が、エレベーターに乗り込みながら悠人の心を見透かすように言った。
「良かったかも・・・」
そんな言葉が不覚にも口をついた。はたと気づいて純季の方を見ると、彼は閉まろうとするエレベーターのドアの向こうにいた。
「待て待て」
悠人は慌ててエレベーターに乗り込んだ。
純季に抗議するタイミングを逸してしまい、行き場を失った羞恥と不満の感情を、相変わらずなんの色も感情もない純季の顔を睨むことで落ち着かせた。
多分、純季は気付いていない。気付いていたとしても、気にしていないだろう。エレベーターが静かに下降していった。