第18話

文字数 2,463文字

 病院の場所はわかった。あとは見舞いに行くもっともらしい動機と、勇気が必要だった。

 それらしい理由さえ見つかれば、後はそれが見舞いに行く度胸を与えてくれる。

 そう考えた悠人は、地下街の夕方の喧騒と人混みのなかを器用にスイープしながら、いかにも考え込んでいます、といった顔つきでその理由を探した。
 
 けれど、そんなもの簡単に思いつくはずもなく、地下鉄の改札が見えたところでやむなくスマートフォンを取り出し、アプリを起動して画面をICカードの読み取り機にかざした。

 しかし、いざ改札をくぐってから、もう一駅くらい歩きながら考えても良かったんじゃないかと思い始めて、無意味に強い後悔を覚えた。

 習慣的な動作の恐ろしさを噛み締めながら、悠人は諦めて地下鉄のホームに降りた。そして降りたところで、ちょうどよく悠人の家へと向かう列車がホームに入ってきた。

 地下鉄天神駅から終点である地下鉄姪浜駅、そのちょうど中間にある地下鉄西新駅が、睦月のいる病院の最寄り駅になる。

 到着するまでほんの数分だ。その間になんでもいいから、見舞いに行くそれらしい理由を見つけ出さなければと、悠人は無い知恵を振り絞った。

 ここは正直に、佐波から睦月が怪我をして入院していることを聞いたからと言った方がいいのかもしれない。変に言い訳しても、却って不信感を持たれるだけだ。

 いや、仮に正直に理由を話したとして、どうして普段から特別親しくしているわけでもない悠人が、わざわざ自分の見舞いに来るのだろうと、疑問を持たれるのは間違いない。

「具合が悪くて病院に来たら、偶然米原さんが入院しているのを知って、ついでにお見舞いに来た、とかどうだろう」

 思わず、口に出して言っていた。出入口付近でガラス窓に額を押し当てながらそんなおかしなことを言ってるのだから、さぞ奇妙に映ったのだろう。
 
 悠人の横の優先席に座る老女が、怪訝そうに悠人の方へ目を向けた。悠人はその老女と目が合ってしまい、お互い気まずい気持ちで視線を外した。

「まぁいいや、なんか不自然だけど、これでいくか」

 また口に出していた。老女は、今度は悠人の方を見ようともしなかった。代わりに膝に抱えていた小さなバッグをしっかりと掴んだ。

 そして地下鉄が赤坂駅で停車し、扉が開くのと同時に、悠人の隣をするりと逃げるように通り抜けて行った。

 扉が閉まり、再び車両が動き始めると、決意を固めたはずの悠人の意思が再びぐずぐずと崩れ始めた。

 それらしい見舞いの理由を捻り出しはしたものの、最寄りの駅が近づいてくるにつれ、首尾よく事が運ぶ確信が段々と持てなくなってきた。

 仮にこの理由で上手く睦月を誤魔化せたとして、そのあとは何をどうすればいいのだろう。

 特になんとも思っていない奴が相手なら、適当にその場を盛り上げるのは造作もないことだと、悠人は自信を持っている。

 けれど、相手が睦月となればそうはいかない。

 二人だけの病室で、一体自分はどう振舞えばいいのだろう。沈黙と狼狽というこれ以上ない醜態を晒してしまうことだけは避けたかった。

 ではいっそ、ちょっと顔を見に来ただけだからと言って、早々に退散してしまうというのはどうだろう。
そうすれば、少なくとも醜態を晒すことはないだろう。

 でもここまで下準備をしておきながら、プレッシャーに負けて大した会話もせずに立ち去ってしまうのも、なんだか間抜けな気がした。

 せめて、俺に代わって睦月と会話を繋いでくれる奴がいてくれたらと、悠人は口を窄めて思った。

 そうしたら、自分はその中へ巧みに入り込んで、上手いこと睦月との距離を縮めることが出来るのにと、悠人は口惜しそうに窓に額を擦りつけた。

 佐波を誘ってみるべきだったろうか、ふとそんなことを考えた。

 いや、それはないと、悠人はすぐに自分の考えを打ち消した。佐波を誘って睦月のお見舞いに行くなんて、一人で行くよりもさらに高度な課題だ。

 仕方ない、ここまできたらとりあえず睦月のところまで辿り着いて、後は勢いと流れでどうにかしてと、悠人がそんなことを考えながら相変わらず睨みつけるように地下鉄の窓を見つめていると、不意に目の前が明るくなった。
  
 それからすぐに、列車の扉がプシュゥゥと音を立てて開いた。地下鉄のアナウンスが、西新駅への到着を告げていた。

 慌てて降りようとする悠人を避けようと、細い影がゆらりと悠人の左側へ移動した。柳の枝のようにしなった影の方へ、悠人は何げなく目を向けた。

 瞬間、悠人は反射的にその影の主の腕を掴み、まさに地下鉄の車両に乗り込もうとしていたそいつをホームの方へと引き戻した。

 驚いたのは影の主だった。悠人に腕を掴まれ、しばし呆然としたまま悠人に引き摺られていたが、やがて多少の冷静さを取り戻したのか、待て待てと悠人に声を掛け、自分の腕を悠人から取り戻すように引き離した。

「何やってんだ、あといきなり何するんだ」

「あ、ごめん、なんか反射的に。そういえば、純季の高校ってこのへんだったんだよな。目の前にいたから、気が付いたら腕掴んでたわ」

 屈託なく笑う悠人を、影の主は呆れたように見ていた。

 悠人はその少年を純季と呼んだ。年の頃は悠人と同じくらい。制服を着ているから間違いなく高校生なのだろうが、悠人のそれとは別の高校のものだった。

「気が付いたらってなんだよ、家に帰る途中だったのに」

「俺も帰るとこだったし、丁度いいじゃん」

 何がどう丁度いいんだと、心底面倒くさそうに純季は言った。

「そんな顔するなって、どうせ帰る場所は一緒なんだし、いいじゃん」

 純季の不満になど別に配慮しなくたって構わない、とでも言わんばかりに、悠人は純季の背中をバンバンと少し乱暴に叩きながら、純季を改札口の方へ誘導した。

 悠人にしてみれば、気の置けない仲間なのだという信頼の現れだったのだけれど、純季は相変わらず渋そうな表情をしたままだった。

 ただそんな顔を見せつつも、純季は悠人に従い、さっき降りたばかりの階段を悠人に続いて昇って行った。
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