第34話
文字数 2,177文字
「あの日、老人が自分で喉を切った現場には、若い男性と中年の女性の二人がいた。その姿を見たって人が、公園の近くのマンションに居ました」
純季が静かにそう言った。
「若い男性の方は、そのまま公衆トイレから離れるように駆けて行ったみたいです。米原さんはその人と鉢合わせたんですよね、あの場所で」
純季の問いかけに、睦月は静かに頷き、そして訥々と話し始めた。
「その人、私の通ってる塾の先生の弟さん。大志さんて名前。写真でしか見たこと無かったから、あの夜に本人を見た時、最初は見たことある人がいるって思ったけど、誰だかわからなかった」
力の抜けきった睦月の言葉が、平坦なアクセントのまま悠人達に伝わった。
「公園の向こう側で何があったのかは、私がいた場所からでも見てわかった。でも私が見たのは、あくまでおじいさんが首から血を流して倒れていて、男の人がこっちに向かって逃げて来るところ。それより前の事はわからない。でもそれを見て、男の人がおじいさんを襲ったんだって、勝手に思っちゃって」
睦月は力なく笑って、話を続けた。
「その人と真正面から目が合った時、大志さんだってわかった。手にナイフを握ってるのに気付いたのはその後。で、大志さんを怖がるより、守らなきゃって思って。私は何も、誰にも言いませんから、すぐに逃げてくださいって、そんなことを言っちゃってた」
「・・・ナイフ 、持ってたんですか?」
純季が少し驚いたように目を見開いて、そう尋ねた。悠人も思わず睦月の方へ顔を近づけた。
「うん、持ってた。小さくて細いの。種類まではちょっとわからなかったけど」
睦月はどこか気まずそうに、申し訳なさそうにしながら、二人から視線を逸らした。
「そうなんですね。で、その人が逃げたのを確認して、偽装のために自分で掌を切った」
純季が捕捉するように言葉を継いだ。睦月はゆっくりと頷き、再び話し始めた。
「大志さんは驚いてたけど、向こうから、多分さっきあなた達が話してた女の人 が来るのが見えたから、何も言わずに走って行っちゃった。その後、その女の人が私の側まで来た時に、加賀美君達に説明したのと同じ、大志さんと全く違う背格好の人に襲われたって、話してしまって・・・」
疲れ切った笑みを浮かべたまま、睦月はそう言った。
「警察にも話をしたんですよね。というか、だから慌ててる」
純季の言葉に、睦月は何度か小さく頷いた。
「大志さんがおじいさんを襲ったんだって、私もそう思い込んでたから、とにかく大志さんに疑いの目が向かないようにするにはどうすればいいのか、そればっかり考えてて」
睦月は、入院の翌日に自分の病室まで警察が尋ねて来たこと、警察にも悠人達に話したのと同じようなことを話したと言った。
「おじいさんの事件の話は、こんなところ」
睦月は、何か憑物が落ちたような落ち着いた口調で言った。
「おじいさんの事件は、ですよね」
純季は何故か念を押すように、睦月の言葉を繰り返した。
「ん?何言ってんの」
悠人はそんな純季を訝しむように尋ねたけれど、睦月の方は小さく笑みを浮かべながら、分かってるんだと呟くように言った。
「私の通ってる塾で起きた事も、知ってるんだね」
「はい、こいつから。こっちはこっちで、友達からの又聞きみたいですけど」
純季は親指で悠人の方を指した。悠人は一瞬、何の話をしているのかと首をひねった。
けれど、それが佐波から聞いた塾の講師が刺された話だと気付くのに、時間はかからなかった。
「あ、それ内緒にしといてって言われたんだぞ」
悠人は慌てて純季の肩を掴んだ。
「俺は内緒にしてくれって言われてない」
純季は悠人の方を一瞥すると、表情のない声で言った。
「いや、そうかもしれないけど・・・」
言い淀んだ悠人に、今度は睦月が不安げに声を掛けた。
「友達からって、佐波から?」
しまった、そう口には出さず叫んだ悠人は、不用意なことを言った純季と、口止めするのを怠った自分の両方を恨んだ。
それから、出来るだけ明るい声で、取り繕うように睦月に話をした。
「あ、うん、そこから聞いた。米原さんの通ってる塾の先生が刺されて、目撃されたのが黒い服を着た男だったって。米原さんも同じような奴に襲われたって聞いて、不安にさせるようなこと言ったかなって、心配してたよ」
「聞いたのは、その話だけ?」
間を置かず、睦月が念を押すようにそう尋ねて来た。
多分、栗原という講師から受けていたセクハラについて言っているんだなと、悠人は勘付いた。
実際、佐波もその話については特に秘密にしておいて欲しいと言っていた。
「うん、この話だけ。通り魔に襲われて入院しましたなんて話が学校で広がったら、米原さんが学校に出て来づらくなるから、誰にも言わないでって頼まれてさ。まぁ、俺には言っちゃってるんだけど」
悠人はそう言って笑った。これで誤魔化せればいいんだけれど。そう思いながら、恐る恐る睦月の顔を見た。
「そっか、それだけならいいや。ごめんね」
睦月はそう言って、再び力なく微笑んだ。それから姿勢を正すように座りなおすと、今度ははっきりした口調で話を始めた。
「加賀美・・・、純季君て呼んでもいい?純季君が分かってること、全部教えて欲しい」
まっすぐ純季を見つめてそう言った。そんな睦月に応えるように、純季も口を開いた。
純季が静かにそう言った。
「若い男性の方は、そのまま公衆トイレから離れるように駆けて行ったみたいです。米原さんはその人と鉢合わせたんですよね、あの場所で」
純季の問いかけに、睦月は静かに頷き、そして訥々と話し始めた。
「その人、私の通ってる塾の先生の弟さん。大志さんて名前。写真でしか見たこと無かったから、あの夜に本人を見た時、最初は見たことある人がいるって思ったけど、誰だかわからなかった」
力の抜けきった睦月の言葉が、平坦なアクセントのまま悠人達に伝わった。
「公園の向こう側で何があったのかは、私がいた場所からでも見てわかった。でも私が見たのは、あくまでおじいさんが首から血を流して倒れていて、男の人がこっちに向かって逃げて来るところ。それより前の事はわからない。でもそれを見て、男の人がおじいさんを襲ったんだって、勝手に思っちゃって」
睦月は力なく笑って、話を続けた。
「その人と真正面から目が合った時、大志さんだってわかった。手にナイフを握ってるのに気付いたのはその後。で、大志さんを怖がるより、守らなきゃって思って。私は何も、誰にも言いませんから、すぐに逃げてくださいって、そんなことを言っちゃってた」
「・・・ナイフ 、持ってたんですか?」
純季が少し驚いたように目を見開いて、そう尋ねた。悠人も思わず睦月の方へ顔を近づけた。
「うん、持ってた。小さくて細いの。種類まではちょっとわからなかったけど」
睦月はどこか気まずそうに、申し訳なさそうにしながら、二人から視線を逸らした。
「そうなんですね。で、その人が逃げたのを確認して、偽装のために自分で掌を切った」
純季が捕捉するように言葉を継いだ。睦月はゆっくりと頷き、再び話し始めた。
「大志さんは驚いてたけど、向こうから、多分さっきあなた達が話してた女の人 が来るのが見えたから、何も言わずに走って行っちゃった。その後、その女の人が私の側まで来た時に、加賀美君達に説明したのと同じ、大志さんと全く違う背格好の人に襲われたって、話してしまって・・・」
疲れ切った笑みを浮かべたまま、睦月はそう言った。
「警察にも話をしたんですよね。というか、だから慌ててる」
純季の言葉に、睦月は何度か小さく頷いた。
「大志さんがおじいさんを襲ったんだって、私もそう思い込んでたから、とにかく大志さんに疑いの目が向かないようにするにはどうすればいいのか、そればっかり考えてて」
睦月は、入院の翌日に自分の病室まで警察が尋ねて来たこと、警察にも悠人達に話したのと同じようなことを話したと言った。
「おじいさんの事件の話は、こんなところ」
睦月は、何か憑物が落ちたような落ち着いた口調で言った。
「おじいさんの事件は、ですよね」
純季は何故か念を押すように、睦月の言葉を繰り返した。
「ん?何言ってんの」
悠人はそんな純季を訝しむように尋ねたけれど、睦月の方は小さく笑みを浮かべながら、分かってるんだと呟くように言った。
「私の通ってる塾で起きた事も、知ってるんだね」
「はい、こいつから。こっちはこっちで、友達からの又聞きみたいですけど」
純季は親指で悠人の方を指した。悠人は一瞬、何の話をしているのかと首をひねった。
けれど、それが佐波から聞いた塾の講師が刺された話だと気付くのに、時間はかからなかった。
「あ、それ内緒にしといてって言われたんだぞ」
悠人は慌てて純季の肩を掴んだ。
「俺は内緒にしてくれって言われてない」
純季は悠人の方を一瞥すると、表情のない声で言った。
「いや、そうかもしれないけど・・・」
言い淀んだ悠人に、今度は睦月が不安げに声を掛けた。
「友達からって、佐波から?」
しまった、そう口には出さず叫んだ悠人は、不用意なことを言った純季と、口止めするのを怠った自分の両方を恨んだ。
それから、出来るだけ明るい声で、取り繕うように睦月に話をした。
「あ、うん、そこから聞いた。米原さんの通ってる塾の先生が刺されて、目撃されたのが黒い服を着た男だったって。米原さんも同じような奴に襲われたって聞いて、不安にさせるようなこと言ったかなって、心配してたよ」
「聞いたのは、その話だけ?」
間を置かず、睦月が念を押すようにそう尋ねて来た。
多分、栗原という講師から受けていたセクハラについて言っているんだなと、悠人は勘付いた。
実際、佐波もその話については特に秘密にしておいて欲しいと言っていた。
「うん、この話だけ。通り魔に襲われて入院しましたなんて話が学校で広がったら、米原さんが学校に出て来づらくなるから、誰にも言わないでって頼まれてさ。まぁ、俺には言っちゃってるんだけど」
悠人はそう言って笑った。これで誤魔化せればいいんだけれど。そう思いながら、恐る恐る睦月の顔を見た。
「そっか、それだけならいいや。ごめんね」
睦月はそう言って、再び力なく微笑んだ。それから姿勢を正すように座りなおすと、今度ははっきりした口調で話を始めた。
「加賀美・・・、純季君て呼んでもいい?純季君が分かってること、全部教えて欲しい」
まっすぐ純季を見つめてそう言った。そんな睦月に応えるように、純季も口を開いた。