第22話

文字数 2,198文字

 医療センターに着いたのは、海風のない凪の時間だった。

 自動ドアをくぐった先に広がるエントランスは、病院とは思えないほど広く賑やかで、その騒々しさがかえって悠人たち部外者をいい具合に周囲に溶け込ませていた。

 悠人たちに関心を払う余裕など誰も持ち合わせていないのだろう。

「行くか・・・」

 その様子を見て取ったのか、純季は悠人にそう促した。

「そうだな、でもどこに行ったらいいんだろうな。やたら広いわ、ここ」

 眩暈がするほど高い天井を見上げ、それから自分の周りに二度、三度と視線を巡らしながら、悠人は入院患者の棟への入り口を探した。

「あっちだよ」

 純季はそう言って、左の方へ視線をやった。入院患者の棟への順路を示す案内板が天井から吊り下げられているのが見えた。

「しれっと入院患者の棟までいけるか?なんか知恵出してくれない?」

 軽い調子で尋ねた悠人に純季は冷めた視線を向けつつ、正攻法で行くと一言告げた。

「正攻法?」

「ナースステーションで正直に面会に来たって言うのが結局一番いい」

 純季はそれだけ言うと、悠人を置き去りにするように、真っ直ぐに入院患者の棟へ歩いていった。悠人は置いていかれまいとその後に続いた。

「いやいや、正攻法って、ナースステーションになんて言って米原さんの部屋に入れてもらうんだよ」

「同じ高校の生徒なんだから、正直にそう言えばいい。そこは正直に言った方が確実で賢明だ」

 悠人の方を振り返ることなく、純季は言った。

「待て待て、そりゃそうだけど、じゃあさっきの作戦は?架空の友達の見舞いに来たってのは無し?それにいきなり俺が見舞いに来たって言われたって、米原さん困るだろう。何しに来たんだって思うよ、絶対」

「架空の友人への見舞いは米原さんと会ったときの言い訳用に取っておく。まずはナースステーションで正直に米原さんの見舞いに来た事を話して病室までたどり着くことが優先だ。病室についてから、米原さんに実は友達が入院しててとか、一応ナースステーションにはひと声掛けといたとか、そういうことを言えばいい。多分ナースステーションから米原さんに伝わるのは、友達が見舞に来たって事実だけだから」

 そこまで説明しなきゃわからないか?そんな表情を見せた純季に、ほんのわずかな反感を覚えつつ、悠人は今はそうするしかないかと自分を納得させて、純季の後に従った。

「下の名前は?」

「はい?」

「米原さんの下の名前、ナースステーションで病室聞くのに、名字だけで問い合わせてもわからないかもしれないだろ」

「あぁ、そっか。えっと、米原さんの下の名前は睦月だよ。陸って漢字に似てるヤツに月で睦月」

 睦月か、風流な名前だな。純季は悠人にそう返した。

「風流?」

「あぁ、米原さんは1月生まれなのか?どっちにしても、風雅を感じる」

 フウガ?よくわからないが、睦月の名前を褒められたことはわかった。何故だか悠人は気分が良かった。

 そうやって悠人がささやかな喜びを胸の内に感じている間に、純季はナースステーションで自分たちが睦月の見舞いに来たことを説明していた。

 悠人がそれに気づいたときには、すべて話が整っていて、無事に悠人たちは睦月の病室までいけるようになっていた。

「お前さ、普段死んでるみたいにおとなしいのに、こういうときだけコミュニケーション能力高いよな」

 純季の後ろについてエレベーターホールまで向かう途中で、悠人はその背中に向かってそんな言葉を投げた。

「親しくする必要のない人が相手だと、結構楽に話せる」

 純季はこちらを振り返ることもなくそう言うと、辿り着いたエレベーターホールにある、左手一番奥のエレベーターのボタンを押した。

「親しいヤツのほうが話しやすいだろ、普通。俺ああいうフォーマルなコミュニケーションが求められる場面て、苦手だ」

 純季の横についてエレベーターを待ちながら、悠人は言った。

 悠人にとって、コミュニケーションは親しい人間とさらに親しくなるための手段だ。だから、それほど親しくもないヤツとの間で言葉を交わすのはかえって勇気がいる。

 親しくなる取っ掛かりを見つけて、ゼロから関係性を作り上げていく労力は中々のものだ。

 まして、これから親しくなる予定もない相手とのコミュニケーションなど時間と思考の浪費としか思えない。

「親しくなるためのコミュニケーションの方が俺は苦痛だよ。長く付き合っていくことを見越してコミュニケーションを取るなら、今この瞬間に、どういう振る舞いをするのが先々のことを考えてベストなのかとか、そんな面倒なことまで考えながら、自分の行動や言動を決めなきゃならない。そっちのほうがよっぽど脳に悪いと俺は思うけどな」

 純季がそう言ったのと同時に、エレベーターが到着した。

 音もなく扉が開くと、二人はその先にある白い匣の中に身体を滑り込ませた。同時に、純季は振り返って悠人に言った。

「一回きりの関係なら、多少おかしなこと言って、変な人間だって思われたとしても、所詮その一瞬だけだ。変な人間のレッテルのまま長く付き合って行かなきゃならないことを考えれば、楽だよ」

 そう言って、純季は壁にもたれかかり、エレベーターの扉がしまっていくのをぼんやり見つめていた。

 長く関係を続けられる仲なら、変な誤解だって解くチャンスはあるだろ、と言いかけて、悠人は止めた。

 そういう作業が純季には一番面倒なのだろう。
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