第7話
文字数 1,689文字
尚子は大志を探すために再び歩きだそうとした。けれど、大志の向かった先は全く見当がつかない。
「ねぇ、大志の匂い、追いかけられないの?」
尚子は足元ですっかり大人しくしている飼い犬をけしかけるように、散歩用のロープを引いた。
首元を強引に上に引かれ迷惑そうにしながらも、だらりと頭を下げたコーギーは尚子の要求に従ってはくれなかった。
もう疲れ果ててしまったのだろうか、ついにはその場に座り込んでしまった。
そんな不忠者の飼い犬の姿を見て、尚子もなんだか気力を大きく削がれてしまったような気がした。このまま家に帰ってしまおうかとも考えた。
大志のことが心配なのは間違いない。かと言って、このまま当てもなく息子を追いかけ続けるわけにもいかない。
もし追いかけて、そして仮に大志を見つけたとして、それからどうするというのだろう。
自分が大志のしてしまったことの一部始終を目撃していたことを、全て彼にぶつけるのか。
そこまで想像して、尚子は自分にとてもそんな勇気がないことを悟った。
もし彼を見つけたなら、何も知らないふりをして、遅い時間だから家に帰るようにと言うに違いない。偶然その場で出会ったことを装って。
そして何事も無かったかのように、明日からも一緒に過ごして行けばいい、家族として。
そういうことなら、やっぱり大志を探し出して家に連れて帰ろう。何も見なかった事にして。そう決めると、尚子の心に気力が戻ってきた。
へたり込んだ飼い犬を力ずくで起き上がらせると、行く当てはないがとりあえず歩き出そうとした。
その時、腰に巻いたポーチの中で尚子のスマートフォンが震えた。断続的に振動するそれを手に取ると、長女からの着信だった。
電話に出ると、電話口の彼女は少し心配そうな声で、今どこにいるのかと問うてきた。
「今?今はいつもどおり散歩中だけど、どうしたの、そんな心配そうにして」
『いや、だっていつもより帰ってくるのが遅いし、もう大志も戻ってきてるよ、何にも言わずに部屋に入っていったけど。お母さん、いつも大志より早く帰ってくるから、どうしたんだろう、何かあったのかなって、ちょっと心配になっただけ』
彼女は安堵したようにそう言うと、とりあえずそろそろ帰ってきたらと尚子に言った。
大志はもう帰ってきているようだ。娘の言葉に安堵とも落胆とも考えられる矛盾した感情を覚え、尚子は一刻、沈黙した。
『ねぇ、聞こえてる、大丈夫?』
電話口で、娘が何度か尚子の名前を呼んだのに気付いて、尚子は大丈夫と繰り返し言って、どうにか娘を安心させた。
「うん、大丈夫だから、それじゃ、すぐに帰るからね。もう家のすぐ近くにいるし」
早く帰ってきてねと不安げに話す娘を宥め、尚子は電話を切った。
大志はもう帰ってきているらしい、それならそれで構わない。
さっき考えたとおり、何も起こらなかったことにして、このまま明日からも、昨日や今日と同じ日が続いていくことを信じて生きて行けばいいのだ。
腹を括った尚子が、スマートフォンをポーチの中にしまおうとすると、何か固いものに当たった。ナイフだった。
思わずそれを手に取った尚子は、外灯の光を吸って一層美しく輝くナイフから、しばらく目を離すことが出来なかった。
どうにかナイフから自分の意識を引きはがすことが出来たのは、さっきまで退屈そうにへたり込んでいた飼い犬が、元気を取り戻して自分の足元で動きだしてからだった。
飼い犬も家に戻りたかったのか、尚子を公園の方へ連れ戻そうと急かした。
尚子は、出来ることなら公園は避けて通りたかったのだけれど、公園を通らずに家に帰る道筋がわからないので、仕方なく犬に従った。
もう救急車も老人を連れて病院へと向かっており、サイレンの音につられて集まっていた人たちも散っていた。
そういえば、あの女の子も、彼女の両親も、救急車がすぐそばに居たことには一言も触れていなかった。
気が付かなかったのだろか。或いはそれどころではなかったのかもしれない。
尚子は公衆トイレのほうに目を向けないようにしながら、足早に公園を通り抜け、家路を急いだ。
「ねぇ、大志の匂い、追いかけられないの?」
尚子は足元ですっかり大人しくしている飼い犬をけしかけるように、散歩用のロープを引いた。
首元を強引に上に引かれ迷惑そうにしながらも、だらりと頭を下げたコーギーは尚子の要求に従ってはくれなかった。
もう疲れ果ててしまったのだろうか、ついにはその場に座り込んでしまった。
そんな不忠者の飼い犬の姿を見て、尚子もなんだか気力を大きく削がれてしまったような気がした。このまま家に帰ってしまおうかとも考えた。
大志のことが心配なのは間違いない。かと言って、このまま当てもなく息子を追いかけ続けるわけにもいかない。
もし追いかけて、そして仮に大志を見つけたとして、それからどうするというのだろう。
自分が大志のしてしまったことの一部始終を目撃していたことを、全て彼にぶつけるのか。
そこまで想像して、尚子は自分にとてもそんな勇気がないことを悟った。
もし彼を見つけたなら、何も知らないふりをして、遅い時間だから家に帰るようにと言うに違いない。偶然その場で出会ったことを装って。
そして何事も無かったかのように、明日からも一緒に過ごして行けばいい、家族として。
そういうことなら、やっぱり大志を探し出して家に連れて帰ろう。何も見なかった事にして。そう決めると、尚子の心に気力が戻ってきた。
へたり込んだ飼い犬を力ずくで起き上がらせると、行く当てはないがとりあえず歩き出そうとした。
その時、腰に巻いたポーチの中で尚子のスマートフォンが震えた。断続的に振動するそれを手に取ると、長女からの着信だった。
電話に出ると、電話口の彼女は少し心配そうな声で、今どこにいるのかと問うてきた。
「今?今はいつもどおり散歩中だけど、どうしたの、そんな心配そうにして」
『いや、だっていつもより帰ってくるのが遅いし、もう大志も戻ってきてるよ、何にも言わずに部屋に入っていったけど。お母さん、いつも大志より早く帰ってくるから、どうしたんだろう、何かあったのかなって、ちょっと心配になっただけ』
彼女は安堵したようにそう言うと、とりあえずそろそろ帰ってきたらと尚子に言った。
大志はもう帰ってきているようだ。娘の言葉に安堵とも落胆とも考えられる矛盾した感情を覚え、尚子は一刻、沈黙した。
『ねぇ、聞こえてる、大丈夫?』
電話口で、娘が何度か尚子の名前を呼んだのに気付いて、尚子は大丈夫と繰り返し言って、どうにか娘を安心させた。
「うん、大丈夫だから、それじゃ、すぐに帰るからね。もう家のすぐ近くにいるし」
早く帰ってきてねと不安げに話す娘を宥め、尚子は電話を切った。
大志はもう帰ってきているらしい、それならそれで構わない。
さっき考えたとおり、何も起こらなかったことにして、このまま明日からも、昨日や今日と同じ日が続いていくことを信じて生きて行けばいいのだ。
腹を括った尚子が、スマートフォンをポーチの中にしまおうとすると、何か固いものに当たった。ナイフだった。
思わずそれを手に取った尚子は、外灯の光を吸って一層美しく輝くナイフから、しばらく目を離すことが出来なかった。
どうにかナイフから自分の意識を引きはがすことが出来たのは、さっきまで退屈そうにへたり込んでいた飼い犬が、元気を取り戻して自分の足元で動きだしてからだった。
飼い犬も家に戻りたかったのか、尚子を公園の方へ連れ戻そうと急かした。
尚子は、出来ることなら公園は避けて通りたかったのだけれど、公園を通らずに家に帰る道筋がわからないので、仕方なく犬に従った。
もう救急車も老人を連れて病院へと向かっており、サイレンの音につられて集まっていた人たちも散っていた。
そういえば、あの女の子も、彼女の両親も、救急車がすぐそばに居たことには一言も触れていなかった。
気が付かなかったのだろか。或いはそれどころではなかったのかもしれない。
尚子は公衆トイレのほうに目を向けないようにしながら、足早に公園を通り抜け、家路を急いだ。