33.チュウ告

文字数 5,099文字

 何があっても無くても時間は流れていく。
 出発まで数日という頃、神官サマは今度は1人で酒場に顔を出した。
 狙ったのかそうでないのか、カエルの居ない日だったのは私の気持ちの上では良かったと言える。

「そんな顔をしないで下さい。今日はジョットさんにお話があって来たのですよ」

 む。顔に出てた?

「じゃあ、私を使ってカエルを虐めるのやめて下さい」

 彼はおや、という顔をしながらジョットさんの隣に腰掛けた。

「虐めたつもりはないのですが」
「分かっててやってますよね」
「確かめてるだけですよ」

 くすくすと彼は笑う。
 何を、と聞いても答えはないんだろうな。

「大体、片手で足りる程しかお会いしてませんし、嫌われているのは私の方でしょう? 会いたくないと全身で語ってますからね。私はもっと彼を知りたいのですよ?」

 と、胡散臭い笑顔で言われても。

「ともかく、あんまり構わないで下さい」
「ユエも彼もつれないですね」
「つれて欲しそうでも無いじゃないですか」

 神官サマはふふふ、と楽しそうに笑った。
 隣で代書屋さんがはらはらして見ている。

「――で、ご注文は?」

 彼はサラダとスープ系を何か、という注文をすると代書屋さんに向き直った。
 忙しくしていたので、2人が何を話していたのか分からない。
 ときたま見た感じではどちらも至極まともな顔をしていたので、真面目な仕事の話だったのだろう。
 代書屋さんに負担が少ない仕事だといいな。

「ユエ」

 バタバタした後のぽっかり空いたような瞬間に声を掛けられた。

「はい」

 振り返ると表情のない神官サマが目で呼んでいた。
 いつも薄く微笑んでいる印象だったので、少しひやりとする。

「……何か」
「港町へ行くと」

 代書屋さんを見ると小さく頷いた。

「行く予定ですが」
「彼に仕事を頼もうと思ったのですが……一緒に行くのなら、向こうの教会には貴女は立ち寄らないで下さいね」
「……はあ」

 立ち寄る気はさらさら無かったけど。
 真面目な顔で言うようなことでもないような……

「私の事を嫌いな人が居るんです。私との繋がりを匂わせたくもないんですよ」
「貴方が嫌いな人、ではないんですか」
「私には好きも嫌いもありませんから」

 珍しく自嘲気味に言って、静かに目を閉じた。

「行かなければ良いんですよね?」
「教会関係者にも近付かないで下さい。彼等の中には人攫い紛いの者も居るので」
「物騒じゃないですか!」
「物騒なんですよ」

 表情のない顔で忠告されると、怖くなる。ましてや彼は関係者だ。

「神官サマの私への執着は何なんですか。何故、そんなに――」

 ふっと彼の微笑が戻ってくる。

「一緒に星を――月を見てくれなければ、教えません」

 それからおもむろに立ち上がると、代書屋さんにもう一度声を掛けた。

「すみませんがお願いします。ユエのことも。恐らくあの青年が目を離さないとは思いますが、重ねて気を付けて下さいね」
「……はい」

 代書屋さんが頷くと、後はもう振り返らずに出て行った。
 カウンターの上にはいつの間にか料金分に1枚多い銅貨が乗っている。

「大変な仕事なの?」
「いいや。伝言を頼まれただけだよ。ちょっと偉い人にね」

 やっと少し緊張を解いて、代書屋さんは肩を回した。

「ユエちゃんはよくストレートに言えるね? どうもあの()に見られると緊張しちゃって……」

 クロウもそんな感じだったな。
 先入観とかじゃなくて、やっぱり威圧感みたいなのがあるんだろうか。
 サッパリ分かんないんだけど。

「鈍感なんですかね? 綺麗だなってしか思わないので」
「綺麗?」
「発動するともっと綺麗です」

 代書屋さんは一瞬化け物を見るような顔をした。
 し、失礼だな!

「それ、あんまり言わない方がいいと思うよ。宣誓にかけられた人って多くないから」

 それから溜息を吐くとぼそぼそと続けた。

「ホント大物だよね。ルーメン主教が興味持つのも分かる気がするよ」
「ユエが鈍感なのに気付いたなら、兄ちゃんも言いたいことははっきり言わないと伝わんねーぞ」

 ひとり真面目にホールの仕事をしていたクロウが口を挟んできた。
 落ち着いてきたとはいえまだ客は多い。働けって事ですね……
 私は慌てて空いたテーブルの片付けに入ったのだった。



 受付に戻るとルベルゴさんにもクロウを預かる話をした。
 彼は特に気にする風でもなくこき使ってやってくれと豪快に笑った。

「ルベルゴさんは海を見たことがあるんですか?」

 サーヤさんが言っていたことを思い出して聞いてみる。

「俺ぁ若ぇ頃無鉄砲でなぁ」

 にやにやというか、苦笑というか。その中間くらいの顔で彼は話し出した。

「冒険者ってヤツをやりたかったんだが、力任せはできても戦略とか連携とかがからっきしでな、よくお前にはついて行けんと仲間から外されたりしてたのよ。単独でやるにゃあ世の中は厳しくてなぁ。腕を磨くのと名を上げるのと金儲けを一度で狙うならと、噂で聞いていた『監獄半島の南の森』に挑戦しに行っては入り口で死にかけて他の冒険者(ヤツ)に連れ帰ってもらってた。そのうち向こうの小さな拠点ではどうにもならなくなってこの村で療養していた時にサーヤと会ったのよ」

 懐かしそうに顎を擦って、彼はちょっと遠くを見た。

「だから、この半島に来る時に海は渡って来たし、違う港から海に出る冒険者(ばかもの)も見送った。南の森は帰ってくるヤツもいるが、海に出て行って帰ってきたヤツは知らねぇな」
「海に出たいとは思わなかったんですか?」
「足が地につかねぇのは恐ぇじゃねーか。泳げねぇ訳じゃねぇが、何処とも知れぬ深みに落ちていくなんてぞっとしやしねぇ。痛いとか血が出るとかは平気だったんだけどなぁ」

 そういう話はここではありふれたものなんだろうか。それともやっぱり一握りの人達しか体験し得ないことなんだろうか。

「クロウも男だからな。このまま宿屋の跡取りでのんべんだらりとやっていくのか、海を見てその向こうに行きてぇと思うのか、いい機会だろうよ。まぁ、あいつは痛ぇの嫌いらしいから、冒険者は無理だと思うがよ」

 私が何を出来るのかと悩んでいるように、クロウも悩むのかな。
 海の向こうには帝国があって、田舎とはまた違った生活が沢山あるのだろう。
 代書屋さんなら都会の生活も話してくれるに違いない。どの道を選んでも平坦とは限らないし、横道にも逸れるかも。でも、こんなご両親に遠くからでも見守ってもらえるならいいなぁ。

 私はもう

は貰えないけど、年齢からいけば見守る方に足を突っ込んでいるはず。クロウやニヒ達を傍で見ていられたらいいな。
 そんで、たまにぎゅってさせてもらうんだ。
 そこ、大事だから。

 ◇ ◆ ◇

 いつものようにカエルが迎えに来て、日の長くなったのを実感するような夕暮れの中を歩いて行く。

「ねえ、ちょっと河原を歩いて帰ろう?」

 ふいに学生時代に漫画やドラマで見た、土手を歩いて帰るというベタなことがしてみたくなってカエルを誘った。
 残念ながら夕日は背中の方になってしまうが、雰囲気は味わえるだろう。
 私の住んでいた辺りには川など無かったから、ちょっとした憧れだったのだ。

「また、変なのに会うぞ」
「大丈夫だよ。あれから特に会ってないじゃん。川近くには下りないからさ」

 そう言ってさっさと道を逸れてしまう。
 カエルはこういう時、絶対に私をひとりにはしない。

「もう少ししたら、帰りも迎え要らないかもね。大分明るくなったし」

 くるりと振り返って夕日の朱さに目を細める。
 逆光の中カエルが呆れた顔をした。

「前を向いて歩け」
「夕日が綺麗だし」

 もう大分低い位置の太陽は、降りてくる夜の帳を押し留める様に空の雲を染めていた。
 反対側ではぽつりぽつりと星が瞬き出している。

「見るなら止まれ」

 素直に足を止めると、カエルとの距離が急に縮まった。

「……カエルはなんで神官サマが嫌いなの?」
「何だ。急に。あの瞳で視られたくない。それだけだ」
「皆、そうなのかなぁ」

 じっと黒に近くなっている紺色の瞳を覗き込んだ。

「何もかも見透かすモノに、わざわざ見つめられたい奴はいないんじゃないのか? 程度の差はあれ、知られたくない物は誰しも持っているだろう?」
「私に見られるのは平気?」
「ユエは俺の中を見ていないからな。酒場に来る連中とも違う、もっと別のものを見ている感じがする」

 鼻で笑って、逆に見つめ返された。

「俺が迎えに来ないと、ふらふらと寄り道して暗くなるまで帰ってこない未来が見えるぞ」

 うっかり動揺して、視線を逸らしてしまった。
 やらないとは言えない自分が恨めしい。
 山の方とか、み、魅力的だよね?

「子供扱いされたくないなら、子供っぽい言動も改めることだな」
「……うぅ……知らない世界が広がってたら、知りたくなるでしょう?」
「――知らない世界?」

 カエルの眉間に皺が刻まれた。そのまま少し黙り込む。

「カエルだって港町行きたいと思ったでしょう? 酒場には酒場の世界があったでしょう? そういうことだよ。たぶん」
「そうか。そうかもな。でもユエはナイフもまともに使えないってことを自覚しなさすぎだ。主に会ってちょっと解ったんじゃないのか? その辺をふらふら歩いていいのは、危ないことを危ないと判ってるヤツだけだ。夜は獣も魔物も犯罪者も活発になる時間で、時には住宅地だって安全じゃない」

 わかってる。わかってたつもりだ。
 でも、現代日本の夜の明るさと安全性とそれに慣れきった感性が、ここの夜でもひとり河原で星を見られる気にさせるのだ。この溝はなかなか埋められない。
 落ち込む私を追い越して、カエルは歩き出した。

「帰るぞ。ユエを迎えに来られるのは、俺が元気でいる証拠でもあるからな。ちゃんと毎日確認させてくれ」

 いつでもカエルは私の為だけじゃないと思わせてくれる。
 それが本心かどうかは私には分からない。でも、助かっているのも確かだ。
 私でも誰かの役に立っているのだと――そう、思えて。

「今日ね、神官サマに港町の教会には行くなって言われた」

 しようと思っていた話をようやく切り出すと、カエルはぴたりと足を止めた。

「また来てたのか?」
「代書屋さんに仕事の話があったみたいで。今日は特に何も無かったよ。忠告されただけ」

 追いついた私に厳しい視線を向けて、彼はまた歩き出す。

「……行くなって、アイツが?」
「教会関係者にも近付くなって。神官サマのことを嫌いな人がいるから、そうした方がいいって」

 カエルは眉間の皺を深くして言葉の意味を咀嚼しようとしていた。

「よくわかんないけど、元から行くつもりもなかった、よね? 彼の言葉を信じるなら、教会関係者には私を渡したくないみたいなんだけど……」
「それならそれでいい。どっちにしろ、アイツの傍にやりたくないのは一緒だ。安心させてそのうちに、なんてよくある手段だしな」

 確かに得体の知れなさはあるんだよね。
 もっとこう、どうにでも出来そうなのにしてこない感じとか。微妙な距離感を保ちたがってるというか。

「関係者の中には人攫い紛いの者もいるなんてことも言ってたから、一応カエルにも報告しておくね。聞いちゃったら怖いから、1人にはならないようにするけど」
「そんな話をされて、よくひとりで帰るなんて言えたな?」

 心底呆れた声がした。

「え? 港町の話でしょ?」
「何処だって一緒じゃないか。馬鹿なのか? この村における信頼は何処から来るんだ?」
「だって、カ……」

 カエルが居るじゃないって続けようとして、とんでもなく恥ずかしいセリフだと気が付いた。
 そんなにカエルに頼っていただろうか。依存していただろうか。
 初めの頃に頼もしいと思っていたのはビヒトさんではなかったか。
 急に口を噤んだ私を彼は訝しげに見下ろした。

「だって?」
「なんでもない。私が馬鹿でした」

 刻一刻と色を変える空の紺色のカーテンを、カエルの瞳の色だなと思って、これはちょっと重症かもしれないと目を逸らした。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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