75.ゲンソウ都市

文字数 5,807文字

 カエルが目覚めると、予定より少し早いものの出発してしまうことにした。害のある異変は早めに周知した方がいいと、意見が一致したこともあってのことだ。
 砂トゲトカゲ達は、固形食や練り餌ではない

を沢山食べられて何だか満足そうだった。
 自然て逞しい……

 結局着替えるタイミングを無くして、上から砂漠用ローブを羽織っていたのだが、それが余計にけしからんと怒られて(ほとんど言いがかりじゃないか)、2人が御者台に出ている間に着替えを強要された。

 私の勝手なイメージでは砂漠の民はこう、露出度も高かったような気がするんだけど……あれは踊り子さんだけ? そうか。アラブ系で考えると肌は出してないね。
 渋々と布地の多い服に着替えてマントを羽織り直した。
 やっぱり暑い。

 途中、何度かアリジゴクの巣のような形の穴に遭遇した。もちろん足を踏み入れるなんてことはしない。回り込むので少し時間がかかるが、仕方のないことだ。
 目の前に3つ並んだ巣を目にした時は、さすがにカエルがイラっとしたようで、神官サマに手を貸せと言ってそりを止めた。

 興味があったので何をするのかと私も外に出た。
 カエルは手頃な大きさの木箱に毛布を巻いてロープの端に固定すると、それを巣穴に投げ入れた。

 あんまり近づくと怒られるので見えないのだが、多分アリジゴクを釣り上げるのと変わりないと思う。大きさが桁違いなだけで。
 体が出てしまえば、後は得意のナイフを数本投げつけ、着火を神官サマにやらせていた。それを巣3つ分繰り返したらお終いだ。

「人使いが荒いですね。どうせ避けて通らなければいけないのは同じなのに」
「帰りには埋まってるだろ。早く帰れる。それに効率的だ。その為に俺に仕込みを増やさせたんだろ?」

 答える代りに神官サマはふふ、と笑った。
 意外と、いいコンビ……なのだろうか。ただし戦闘に限る。みたいな。

「焔石代がもったいない」
「火薬代はこちらで持ったではありませんか。余ればそちらのものですし」
「今朝のアレを考えても、余る気がしないんだが」
「悲観的ですね。もう少し楽に生きた方がいいですよ?」
「慎重と言ってくれ。火薬の3分の1はそっちに渡ったんだろう? 何に使うんだ?」
「奥の手です。使いませんよ。多分。今朝の教訓としては、散布型の毒物もあった方がいいということじゃないですか?」

 カエルは溜息を吐いた。

「物騒だな」

 火薬や毒物を貯め込む人物。うん。紛れも無く要注意人物だね。
 呆れる私達に小首を傾げて、神官サマは御者台に登って行く。

「冒険者ならば、そのくらいの準備はするものでしょう?」
「俺達の中に冒険者はひとりもいないんだが」

 そうでした、と少し笑って彼は手綱を握った。
 私をそりに乗せてから、カエルも御者台へと移っていく。少し陽が傾いてきたので2人も楽になるだろうか。
 アリジゴクゾーンを抜け、星が瞬き始める頃、神官サマが仮眠しに中に戻ってきた。カエルは一応警戒中らしい。
 彼に毛布を渡して、自分の分も手に取った。

「ユエ、伝言です」

 何かと顔を向けると、意地悪そうに笑う。

「『あまり後ろまで行って見るな』」

 カエルめ! どんだけ信用無いの!

「私が押さえていてあげますよと言ったのですが、却下されました」
「どっちも余計なお世話です!」

 ぶーっと膨れながら、それでも昨日より少し下がって座り込む。
 昨日とは方向が少し違うので、空の見え方も変わっていた。
 砂漠も砂だけの景色から、少し岩がごろごろと増えているような気がする。

「岩場に入りましたので、もう少しですよ。そう遅くならないうちに着くと思います」

 そう言って神官サマはフードを目深に被って毛布に包まった。
 神官の他には何も出来ないと言う割には、御者の真似事も嫌がる風ではないし、むしろ少し楽しそうだ。
 もしも彼が本当にずっと中央神殿で総主教の傍に居たのなら、彼の世界もとても狭かったのかもしれない。中央に戻りたがらないのは、まだ外の世界を楽しみたいからなのかも。
 そりゃ、殺されかねないとかいう殺伐とした処よりはずっと楽しいか。

 私はカエルに呼ばれるまでひとりで夜空を堪能していた。
 時々、カツンと何かが何かに当たる音がしていて、カエルが投げたナイフだったのかもしれない。
 それも、気になる程多かった訳でもない。
 神官サマは到着前にちゃんと起き出していて、少しの間ぼんやりするという珍しい姿を見ることができた。

 スマホさえこの手にあれば!

 ◇ ◆ ◇

 不意にカエルに呼ばれて、私は初めて前方の切込みから顔を出してみた。

「何?」

 砂粒が飛んできて、顔を顰める。

「ちょっと、来い」

 カエルが手を出してくれたのだが、珍しい。走行中に御者台に連れ出してくれるなんて。ともかく、それに掴まってよいしょ、と体も外に押し出す。
 1度御者台に座ってしまってから、足場を確認して立ち上がった。
 ひっきりなしに砂が飛んでくるので、フードの上から巻いていたショールを鼻と口も覆い隠す様に上げてしまう。

「寝てなかったか?」

 カエルも同じように口元を覆っている。

「今日は大丈夫。何かあった?」

 カエルは左前方を指差した。
 そこには満月一歩手前の月に照らされて、砂漠の中に忽然と街が現れていた。
 街の背には砂の丘があり、手前には月を映す湖が横たわっている。木々がまばらに湖の周辺を彩っていた。ぽつりぽつりと灯る明かりがまた幻想的で、狸か狐に化かされているような気分になる。

「き……れい。あれ、行く集落?」

 そりの振動によろりとよろけた私の腰元を支えて、カエルの目が優しく笑った。

「ジョット風に言うなら、ユエ、こういうの好き、だろ?」
「……うん」

 不覚にもキュンとした。
 キュンとか。ナニコレ。

 私の好きな物にはカエルのダメ出しが付きものだった。見たいと言ったものに、すんなりオーケーが出たことなんて無い。
 でも、もしかしたらすんなり良いと言えないことを、彼は彼なりに気にしていたのかもしれない。
 だから急にこんな粋なことをする気になったのかも。

 そんな、都合の良いことまで考えちゃうくらい、ドストライクだった。
 満天の星空の中に浮かぶ砂漠のオアシス都市――
 カエルの肩に掴まって、カエルの温もりを感じながら、私はその景色から目を離せなくて、でももっとカエルを感じていたくて……

「スゴイ、好き……」

 この景色が。
 この温もりが。
 この景色をくれたカエルが――

 うっかり口を滑らすところだった。伝わってない筈だ。まだ伝わって欲しくない。
 こんな慌ただしい旅の中で、現実的じゃない景色の中で出た言葉なんて、すぐに非現実に溶けてしまう。
 近付いてくる幻想的な街を、私はカエルの温もりと共に記憶した。



 街の入口で衛兵に止められた。街に入るに当たって、一応、身分や滞在理由などを申告しなければならないらしい。
 とは言っても砂漠では夜の移動が当たり前なので、6刻を過ぎたこの時間でも比較的早いらしく、あくまでも形式的なものだった。
 神官と通訳と護衛です、ですんなり通ってしまうのがちょっとだけ不思議だ。

「こういう所は地元の人は皆顔見知りですからね。余所者はすぐに判るのであの位で構わないのですよ」

 チェックが甘くないのか心配する私に、神官サマは説明してくれた。まぁ、嘘を言ってる訳でもないしね。私は神官サマの通訳じゃないってだけで。
 ついでに1泊した小さなオアシスでの異変を衛兵に伝えると、緊張した面持ちで情報感謝しますと姿勢を正された。細かい異変はちょくちょく報告されているらしい。

「そういえば神官サマは砂漠の国の言葉が話せるのですね」

 衛兵と普通にやり取りをしていた。

「必要最小限ですよ。お隣の国ですしね。細かい話をするならば、本当にユエを頼らねばなりません」

 大通り沿いの、まだ酒場の喧騒が残る宿に部屋が取れるか聞いてみた。ここならば、そりを停めておける場所がありそうだったのだ。
 運良く3部屋空いていたので、そのまま滑り込むことにする。
 鍵をもらい受けて部屋へと向かおうとしたら、神官サマが宿の主人に何事か訊いていた。
 チップをはずんでまで、何を訊いたんだろう。

 その後追いついてきた彼は、2〜3日ここに泊まる事になるのでゆっくりしましょうと微笑んでいた。
 酒場がまだやっているようだったので、軽く何かお腹に入れてから寝ることにする。昼は結局そりで硬いビスケットの様な固形食だったし、朝以降まともな食事をしていなかった。

 ここでの収穫は米料理があるという事だった。
 肉や魚や野菜と煮込んだものらしいのだが、滞在中に1度は食べようと心に誓った。日本のお米とは程遠いんだろうけど、パエリアくらいなら食べられるようになるかもしれない。

 神官サマは、柑橘系の香りのするドレッシングのかかったサラダをつまみに、ヤシの実の蒸留酒だというお酒を飲んでいた。
 体にいいんだか悪いんだか判らない組み合わせだ。
 ってか、意外と酒飲みだよね!?

「……すぐには湖に向かわないんですか?」
「もう少し情報を集めたいので何とも言えませんが、青い月の頃が近そうなので折角ですのでそれに合わせましょう。ここからは歩くと鐘2つくらいですが、砂トカゲ達に任せればすぐです」
「そんな情報、集まるもんなのか?」

 青い月を見たという者はほとんどいないと聞いた。こんなに近い所なら、実はごろごろいるのだろうか。

「地元民は近寄らない呪われた森の中にありますからね。まともには集まりませんよ。違う方向から集めるので、大丈夫です」
「呪われた……?」

 何やら不安になる単語が出てきたけど。

「入ると出られないとか、タマハミが住んでいるとか、そういう曰くのある森です。大丈夫ですよ? 私は1度行ってますので、出られないという事はありません」
「……何か出るとか」

 神官サマはふふ、と笑う。

「運次第ですかね? 私は会いませんでした」

 カエルが眉間に皺を寄せる。
 やめて。フラグを立てないで。
 私はそれ以上聞くのをやめた。

「ともかく、明日は1日のんびりしていて下さい。出掛けるのも、お2人で部屋に1日中篭るのもお好きに」

 私は思わずカエルと目を合わせてしまって、慌てて逸らした。

「変な例えを出さないで下さい!」

 カエルも視線を逸らしてエールを傾けている。
 神官サマはにこにこと変わらない。

「ですから、私としては確かめられるものはすぐに確かめたいのです。あんまり焦らされると、自分で実験しに行ってしまいますよ?」

 顔に手を伸ばされて、思わずのけ反る。
 ダンっと、カエルがジョッキをテーブルに叩きつけた。
 一瞬周りの目がこちらに向いたけど、酔っ払いばかりの酒場はすぐに興味を失って元の喧騒に戻っていく。

「……あんまり強要されても、そうしたくなくなりますよね? っていうか、何を確かめたいんです?」

 きょとん、と神官サマは私とカエルを見比べた。

「何って、魔力がユエに及ぼす影響ですよ? 魔力も『何か』も血液や体液によく馴染んでいます。登録に血液を使うのはその為ですね。ユエは外から受ける魔力に対しては完全に抵抗が無いようですが、私の魔力が体内に残った時は体調を崩していたでしょう?」

 神官サマの魔力? 宣誓の時のこと?

「『神眼』で繋がって魔力を注いでいましたから、それを無理に断ち切ったのでユエの中に魔力が残ってしまったのでしょう。でもユエは元々魔力を持たないので、他人の魔力を反発させて外に出せる力が無いのだと思います。外に出せない魔力が、ユエの中で留まり続けた為に、体の不調となって表れたのではないかと」
「……それをどうやって確かめるんですか?」
「誰かの血を飲ませる、という手もありますが」

 やめてやめて! そんな趣味は無いから!
 ぶんぶんと首を振ると、彼は可笑しそうに笑った。

「血の味に具合が悪くなったのか判らなくては意味がありませんからね。手っ取り早いのがいわゆる口づけですよ。唾液の交換をするくらい深いもので。唾液にも含まれると言ったでしょう? そのくらいなら魔力の量も多くはならないので、ユエにもそれ程負担にはならないはずです。あの時熱を出す程度で済んでいたのですから」
「ユエが具合悪くなるような事を出来るか」
「具合が悪くなるかどうかは判りません。どうなるかを確かめたいのです。宣誓の後は確かにきつかったでしょう。ですが、少しずつ摂取するならユエに耐性ができる可能性があります。人体は意外と強かですから」

 割とまともな理由な様な……その耐性が必要なものかどうか微妙なような……
 私の気持ちを読み取ったのだろう、神官サマは少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「将来、ユエがこの世界で子供を欲しいと思った時に、子供が魔力を持っていないことは考えられません。これは母体に大きな負担をかけると思いませんか? ただでさえ妊娠は母体に負担をかける物です。魔力への耐性はあった方がいいと思いますよ」

 ……妊娠中毒みたいなものか。確かに、子供は欲しいと思うに違いない。

「俺は、子供など――」

 カエルは少し青褪めていた。

「その意見には同意します。自分と同じものがこの世に生まれるなど、ぞっとしませんよね? しかし、貴方の子とは言っておりません。ユエが欲しいと思ったら、貴方の子ではなくとも産む可能性はあると思いませんか?」

 酷いことを言われてる気がする。
 前半部分にも突っ込みたいところがあるし。

「元々私とでは子供が出来ないという可能性もあるんじゃないですか」
「それは無いでしょう」

 明確な否定だった。

「ユエは先日、カエルさんの先祖に、自分の国の人が居ると思ってると言ったではありませんか。それは、例え確率は低くとも、出来ないということは無いとう証拠になり得ます。そしてそれが確かならば、もう1つ仮説が成り立つことになります。妄想に近いので、ここでは割愛しますが」

 ですから、と神官サマはいつもの微笑みに戻って続けた。

「貴方達は毎日口づけを交わし、ユエは『何か』をカエルさんは魔力を、お互いに交換し合うのが一番効率的だと思うのです」
「……神官サマ、そこは『効率的』ではなく、せめて『幸せ』と言って下さい。その方がまだ聞く気になれます」

 ぱちぱちと目を瞬かせて少し考え込むと、神官サマは口元に拳を当てて、成程、と呟いた。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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